市古貞次のレビュー一覧
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岩波文庫の『方丈記』、まず表紙が良い。年月の経過を感じさせる上品な色合い、大昔の人が書き写した筆文字の上に印で押したような堂々とした「岩波文庫」。他の出版社とくらべても抜群に洒落ている。誰もが知る古典を倉庫の肥やしにせず、かといって変に安っぽく現代風に改変して台無しにするでもなく、しっかり現代に活かす絶妙なデザインではなかろうか。
それに手書き文字を見ていると、活字が発明される以前は本とはずっとこうして人が写して来た物だったのだなとしみじみしてきて、そうなるともう『方丈記』は自分にとって単なる歴史の記録ではなく、かつて自分と同じように、日々起きて寝て食べて、つまらない事にくよくよしたり、好き -
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養和ようわの飢饉(1181)。治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱(1180-1185)
死体の額に阿の文字を書く僧侶。阿は真実と求道心、吽は智慧と涅槃。
他人を頼りにすると、我が身は他人の所有物となる。他人をかわいがると、心は愛情のために使わされる。
庵(いおり)の西は見晴らしがよい。西方浄土に思いをはせる。
春は藤の花。紫の雲。
夏はほととぎすの声。冥土の山路の道案内。
秋はひぐらしの声。はかない現世の悲しみ。
冬は雪。積もり消えてゆく罪過。
朝、行き交う船を眺める。水上を船が通過したあとに残る波。桂の木に風が葉を鳴らす夕方。
松風の音に秋風楽(しゅうふうらく・雅楽)を重ねて合 -
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2012年は、方丈記が書かれてからちょうど800年らしい。
こないだ、8月5日付の朝日新聞で特集があって驚いた。しかも漱石とのつながりで。
24歳の漱石が、ディクソンに頼まれて方丈記を英訳したのは1891年。
その当時の書簡を読んだりすると、どんな心境だったのかわかって面白い。
鴨長明は、たぶんものすごい寂しがり屋だったんじゃないだろうか。
わざわざ隠遁しておきながら、子どもと遊んじゃったりするし。
ほかの本(無名抄)とかでも、まだ歌のことグジグジ忘れらんなくて、かわいいよな。
長明の、人嫌いで、でも人恋しいカンジ。
この味がわからなくては。 -
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とりあえず一般小説というカテゴリに入れたけど違うな(^^;)
それはあとで直すとして・・・
『ゆく川の流れは絶えずして もとの水にあらず よどみに浮かぶ泡沫は かつ消えかつむすびて・・・・』
というフレーズは中学だか高校だか、古文の時間に皆さん一部は触れていると思います。私もそうでした。
当時の私は人付き合いが苦手で友人も中々作れず、ひとの輪に飛び込んでいけないのを美化したかったんでしょうなぁ。
無常とか孤独とかがすごくカッコイイと思っていてこの方丈記の一説がいたくお気に入りでした。
さりとて、全文きっちり読みこなしたわけでもない辺りがお粗末さまでしたー。