ロバート・ジャームス・ウォラーの【マディソン郡の橋】を読んだ。
1995年にクリント・イーストウッドとアニー・コーリーの共演で映画化され、大ヒットを記録した作
品であるので、見た、または読んだ人も多いかもしれない。
小説は全米で250万部を売り上げるという記録も作り出した大ヒット作である。
...続きを読む生涯でたった4日間の愛の物語。だがその4日間が2人の人生において、かけがえのない4日間になる。
不倫の話と言ってしまえばそれまでであるが、愛の形を問わぬとすれば、男が女を求める、または女が男
を求めるという真理において、これほど切なくて魅力ある物語はないのではないだろうか。
主人公のフランチェスカは、結婚を機に生まれ育ったイタリアからアメリカに移住して来た。優しい主人
と可愛い2人の子供に囲まれ、何不自由ない生活を送っているかのように思えた。主人と子供たちが家を
留守にした運命の日。フランチェスカの前にアメリカ人の写真家、ロバート・キンケイドが現れる。彼は
このマディソン郡に7つある屋根付きの橋を撮影しに来たのだが、最後の1つの場所がわからず、偶然見
つけたフランチェスカの家に道を尋ねようと入って行った。これが運命の出会いである。
第一印象から2人はお互いに惹かれあった。フランチェスカは40歳を少し過ぎたくらい。ロバート・キ
ンケイドは52歳であった。
大人の恋愛である。フランチェスカには家族があったが、ロバート・キンケイドは一人身。徐々にお互い
が持つ不思議な魅力に、お互いが惹かれあっていく。
初めは紳士に。徐々に情熱的に。
お互いに一線を越えてはいけないと認識しつつも、気持ちのベクトルが向き合ってしまえば、それを押さ
えることは、もはや難しい事実であった。
お互いの年齢からも二度と情熱的な恋などに身を焦がすことなどないと思っていた2人は、その気持ちと
は裏腹に愛の極地へとのめり込んで行く。
ロマンチックな夜に浸り恋心に身を焦がし、情熱的な夜に身悶えるような愛を交わす。フランチェスカは
1人の「女」に戻り、ロバート・キンケイドは象徴的な「男」であり続けた。
交わされる愛の言葉、さりげない心使いや仕草が、大人の恋でありロマンチックである。
最後の日にロバート・キンケイドはフランチェスカに「自分のそばでいつまでもいて欲しい」と心の内を
告げるが、フランチェスカは「家庭という責任」があると首を縦には振れない。
最後の最後まで、何度も何度も愛し合った終わりに、後ろ髪を引かれる思いで2人は別れる。
車で走り去るロバート・キンケイドの後姿を見つめる最後のシーンは、心に響く名シーンであった。
究極の愛。それは、何らかの宿命を持ってこの世に生まれ、出会うべくして出会った愛であると思う。
ソウルメイトとも呼ばれるこの種の関わりは、あながち嘘ではないと思うのだ。
現世で目に見える結果の形として必ず結ばれるとは限らずとも、2人の魂はそれぞれを探し求めて生まれ
てきた。出会うために生まれてきたのである。この理解を前提に置かなければ、この物語を深く読み進め
ることは困難な作業だろう。
フランチェスカとロバート・キンケイドは、別れた後もお互いの生活に戻りながら、愛し合い続けた。
けして口には出さず、心の中で繋がり続けたのである。それこそ死ぬまでだ。
この2人の愛の事実はフランチェスカの遺書によって明るみに出る。フランチェスカの子供たちがその遺
書を読むシーンもまた心を震わせられる。
精神が肉体を超えた究極の愛の形に触れてみたい人にはぜひ、一読をお薦めしたい作品であった。