佐々木中のレビュー一覧
-
-
-
-
Posted by ブクログ
痛快。面白かった。理解度や把握度は低いがその文から、文と文から、文と文と文から、立ち上る香りをめいっぱい吸い込んだ。
ラカンが、ルジャンドルが、そしてフーコーが何を言っているかを概説しつつ、彼らから何を読み取るべきかをその特有の太い文体でもって論じている。この3名を引くことでその論旨はより堅固で強靭なものとなる。糸と糸と糸を編み上げるとこのような書物になる。言うまでも無いが、3名以外も登場する。
「Aさんがこう言っていました。Bさんはこう言いました。Cさんはこう言い、そしてDさんはこんな風に言いました」
しかしながら、「つまり」と「しかし」の連続に頭が付いていかなかった箇所も多い。私の読解力の -
Posted by ブクログ
ネタバレ下巻のまとめならぬまとめのようなもの
3、フーコー
<権力>
権力:常にそこにある。法とは違う。権力は社会全体に浸透している。権力の外にあって、権力を全般的に操作し統括しうる者などいない。
一方に支配者がいて、もう一方に非支配者がいるという単純なものではない。支配は多層的。権力があるところには常に抵抗がある。
<監獄の誕生>
規律:法と異なる。かつて犯罪者は公共の場で残酷な方法で殺されていた。近代の犯罪者は、監獄で規律訓練を受ける。規律は人々に「主体的」に正しく生きることを求める。同調圧力である。規律権力は規格を作る。平均からのかい離で、人間全体が分類される。
<生権力>
生:調整され、 -
Posted by ブクログ
ネタバレまとめることを拒否する本だけれど、論理展開が複雑できらびやかなので、2回目読書後にまとめてみた。
1、ラカン
<想像界、象徴界、現実界>
想像界:頭の中で思っている世界のこと。
鏡像段階:言葉を知らない子どもは、鏡を見て自分のイメージ、自我を獲得する。鏡像段階とは、自らの姿に想像的に同一化する想像界の始まり、自己愛の起源である。鏡の中の私は動かない。鏡の中の私は、私とは別のもの。鏡の私は死んでいる。鏡像段階=生の認識の始まり=死の認識の始まり。
象徴界:言葉、パロールの世界。二人以上の人間の関係を決める。第三者からの言葉。法、契約、約束。他者との象徴的関係。父。私は母親の愛を独占できない。父 -
Posted by ブクログ
読み終わってしまった。なんと素晴らしい本だろう。私たちを規定するダイアグラムを、言表と可視性との強引な接着を、根拠律を、ドグマを、統治性を、それらを操る司牧権力を……つまり僕の敵を明らかにしてくれた。それらが全く動かしうるものであることを教えてくれ、それとの闘いのゴングを鳴らしてくれた。つまり、女性の享楽、執拗な犬、新しいダイアグラム、ダンス、神秘主義……それらがあることを教えてくれ、それらのほうへいざなってくれた。
よろしい。僕は既にこの社会からあぶれつつあるエリートである。残念ながら。既存の統治性規律権力の走狗だったらどんなに楽であったことか。しかし、もうよい。僕は大手を振って出ていこう -
Posted by ブクログ
何度、読み返しただろう。
やっと僕の浅学拙考の頭に、僕なりの仕方でこの本を飲み込むことができつつある。
佐々木はラカンを引き、われわれの主体が<鏡>に映し出されるイメージと、「これは私だ/私ではない」という言葉によって作り出され、象徴界と想像界によって成り立っていることを明らかにする。
次にルジャンドルを引き、主体がドグマでしかないことを明らかにし、今、世界で支配的なドクマは中世解釈革命によって、可塑的な書かれた<準拠>としてのテクストとして12cから打ち立てられ、今日まで続いているものだとする。
そして、今あるドグマを覆すにはという問いを立てたところで、上巻終わり。
この一冊、この一冊 -
Posted by ブクログ
フーコーもラカンもルジャンドルも全くどのような思想か知りませんでした。(フーコー、ラカンはちょっと本を読んだことがあったかもしれませんが、「どっからどう考えたらそういう風に考えられるのか」と思うほど意味が分からないまま終わりました。)が、この本でこれらの人が言いたかったのはこういうことだったのかということがやっとわかりました(表面だけかもしれませんが)。著者の説明は本当に感謝です。大きな意味を述べた後に小さな言葉を何度も言い換えたり、なぞったり意味する所の輪郭を細かな所までリズム良く掘り出してくれるところは凄さを感じます。上下巻と長いですが、内容はぎっしり詰まっています。
-
Posted by ブクログ
フーコーもラカンもルジャンドルも全くどのような思想か知りませんでした。(フーコー、ラカンはちょっと本を読んだことがあったかもしれませんが、「どっからどう考えたらそういう風に考えられるのか」と思うほど意味が分からないまま終わりました。)が、この本でこれらの人が言いたかったのはこういうことだったのかということがやっとわかりました(表面だけかもしれませんが)。著者の説明は本当に感謝です。大きな意味を述べた後に小さな言葉を何度も言い換えたり、なぞったり意味する所の輪郭を細かな所までリズム良く掘り出してくれるところは凄さを感じます。上下巻と長いですが、内容はぎっしり詰まっています。
-
-
Posted by ブクログ
中2の頃に岩波のツァラトゥストラを読んだ。SF映画『2001年宇宙の旅』でかかっていた、リヒャルト・シュトラウスの《ツァラトゥストラかく語りき》が好きで、同名の本というか元ネタの本を読みたくなったからだ。
というのは、『2001年宇宙の旅』は映画はもちろん小説も謎めいたところがあり、その理解のためにはテーマ曲になっているツァラトゥストラやニーチェを当たらないといけないのではないかと思ったのである。
そしてそれわ読んでわかった気がして、人類は神の手ではなく異星人によって進化させられ、ボーマンは超人になり、さらに赤子となったのであろうとか、中2病的な妄想を抱くようになった。
今回は、もう一度中2 -
Posted by ブクログ
■評価
★★★✬☆
■感想
◯現代神からすると、読みやすい本ではない。分量も全4巻文集力でページ数も膨大。
◯はじめ通読して半年放置していたが、家においてある本書(付箋だらけ)をみて、再読することに。
◯ニーチェ入門思想を数冊読んで原著(本書)に戻ってきたことで、理解が深またkンジがする。
◯書かれている言い回しが難しいのではなく、比喩や例・詩的にかかれているので、その構造を捕まえながら読むのが難しかった。
◯捕まえてしまえば、なるほど、と思うところが随所にあるし、歯ごたえがある本として味わい深い。
◯とくに”没落”という言葉の取り扱い方が難しかったが、善悪含有したベクトル・運動と -
-
Posted by ブクログ
ニーチェの思想は彼の死後、ナチズムに利用されたと聞いたけど、この本読んでわかる気がした。
大学生の時に読んでたら、悪い意味でハマってたかもしれない。(危ないところだった!)
この本は、隠者というか、社会的常識や価値では不遇な立場にある人が、独特な価値観を持って世の不条理に新たな解釈を与えていく、という造りなのだけれど(少なくとも私はそう解釈した)、世の中に不満というか、満足してない人ほど、この本を読んで根拠のない優越感を持ちそうで怖いなと思った。
(=ナチズムで使われそう)
読んでると、作品の思想に洗脳され、いい気分になるけど、実際のニーチェは(頭はいいのに)モテなかったみたいだし、娼婦 -
Posted by ブクログ
この新訳にしか触れたことがないが、非常に読みやすく、面白い内容だった。 対人関係や集団心理、宗教から国家まで、作者の深い洞察力を見てとることができる。
男女の違いや結婚など、身近に感じるテーマの取り扱いも興味深かった。
第1部が最も重要で面白い内容だった風に感じる
それにしてもゲルマン民族について、「忠誠のために悪しきこと危険なことにも、名誉と血を賭けよ、と教育し自らを律した」とは、現在のドイツ人に対するステレオタイプにも通ずるところがあって面白い言い回しだった
超人の思想的には、仏教や儒教に似た内容がある風にも感じたが、解釈は人それぞれということか -
Posted by ブクログ
まずはざっくりと西洋思想の歴史について勉強してから読みました。結果良かったです、大正解でした。
そうじゃないと、"神は死んだ"→→→「は??」って感じだったと思います。
簡単に説明をすると、、※完全な自己解釈です!
長らく、ずーっと昔から、数多くの思想家たちは、"真理の追求"について思い巡らせ、様々な持論を唱えていました。
そして「プラトン・アリストテレス・キリスト教の大帝国」が、プラトンの「イデア論」をキリスト教が上手に利用する形で長期的に支配していました。
カントやガリレオなど自然科学の発見・発展によって、
またその後のデカルトの座標軸の発見などに -
Posted by ブクログ
『切りとれ、あの祈る手を』を以前に読んでいて衝撃的だったのを思い出す。本書も(まだ上巻だけだが)愉しく読めている。
文体に性格があるのなら、この方のそれは、大変熱くそして力強い。「反復を恐れず」に訴えかけてくる主張をどんな読者だって感じずにはいられないだろう。猛烈な卓見。
「フーコー、ラカン、ルジャンドル」とタイトルに謳われている。彼らの言説を解きほぐしながら筆を進めている。彼らをろくに読んだことのない私にさえも分かるように、丁寧に咀嚼して(時に重大なことは反復して)解説されている。個人的に楽しみなフーコーは下巻からその姿を表すようだ。
あの難解極まりないラカンの言説。そこにルジャンドル