竹内整一のレビュー一覧

  • 花びらは散る 花は散らない 無常の日本思想

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    『おのずからとみずから』の前に、肩ならしに読んでみた。最終講義を中心にまとめられたそうで、具体的に噛み砕いて書かれているので、非常にわかりやすい。日本的、日本人的であろうとする時に、その拠り所となるべきは何か、その方向を示している。

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    2012年10月13日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    「さようなら」という言葉には,幾許かの諦めのような認識(そういうことならば)が感じられる一方で,どうにもならない事柄に対する厳しい覚悟(そうならなければならないのならば)も感じられる.このふたつのバランスが微妙に絡み合いながら成立している素晴らしい言葉であるということ,そしてこの言葉にかつての日本人が込めてきた思いはとても切ないものであったということをこの本は示してくれている.
    幾らかの感傷が含まれているのを承知で言えば,井伏鱒二の「さよならだけが人生だ」という言葉の素晴らしさを改めて認識させられた.

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    2012年07月21日
  • 花びらは散る 花は散らない 無常の日本思想

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    3.11以後、どうにも心の収まりが悪くてメゲていた。いくつか本を読んだけれど、落ち込んだ気分の持って行き場がなかった。

    生老病死の苦界の中で「なぜ」と問う,とまどう私に少しだけ立ち居地を分からせてくれた。

    まだまだ読み込まなければと、思う。
    「おのずから」と「みずから」を学ぶことで、光明が見えて来るような気持ちになった。

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    2011年07月07日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    別れを惜しむでもなく、再会を願うでもなく、ただ”さようなら”と言う。
    そうでなければならないのならば。
    潔い言葉です。

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    2009年10月04日
  • 「おのずから」と「みずから」 ──日本思想の基層

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    「おのずから」と「みずから」、そしてその「あわい」に日本の思想と文化の根本特性が現れている、とする著者の代表作。

    個人的には、豊かな説得力を持っていると感じるが、著者の思索そのものは、ここで論じられている西田幾多郎、九鬼周造、清沢満之などの深みに遠く及ばない。
    とはいえ、その着眼点の秀逸さと、適切な引用は、読むものを飽きさせない。

    私は西田幾多郎と九鬼周造の原典を読む機会を与えてくれたことに感謝している。

    西田は「日本文化の問題」から、
    「私は日本文化の特色と云ふのは、主体から環境へと云ふ方向に於て何処までも自己自身を否定して物となる、物となって見、物となって行ふと云ふにあるのではないか

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    2024年08月04日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    「さようなら」とは不思議な言葉だ。
    左様なら、なんなのか。ずっと疑問に思っていた。
    これが別れの挨拶として、定着するに至るまでどのような経緯があったのか、それを考えるヒントにこの本はなる、と思う。
    かつて文章の中で、文学の中で、この言葉がどのように使われてきたか、ということはよく研究してある。

    美しい言葉である。「さようなら」。
    この言葉によって日本人の精神性がわかるか?答えはNOだ。
    挨拶はどのような場面で使われるか、それがどのような心持ちであるか、は、自由であるから。
    ゆえにこの本ももう少し違うアプローチなら、よりよかった。
    内容は大変興味深いので一読の価値はある。

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    2015年06月12日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受け入れている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそうちに埋め火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。

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    2012年10月11日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    [ 内容 ]
    一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。
    なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。
    語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証しながら、別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。

    [ 目次 ]
    第1章 「さらば」「さようなら」という言葉の歴史
    第2章 死の臨床と死生観
    第3章 日本人の死生観における「今日」の生と「明日」の死
    第4章

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    2014年10月27日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    ネタバレ

    「さようなら」は、もともとは「さようであるならば」という接続詞。

    一人称の死は、死後自分はどこに行くのだろうという自己中心的な恐怖になるが、
    二人称の死では、亡くなった大切なひとは自分の中にいることに気づく。この世の大切なひとがあの世になる。

    死とは無になることではなく、自分が生きていた世界はそこにあり続けるけれど、自分はその世界とはお別れしていくということ。
    死ぬことは何よりもかなしいことだけれど、そうならなければならないのなら、そのかなしみをしっかりとかなしむ先に安心がある。

    「この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら」

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    2025年09月07日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    古文、例文が多すぎて所々飛ばして読んだ。

    good-bye→God be with you(神と共にあらんことを)
    さようなら→さらば。そうであるならば。そうでなければならないなら。

    表現の元をたどっていくと、死生観に行き着くのも面白いと思った。
    「東洋風な諦念の美」として賞賛される一方で、「浅薄なニヒリズム」だと批判もあるようだが、過去にけじめをつけて無常を受け入れる言葉、私は美しいと感じた。

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    2025年08月20日
  • 「おのずから」と「みずから」 ──日本思想の基層

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    「結婚することになりました」と、みずから起こしたじしょうをおのずから起こったことのように伝える…そんな日本人の感性をふかーく紐解いていてとても面白い。あくまで学術書なので検証が繰り返される点は少し読みづらく感じた。

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    2025年05月07日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    テーマが面白い!と思って手に取ったが、小難しいことがいっぱい書いてあった。別れの挨拶は世界的にも3つに分類(①良い別れ系②再会系③神のご加護を系)されるらしいが、「さようなら」はどれにも当てはまらず、この独特の別れ方から、日本人独自といえる文化を見つけだそうとする試み。「そうならざるえないならば」という諦観と、受入れる心、文章や会議の最後に「以上です。」と付け加える風習との類似性から探っている。面白いが小難しい。

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    2019年07月24日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    昔「さよならは別れの言葉じゃなくて~♪再び逢うまでの遠い約束~♪」という歌があったけど、やっぱりさよならは別れの言葉なんだなあ、と思った。「再び会う」期待や祈りは込められていない。花は散る、人は死ぬ、諸行無常。「さらば」「さようであるならば」さようなら、なのだろう。いろんな人の死生観なども語られているが、特に十返舎一九の辞世の句、志賀直哉や吉田兼好が印象に残っている。

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    2018年03月15日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    東大倫理思想のペリカン文化人は眉唾本が多いが、本書は、さようならという言葉を巡って、日本人の精神のありようを少しづつ浮き彫りにしていく。その思索の様は、特に文学作品の豊富な引用とあいまってなかなか説得力もある。日本人の「哲学」とは本来かくあるべきという良いお手本ではないかと感じる。

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    2013年06月23日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    先行の事柄が「そうであるならば」
    不可避の定めによって「そうならなければならないならば」

    「さようなら」という言葉自体には過剰な希望も悲哀もないけれど、それを口に出すためには事実を事実として認めつつも胸の内に押さえる覚悟が必要だ。そしていくらかの諦念も。本書を手に取ったときはまさか死生観の話になるとは思っていなかったが、日本人の時間に対する考え方やものごとの移り変わりを見つめるまなざしが、多様な文献によって浮かび上がってきて興味深かった。

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    2013年05月30日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    ネタバレ

           -20090325

    アメリカ人の女性飛行家A.リンドバーグを「これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない」と言わしめた別れの言葉-「さよなら」の持つ人間的な温かみと人知を超える厳しさ、そして生と死の「あわい」で揺れるその両義性‥。

     心の際-こころのきわ  -2009.04.13記

    この「さよなら」が、「さようであるならば」か、はたまた「そうならなければならないならば」のいずれに偏るものか、その判別も下しかねるが、ただおのれ一身の「心の際」-器量のこととして受けとめずばなるまい。
    いまはただ、本書の中で採られていた、浄土真宗の僧であった金子

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    2013年03月29日
  • 花びらは散る 花は散らない 無常の日本思想

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    大学の教材でした。
    日本思想についてというと読みづらそうですが、
    タイトルの意味と「おのづから」「みずから」の章を読むだけでも人との出会いや今ここに在る自分について考えさせられます。
    哲学の講義で使用しましたが、ほかの分野にも繋がるような面白さがあります。

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    2011年08月18日
  • 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

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    どうでもいい話をえんえんと説明してくれる。タイトルを見ずにまとめ買いした一冊。しかし、なかなかエキサイティングな本だったのでびっくりしたことを思い出す。
    「左様なら」というのは日本だけらしい。ラリー・エリソンが「サヨナラ号」を持っていたことも思い出した。

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    2011年03月01日