「お寺の経済学」「大相撲の経済学」などの著者が次に狙うターゲットは「刑務所」だ。いずれもタイトルには「経済学」とあり、幾つかの経済学用語を交え分析したりしているが、基本的には社会学のようなものと思ったほうが良い。
幸いにして此れまで刑務所とは縁がない生活を送る我々であり、犯罪者が罪を償う為に行く場所が刑務所で、テレビで話題になった犯罪ですら有罪が確定するとそれで興味の外になっているが果たして刑務所とはどのような仕組みなのか。
実刑を受け刑務所に収監されるがそこでは出所後の更生をサポートするよりも、如何にして刑期を無事に勤め送り出すかが目的になっている。故に、刑期が長ければ長いほど社会生活に復帰することは困難になる。出所後の再犯もある意味では刑務所の中の衣食住が保証された「安定した生活」を求めてのものとなる。従い今や刑務所も高齢者・障害者の収容施設と化している現実があるようだが、何か間違っては居ないだろうか。
また考えなくてはならないのは、そうした刑務所でのコスト。一人の収容で年間200万円程度のコストがかかっているのだという。仮出所で刑務所を出たは良いが生活費にも事欠き、わずか数百円、数千円の食逃げや窃盗の微罪で、実刑を言い渡される事になるが刑務所でのコストに加え、裁判所・国選弁護士費用等も含めると年間300万円程度になるのは犯罪の程度と比べ経済的にはどうか、という疑問も呈している。
とは言え、より少数の刑務官が低コストで多数の収監者を管理するという実態からすると刑期を務める中で高度な更生教育をすることが出来るのかは極めて疑問であるし、そのインセンティブも働かない。出所後の生活を面倒見る前提としての保護観察士制度も昔のような出所者を迎え入れる地域社会、雇用を生む背景としての経済成長、篤志家が消えた社会ではかなり難しいと言える。
検察官の犯罪など裁判制度をめぐる議論も活発ではあるが、塀の中に落ちた後の受刑者がたどるその後の生活もなかなか奥の深い問題だ。