あらすじ
あかるく澄み切った日本語による正確無比な翻訳で、いま、ツァラトゥストラが蘇る。もっとも信頼に足る原典からの完全新訳。読みやすく、しかもこれ以上なく哲学的に厳密な、ツァラトゥストラ。
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老頭の僕でも読み通せた。注釈が一切付いていないので一気に読めた。注釈を付けずに読めるように訳者が覚悟を決めて読者に配慮して考えて訳したのだろう。他の訳者のものを読んでいないので偉そうなことは言えないが大したものだ。尚、ニーチェの思想のあらましや、「最後の人間(末人?)」「神は死んだ」「永劫回帰」「大いなる正午」などのキーワードは他の入門書等で一応学んでから本書を読むべき。僕の場合は飲茶氏の本を楽しく読み勉強した。
Posted by ブクログ
哲学と詩のハイブリッド。思想をここまで美しく叙述できるってことにまず感動しました。
キリスト教なんて奴隷道徳だ! っていうニーチェの主張は初見で衝撃を受けましたね。読んだのは高校生のころだったかな。少なくとも当時の人格形成には大きく影響を与えられました。
今でも、自分のルサンチマンを正当化するために誰かを悪者にでっちあげる風潮にはもの凄い怒りを感じるんですが、そういうのもニーチェの影響かもしれません。
Posted by ブクログ
読み終わった。正直、一度読んだだけでは全然意味が理解できない…が、なんだかスッキリした。しばらく寝かせて、再読したときに効果が出そう。辛いときに読んだら効くんだろうか。
Posted by ブクログ
中2の頃に岩波のツァラトゥストラを読んだ。SF映画『2001年宇宙の旅』でかかっていた、リヒャルト・シュトラウスの《ツァラトゥストラかく語りき》が好きで、同名の本というか元ネタの本を読みたくなったからだ。
というのは、『2001年宇宙の旅』は映画はもちろん小説も謎めいたところがあり、その理解のためにはテーマ曲になっているツァラトゥストラやニーチェを当たらないといけないのではないかと思ったのである。
そしてそれわ読んでわかった気がして、人類は神の手ではなく異星人によって進化させられ、ボーマンは超人になり、さらに赤子となったのであろうとか、中2病的な妄想を抱くようになった。
今回は、もう一度中2の心に戻ろうと、新訳で読んでみた。旧字体や古い文語体が頻出していた岩波版よりかなり読みやすくなっており、中2の時もこれで読みたかったなと思った。
改めて思うのだがニーチェは壮大な中2病なんじゃないか。新約聖書を否定する新たな聖書を作るという発想は尋常ではない。今考えても尋常じゃないのに、19世紀の世界にこれを問うたニーチェはやっぱり超人だなあと思った。
ツァラトゥストラに対してこんな浅い感想で申し訳ないが、お許しください。
Posted by ブクログ
■評価
★★★✬☆
■感想
◯現代神からすると、読みやすい本ではない。分量も全4巻文集力でページ数も膨大。
◯はじめ通読して半年放置していたが、家においてある本書(付箋だらけ)をみて、再読することに。
◯ニーチェ入門思想を数冊読んで原著(本書)に戻ってきたことで、理解が深またkンジがする。
◯書かれている言い回しが難しいのではなく、比喩や例・詩的にかかれているので、その構造を捕まえながら読むのが難しかった。
◯捕まえてしまえば、なるほど、と思うところが随所にあるし、歯ごたえがある本として味わい深い。
◯とくに”没落”という言葉の取り扱い方が難しかったが、善悪含有したベクトル・運動として整理してみたところ、いろいろな事象に説明がつき、クリアにすることができた。
Posted by ブクログ
ニーチェの思想は彼の死後、ナチズムに利用されたと聞いたけど、この本読んでわかる気がした。
大学生の時に読んでたら、悪い意味でハマってたかもしれない。(危ないところだった!)
この本は、隠者というか、社会的常識や価値では不遇な立場にある人が、独特な価値観を持って世の不条理に新たな解釈を与えていく、という造りなのだけれど(少なくとも私はそう解釈した)、世の中に不満というか、満足してない人ほど、この本を読んで根拠のない優越感を持ちそうで怖いなと思った。
(=ナチズムで使われそう)
読んでると、作品の思想に洗脳され、いい気分になるけど、実際のニーチェは(頭はいいのに)モテなかったみたいだし、娼婦買いしてて梅毒で脳がヤラれ死んいる。(女性についての記述はそれを認識して読んだ方がいい)
そう思うと洗脳から覚める。
ニーチェは自伝「この人を見よ」でドイツ嫌いを明言してるけど、ナチが台頭した時代まで生きていたら、ナチズムの選民意識をどう感じただろう?
Posted by ブクログ
この新訳にしか触れたことがないが、非常に読みやすく、面白い内容だった。 対人関係や集団心理、宗教から国家まで、作者の深い洞察力を見てとることができる。
男女の違いや結婚など、身近に感じるテーマの取り扱いも興味深かった。
第1部が最も重要で面白い内容だった風に感じる
それにしてもゲルマン民族について、「忠誠のために悪しきこと危険なことにも、名誉と血を賭けよ、と教育し自らを律した」とは、現在のドイツ人に対するステレオタイプにも通ずるところがあって面白い言い回しだった
超人の思想的には、仏教や儒教に似た内容がある風にも感じたが、解釈は人それぞれということか
Posted by ブクログ
まずはざっくりと西洋思想の歴史について勉強してから読みました。結果良かったです、大正解でした。
そうじゃないと、"神は死んだ"→→→「は??」って感じだったと思います。
簡単に説明をすると、、※完全な自己解釈です!
長らく、ずーっと昔から、数多くの思想家たちは、"真理の追求"について思い巡らせ、様々な持論を唱えていました。
そして「プラトン・アリストテレス・キリスト教の大帝国」が、プラトンの「イデア論」をキリスト教が上手に利用する形で長期的に支配していました。
カントやガリレオなど自然科学の発見・発展によって、
またその後のデカルトの座標軸の発見などによって少し風穴が空く形になりましたが、『神』という存在は根強く染み付いていました。
=本当は神の存在証明からする必要があるのでは…?ということを誰も思いませんでした。
*人間は生れながらにして原罪を背負っている。
*真理は常に神の側にあり、人間の手の届くところにはない。
そんな中、牧師の父を持つニーチェは、幼少期から熱心にキリスト教の信者として育ちましたが、
だんだんと圧倒的な支配に息苦しさを感じていきます。
そして、
神は死んだ、我々は精神の奴隷になどなってはならないと言います。
それまでの価値観に挑戦状を叩きつけて、"「超人」になれ"と言いました。
もともと、
古典においてもキリスト教においても、一番大切な真理は
常に神の側にありました。
でも、もしかしたら我々はありもしない真理というもので自分たちを縛っているのではないか。何しろ背後世界を実際に見た人はいないし。。
原罪(人間はアダムとイブが犯した罪を生まれながらに背負っている。けれど、イエスキリストという人物が1人でこの罪を背負ってくれた。だから感謝し生きていかなければならない。)についても、人間が本当に罪を負った存在なのかということも、キリストが私たちの罪を肩代わりしてくれたということも、どちらにもはっきりした証拠はありません。
人間にはもともと、ある種の神秘性に憧れを抱くという性質があり、それを利用して、人間の手の届かない所に真理という大切なものがあると言えば、それを伝えられる人、キリスト教で言えば神の言葉を媒介する教会が力を持つことになる…そして大衆は永遠に受動的な存在から抜け出すことができなくなる…。
なぜ、一人ひとりの人間が、能動的に大切なものをつかみ取ってはいけないのか、
これではまるで「精神の奴隷」ではないのか?
教会に対して、「ありもしない荒唐無稽なことを言って人間を抑圧するな」と挑戦状を叩きつけるとともに、大衆に対して、「ビビるな!奴隷の立場に甘んじるな」というメッセージを伝えたかったのです。
自分以下のところにある権威に安易に跪くのではなく、
まず自分自身が拠点となり、自身に目を向けようよ、と。
またこの本は、ツァラトゥストラという人物がニーチェに代わり、ニーチェの思想を説いていきます。
なぜそういう形を取ったのでしょうか…?
あくまで個人的な勝手な想像ですが、
ニーチェは超人になれと言いますが、ニーチェ自身は自分は超人ではない、まだその域ではない、という自覚があったからではないのかなと思います。
カントなどは自らの理論をコペルニクス的転回と自画自賛していましたが、ニーチェは違ったのではないかなと思いました。
(あ、でもカントの超越論的主観性の発見も面白いと思いました。)
そんなニーチェの言う超人とは、
*勇気を持って現在の迷いの中にある自分自身を乗り越えていく、そんなポジティブで、積極的で、肯定的な強い精神力を持った人間。
*自分で目的地とそこへ至る道を探して、単独者として進んでいく強さを持ち、戦いを挑み、敗れてもまた立ち上がり、倒れてはまた立ち上がる人間。
*自分の決断というものに責任を持って、自分自身の人生を作っていく人間。
*3ステップ(ラクダ→獅子→幼子)を実行し超人になれと言いました。
ずっと読んでいると、
ニーチェはただ、外的なものすべてに対して、これでもかというくらいひたすら否定しているように感じてしまいますが…
そうではなくて、
彼が言いたかったことは、内的なもの=自分自身に対する肯定の大切さを伝えたかったのだと思います。
そして「永劫回帰」。
彼のいう超人には並大抵の努力ではなれません。
何度失敗しても、決して諦めないこと、そうやって人は強くなれる。
自分なりの解釈ができたとき、とても感銘を受けました。
またニーチェの言葉がわかりやすいのは、彼が「アフォリズム」という短い言葉で本質をつかまえることを目指していたからです。
短い言葉で本質を伝えようとすると、ごまかしがききません。
そういう真っ正面からのメッセージはとても強くてカッコいいです。
また、最近あるアメリカの学者の動画を見たのですが、
"頑張れば/成功したら、幸せになれる"という考え方は間違いで、
私たちは一般的に言われている、幸福と成功の法則を反転させる必要があります。
現状へのポジティブの度合いを引き上げることで、その人の脳は「幸福優位性」を発揮し始めます。
つまりポジティブな脳は、ネガティブな脳やストレス下の脳よりもずっとよく機能し、知能が上がり、創造性が高まり、活力が増大することが研究結果でわかりました。
現状に対してポジティブになることさえできれば、脳はより熱心に速く知的に働き、その結果としてより成功するようになるとのことです。
長期的な幸福について予測できるのは10%くらいで、
あとの90%は周囲の環境ではなく、
脳が周囲の環境をどう処理するかにかかっているとのことです。
ストレスを脅威ではなく挑戦と受け取る能力に掛かっています。
個人的には、ニーチェの考え方に対する科学的な証明かなと思いました。
人により解釈は違うと思いますが、個人的には色々と学べた本です。
そして、
Let's 自己責任での覚悟を持ち自由であれ!
Let's エンドレスチャレンジング!
Let's ポジティブシンキング!
を心掛けたいと思いました。
《2/1追記》
こちらの感想文をニーチェに詳しい方に読んでいただいたところ、「ニーチェの意図を汲み取らないにも程があるけどそこが逆にニーチェ的だ」と言われました(特に永劫回帰のところ)…。
Posted by ブクログ
力をもらおうと思って読んでみた。あまりニーチェ哲学「神は死んだ」「ニヒリズム」「永劫回帰」を意識しすぎて読むのもつまらないと思い直し、ツァラトゥストラという変人(いや超人か)が山の中から出てきた物語としてそのまま読んだ。まあ読み応えはある。ツァラトゥストラが市場に演説しに行って綱渡り舞踏家の亡骸と帰ってくるあたりの序盤は動きがあって良いのに、中盤以降はひたすら語ってばかりなのが物足りない。もっと彼の主張を実践する具体的な行動やストーリー展開を組み込めばよかったのでは。物語をおもしろくするためにも、哲学の理解を深めるためにも。
翻訳が良いからか言葉に力があって読んでいて楽しい。注釈が一切無いのは構わないが、翻訳者の佐々木中という人の巻末解説があればより良かった。
気に入ったフレーズは、
「この巨大な龍の名は『汝なすべし』だ。だが獅子となった精神は『われ欲す』と言う。」 p40
「すべて偉大なものは市場と名声から去って行く。昔から、新たな価値を創造する者たちは市場と名声から離れて住んでいた。わが友よ。逃れよ、君の孤独のなかへ。」 p88
Posted by ブクログ
物語調かつ一話が短いので読みやすい。一方で例えなのか詩なのか、結局何が言いたいかまったくよくわからない。超人とか永劫回帰とか事前に知っていた事柄も、え、こんな程度?というくらいにしか出てこない。わかる人だけにわかるということなんだろうか。