内海愛子のレビュー一覧

  • スガモプリズン 占領下の「異空間」

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    現在はサンシャインシティがある池袋の一角には、かつてスガモプリズンと呼ばれるGHQが管轄する刑務所があった。そこにはアジア•太平洋戦争の日本の戦争犯罪者を収容し、A級(平和に対する罪)戦犯のみならず、BC級(B項「通例の戦争犯罪」またはC項「人道に対する罪」に該当する戦争犯罪)の戦争犯罪者も拘置していた。なお日本のBC級戦犯は、横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれており、被告とされた人数は約5700人。そのうち、約1000人が死刑判決を受けている。かの有名な東條英機ら7名の死刑囚は、極東国際軍事裁判により死刑判決を受け、1948年(昭和23年)の12月23日にこの場所で死刑が執行された。刑務所としての歴史を辿ると、もともとは別の場所にあった刑務所が1985年に、この場所に移転されたが、その後、震災などの影響で一度は郊外(今の府中)に刑務所機能は移されるものの、その跡地に未決囚を収監する市谷刑務所が移転してきた流れである。敷地内の処刑場は、スパイとして有名なリヒャルド•ゾルゲが処刑されたことでも知られる。
    本書タイトルを見る限り、よくある極東国際軍事裁判の7名の死刑囚やインドのパルなどの各国の弁護側を扱った書籍を想像するかもしれないが本書は違う。勿論そうした著名な先般の話抜きにスガモプリズンを語るのは難しいが、本書の場合、戦犯として集められた人々が、刑務所内でどの様に過ごし、何を考えたかにフォーカスした内容となっている。GHQにより設立されたのち、二度と戦争を起こさせまいとする思想教育的な意味合いが多かったと思うが、所内での自治の確立にむけた教育制度などが整って行ったことがわかる。また新聞の発行も自らの手で行われるなど、自立心が高まっていくような、環境が徐々に整備されていく。
    その様な中で、特にBC級戦犯たちが何を考え、どういった思想を確立して行ったかの経緯、仲間が処刑されていく中、仏教やキリスト教の団体が設立され反省と考察を繰り返す日々の中で生まれた考え方に着目している点が面白い。また塀の外では戦犯たちを釈放しようとする社会的な風潮が生まれていくが、朝鮮戦争で再び軍備が整備されようとする社会の中で、戦犯たちの中にはそれ釈放自体に疑問を投げかけるものが現れる。狭い塀の中に自由を奪われて閉じ込められ、考える時間が与えられた者たちが戦争と収監を通じた心の中の変化を描き出す。
    そして戦争中は日本の支配下に置かれた朝鮮や台湾の人々にとっては、日本に強要されて行わざるを得なかったというやり場の無い気持ちが残る。そして釈放されても身分がしっかり確立されず、自国への帰還も許されない立ち位置で、どう生活を取り戻していくか。
    本書はスガモプリズンを中心に戦争の本質と向き合い、太平洋戦争の過ちを振り返る機会を与えてくれる一冊だ。誰に責任があり誰を処罰するべきだったのか。戦争開始にあたっては軍部、政治、一般の市民も皆熱気にうなされ戦争を後押しする風潮があった。戦争の最前線で命を賭けて戦い、上官の命令に背くことも出来なかった兵士たち。私は貝になりたいという言葉は示している。やり場の無い想いを二度と誰かに指図される人間になりたくない、その気持ちを生み出したのは戦争である。

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    2026年09月28日
  • スガモプリズン 占領下の「異空間」

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    サンシャインが建っているところにあったスガモプリズンとはどんなものであったかという興味で購入。
    淡々と事実が書き連ねされているだけなのだが、比較的読みやすい。
    以下、印象に残った部分を挙げる。

    A級戦犯は戦争指導者が対象で、BC級戦犯は捕虜収容所勤務者が対象。
    BC級戦犯の中には、戦時中は上命に従っただけなのに死刑になる者もおり、不条理感はある。

    日本軍の敵国捕虜に対する扱いは、食糧事情も含めて劣悪であった。
    そのため、戦後、元捕虜のBC級戦犯に対する報復感情は強かったようである。

    国外でも戦犯裁判は行われ、海外で刑死した者や労役に復した者もいた。

    スガモプリズンの中に「スガモ学園」という組織があった。

    戦犯たちは、フランシスコ講和条約による赦免を期待していたが、その期待は裏切られた。

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    2026年05月09日
  • スガモプリズン 占領下の「異空間」

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    東京裁判A級戦犯の裁判は有名だが、BC級裁判についてはあまり知られていないだろう。
    収容所での捕虜虐待など。上官の命に従っただけでも死刑判決を受け処刑された戦犯が多数。
    本書はサンフランシスコ講和条約後も含めスガモプリズンに収容されていわゆる戦犯を追う作品。
    特に朝鮮、台湾出身の戦犯が故国には戻れず日本国にも見捨てられた事実についてが圧巻。
    戦争中という異常事態、戦勝国が裁くという正義。戦争そのものについても含め深く深く考えさせられた。

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    2025年10月25日
  • スガモプリズン 占領下の「異空間」

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    日本は戦争責任を敗戦責任にすり替え、責任を国民に押し付け、国民はその責任を戦犯に押し付けた。そして戦後を終わったことにして、同じことを繰り返さんばかりである。日本人として日本について考え直さなければいけない。

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    2025年09月05日
  • スガモプリズン 占領下の「異空間」

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    戦後という言葉には、焼け跡から立ち上がる人々の姿がよく似合う。だが、その東京の一角に、時間の流れから切り離されたような場所があった。巣鴨プリズンである。そこには戦犯として裁かれた人々が収容され、処刑を待つ者も、釈放の日を願う者もいた。裁く側と裁かれる側、そして戦争責任の複雑さを描く。戦争が終われば、すべてが終わるわけではない。裁判の向こうには、それぞれの人生があり、家族があり、記憶がある。巣鴨の塀はすでにない。だが、過去を裁いて終わりにするのか、そこから何を引き受けるのか。その問いは今も、私たちの側に残されている。

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    2026年08月28日
  • 体験者「ゼロ」時代の戦争責任論

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     学術的で難解なところ、興味が持てないところも多々あったが、総じて学ぶところの大きな読書だった。体験者「ゼロ」の時代に戦争責任を論ずるためには、体験者「ゼロ」という認識をしないこと、という禅問答のような結論だったが、極めて重要な指摘だと思った。「戦争」とは実際の戦闘のみを指すわけではなく、その背景となる植民地主義帝国主義は、責任を問われることもなく未だ継続する現象で、被植民地住民にとっては未解決の問題でもあるからだ。文学や現代史を学ぶことによって、過去の証言や記録をどれほど自分の問題として捉えられるか、という非体験者のあり様が改めて問われている。最近の戦争を語る軽々しい言葉に危機感を募らせている今、心に染みる言葉が多かった。

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    2026年07月20日
  • 体験者「ゼロ」時代の戦争責任論

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    先の大戦に対する戦争責任をいかに未来の日本人が負っていくかを論じた本ではあるのだけれど、
    私はこれを読んで今後起こりうるかもしれない戦争について思いを馳せた。
    今まで先の大戦に関して民衆には責任がないと思っていたけど、この本を通じて民衆にだって責任はあるんじゃないかと思い始めた。
    確かに今とは時代が違うし、民衆が知らされていなかったことが多かったとは思う。
    ただ無知でいること、無関心であること、戦争反対と思っても声をあげないこと、空気に流されること、その一つ一つが日本を戦争に進めていくのかもしれないとこの頃の日本を見て思う。
    民衆にも戦争責任があるなら、先の大戦に対する責任を負うことだけでなく、未来に戦争を起こさせない責任も負わなければいけないと思った。戦争責任についてもっと勉強したい。

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    2026年03月21日
  • スガモプリズン 占領下の「異空間」

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    「スガモプリズン」のイメージは、かなり大雑把で訂正が必要だけど「大物戦犯の収容所」「逆コースによる釈放」「表の大物、黒幕の大物の接点」「戦前に鬼畜米英から、戦後はアメリカの犬へ」みたいなものだった。
    でも、それだけじゃない。「戦犯」とされたからこその「平和」への希求がそこにはあった。先の大戦を語る上で、埋没してしまいそうだけど絶対に必要な視点。本書の重要な点はそこにある。

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    2026年01月14日
  • 体験者「ゼロ」時代の戦争責任論

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    戦争体験者がいなくなった時に、如何なる戦争責任論を以て、戦争を防ぐか。碩学の論文・討論集。

    印象に残った点を二つ挙げる。
    一つは、従来日本で語られてきた戦争責任論は、個人の体験・証言に依存したものであるということだ。個人の戦争体験は、圧倒的な迫力を以て聞き手の感性に訴えかけるものだが、普遍性に乏しい。論理的に構築された、普遍性のある戦争責任論を打ち出していく必要があると感じた。

    もう一つは、「戦後責任」というワードは、韓国語に翻訳不可能であるという点だ。韓国では未だ朝鮮戦争が終結しておらず、戦後は訪れていない。世界を見渡せば、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、ウクライナ戦争など、1945以降も戦争は起こっている。戦争を過去のものとし、忘却に走らせる負の側面が戦後という言葉にはあるのかもしれない。

    戦争は明白な人権侵害行為であり、決して発生させる訳にはいかない。「日本の戦争は間違っていなかった」などの矮小な議論に終始するのではなく、人類の最悪の犯罪行為を如何にして防ぐか。これについて考えるヒントが、本書にはある。

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    2025年10月22日
  • スガモプリズン 占領下の「異空間」

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    筆者の思想背景を感じつつも、クリティカルな史実を徹底した事実確認に基づきフラットに書き切り、平和への希求へと繋げた研究姿勢には深い敬意を覚える。

    特に印象深いのは、BC級戦犯と『私は貝になりたい』の背景だった。特定の人物や組織を感情的に糾弾せず史実の提示に留めたからこそ、巨大組織が個人を押し潰す残酷さが鋭く伝わってきた。

    上席が免責され末端が責任を負う構造は現代にも通じる。私はこれを陰謀論や個人の糾弾に走らず、「組織構造の課題」として現実路線で捉えたいと考えている。末端が犠牲になる事態を防ぐには、第三者の介入によるボトムアップの仕組み、独裁を許さない社会文化、そして「本当の意味での風通しの良さ」が不可欠。過去の史実を通して現代の組織のあり方を問う本だった。

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    2026年07月05日