ローラン・ビネのレビュー一覧
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ほとんどが史実に基づいているため率直に「面白かった」と言っていいのかは分からないけれど、とても良い読書体験であった。この小説は、単なるノンフィクションではない。単なる装飾に満ちた歴史小説でもない。小説とは何か、歴史を小説にするとはどういうことか、創作はどこまで許容されうるか、みたいな小説論や倫理観を愚直に誠実に問い続け、その過程もまるっと小説としてまとめ上げてしまっている。このような小説は初めて読んだ。
特にハイドリヒ襲撃から、捜索、追跡、報復に至るまでの過程の緊迫感は圧巻だった。
ガプチーク、クビシュ、ヴァルチーク等のパラシュート部隊の英雄達はもちろん、彼らを陰で支えたレジスタンスの方々に敬意を表したい。時代の風雪に次第に彼らも忘れられていってしまうだろうけど、そのような勇気ある人々がいたのだということを、この小説は後世に伝え続けていくのだろう。
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ルネサンス期のフィレンツェ、10年以上もかけて描き続けているサン・ロレンツォ聖堂のフレスコ画の前でマニエリスムの画家ヤコポ・ダ・ポントルモが槌で殴打され、鑽で胸を刺されて殺害され、彼のアトリエにはフィレンツェ公コジモ・デ・メディチの長女マリアの顔をしたヴィーナスとキューピッドの、問題視される絵が残されていた。ポントルモを殺したのは誰か? いかがわしい絵を描いたのは彼か?コジモは、信頼する画家で建築家で美術史家のヴァザーリに、事件の解明を依頼する。ヴァザーリは、ローマでサン・ピエトロ大聖堂の建設に携わっているミケランジェロに書状を送り事件を知らせ、助言を求める。謎を解き明かすのは誰になるのか。
ヴァザーリとミケランジェロ、マリアと遠縁のフランス王妃カトリーヌ・ド・メディシス、カトリーヌ・ド・メディシスとコジモの敵であるフランス軍元帥ピエロ・ストロッツィ、ミケランジェロとヴァザーリ、ルネサンス期末のイタリアを巡る人物たちの書簡で構成ーいわゆる書簡文学である。書簡文学の有名どころはラクロの危険な関係だ。あちらが175通に対して、こちらは176通、一つ多い。
当時、イタリアには統一国家が存在しなかった。もっとも統一国家を望んだのが、ロドリーゴ・ボルジア(教皇アレクサンデル6世)の息子のチェーザレと言われる。よって有力者は婚姻によって強い絆を保とうとした。トスカーナ大公コジモが狙ったのは、イザベッラ・デステで有名なフェラーラ―侯爵領を有するデステ家だ。両家の縁談が壊れれば得をするのは、商業で栄えるイタリアの都市国家を我が物にせんと企む君主たちだ。フランスか、それとも、神聖ローマ帝国か。
書簡は基本一対一のため、主観しかない。それらを全て目にする読者だけが、俯瞰した視点を手にする。つまり、絵の一部分しか見られない登場人物に対して、遠近法を用いた絵を見ることができる。事件の謎を巡る話と並行して、『危険な関係』へのオマージュと見られる、もう一つの企みも進行する。
尚、マリアはデステ家と婚姻せず、代わりに彼女の妹ルクレツィアがデステ家に嫁ぐ。しかし相手はとかくの噂がある人物で、その顛末はルクレツィアの微笑に詳しい。ルネサンス期が好きな人にはお勧め。 -
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鉄、銃、馬、病原菌。これらがすでにインカの人々の手に渡っていたら? 史実とは逆に、インカ帝国がスペインを征服するという設定の歴史改変小説。
「アタワルパがスペインへ行って征服する」という筋書きを決め、あとは自由に想像する手もあったはず。しかし本作は、膨大な資料をもとに実在の人物をチェスの駒のように配置し、歴史を綿密にシミュレーションして、4年をかけて書かれたそうだ。ここまで作り込んだからこそ、まるで本当にあった歴史を追体験するかのような物語になったのだと思う。特に、宗教観の対立をめぐる人々の心の動きが興味深かった。
キリスト教会の前に貼られた、
『太陽神の九十五か条の提題』は、ルターの『九十五か条の論題』をインカ側から反転させたもの。
「太陽神は嫉妬せず、民を選ばず、少数を救ってその他を闇に葬るようなことをせず、地上の全ての人間を恵の光で照らす」
選民思想はなく、すべての人が平等に救われ、死によってすべての義務から解放される。当時、贖宥を得るために財産を削っていた市井の人々には、ルターとはまた違う衝撃を与えたのではないか。そんなことを想像してしまう。
そのルターが、未知の宗教を何でも自分の知っているキリスト教の枠組みに当てはめようとする姿も印象的だった。自分の知っている世界を基準にしか未知のものを理解できないという姿は、文明と文明が出会ったときに起こる「異文化理解」の難しさそのものにも見えた。
インカの人々、メキシコの人々、ヨーロッパの人々。
この世界は、この先も戦争を繰り返したのだろうか。2026年現在には落ち着いているのだろうか。
それぞれの宗教観や文化が混ざり合ってできた、もうひとつのヨーロッパに行ってみたいと思った。
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この本はどういう風に受け止めれば良いのか、迷うような小説てすね。
第二次大戦中に起きたナチス高官ハイドリヒの暗殺事件を取り上げていますが、いわゆる歴史小説のように作家が想像の羽根を伸ばしてストーリーを組み立てるのではなく、資料で確認された事実を丹念に記述し、かつ、その資料を探索する過程とそこでの思索や感想までが、みんな小説の一部になっています。
でも、それでいて退屈な自己満足ではなく、クライマックスに向けてぐんぐん加速して惹き込まれていきます。いつの間にか、自分も1942年のプラハにいるような緊張感や、ドイツ占領下の重い空気が伝わってくるようです。
ちょっと不思議な小説でした。 -
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ネタバレナチスのユダヤ人大量虐殺の責任者であったハイドリヒがチェコで暗殺された事件を描くお話
ハイドリヒの生い立ちや、暗殺に至るまでの過程を大量の資料や、過去の小説、映画などを参照しながら書いていくのだけど、それを書いている作者の視点が随所に織り込まれて、歴史を小説という形で創作することについての考察が並行して語られていくという構成
映画「ハイドリヒを撃て」を見ていて、暗殺計画の行く末は知っていたので、歴史的な部分よりも、歴史を創作することの是非を考える部分の方をとても興味深く読みました。
読んでいて、これはあまりにドラマチックに描きすぎではないかと思っていたら、直後に作者自らがそのことをつっこんだりしていたのがすごく面白かったですね。
資料のないところは創作しないと書けないけど、勝手に歴史を変えてしまうことに対する葛藤みたいなのが出てきてしまって、結果的に普通なら盛り上がりそうな場面がすごくあっさりしていたりするのも面白い。
この小説自体が映画化されてるのだけど、どんな感じになってるのか気になる。映像化することの葛藤を交えた映画化だったら面白そうだけど、ちょろっと調べた感じそうではなさそう。 -
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フランス・パリ出身のローラン・ビネのデビュー作であり、2009年に本国で出版、2013年に邦訳が出版された本作、『HHhH』。この謎めいたタイトルが渦めく装丁に興味を惹かれて書店で購入したのだが、その感覚がは大いにあたり、ストーリーテリングの面白さと、極めて技巧的・意識的な仕掛けに溢れた一作。
タイトルの奇妙な4文字はドイツ語の「Himmlers Hirn heißt Heidrich」という文章に由来しており、”ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる”という意味になる。そのヒムラー、すなわちナチス・ドイツの親衛隊(SS)のトップであったハインリヒ・ヒムラーにその頭脳として仕えたラインハルト・ハイドリヒらが本書のモチーフ及び舞台となる。
より具体的に言えば、その頭脳を持ってユダヤ人の虐殺や制服した諸国での恐怖政治を指揮したハイドリヒを亡きものとするために、チェコのプラハで立ち上がった2人の若者による暗殺計画が本書のストーリーの骨子である。・・・のだが、本書が特異なのは、その史実を元にした小説を書くための作家本人を主人公に据えて、「小説を書くということの小説」とも言えるメタレベルの視点を持った小説に仕上がっている点である。
さまざまな事実調査をしながら書き進めていく難しさ、その個々の史実に対する作家自らの感想などが合間に挟まりながら、それでいて悲劇的なクライマックスに向けて突き進む2人の若者の暗殺計画が綴られていく。高いリーダービリティを持ちつつも、メタ小説の面白さにも溢れており、改めて小説という枠組みでまだまだ面白いことができる、というその可能性を強く実感できる1冊だった。 -
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Himmlers Hirn heißt Heydrich.
訳:ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる。
タイトルは上記の単語の頭文字をとったもの。
ヒトラーが生み出したナチという思想を、そのまま具現化したかのような金髪の野獣、死刑執行人、ハイドリヒ。
ユダヤ人大虐殺の首謀者である彼を暗殺すべくイギリスから飛んだチェコ人、スロヴァキア人の青年二人を主人公に据えた史実に基づく小説。
訳者あとがきに言いたいこと全てが書かれている。僕はその上澄みをここに貼り付けることしかできない。
いわゆる歴史モノ、ナチモノ、ノンフィクションモノである本書だが、他と一線を画するのはその小説スタイルだ。
脚色を排し、膨大な史実に裏付けされた出来事を忠実、誠実に、ともすれば偏執的に細部のディティールにまで拘り徹底した歴史を書く。
それだけでも確かに凄いことなのだが、
それだけでは小説ではなくただの年表になってしまうし、資料の書き写し、Wikipediaにしかならない。
とはいえ、膨大な裏付けをもってしても描ききれない出来事を想像により補填してしまえば、
それは歴史を歪めたフィクションになってしまう。
その歴史と小説、事実と脚色の間をせめぎ合う様さえ読者に詳らかに語るストイックで誠実なスタイルは、小説とは何か?という哲学さえ投げかけている。
結局著者が辿り着いた答えは、
リアルタイムにアップデートした歴史を断章によって掛け繋いでいき、まるで映画の副音声のように著者が俯瞰して語り、史実をインプットした上での考察、情景、登場人物のアウトプットを果たす。というスタイルだ。
そこには、その情報の確度や、別作品からの比較や、幅広い知見からの総合的判断が加わり、
その当時の悲惨さや時代背景や生活を見ることができ、
弱者が一矢報いる物語の歴史性を損なわずに話を展開していくという離れ業をやってのけている。
歴史小説という側面もあるが、本書が評価された理由は詩小説的で、純文学的で、歴史モノなのに日記のような私小説感のある読み味にあると思う。
誰かに入り込むのではなく、あくまで自分自身の視点で歴史を捉えるところに文学性が生じ、ノンフィクションノベルとしての新たなスタンダードになり得る小説なのかもしれない。
だからこれを著者自身が基礎小説と呼んだことに些かの疑問もない。
この小説は、あらゆる文学が貫いてきたスタンスのエッセンスを含んでおり、"われわれ"がそう在れと願った純真さと好奇心で読者を満足させることだろう。
第一部はほとんど敵であるハイドリヒやナチサイドの歴史話がほとんどで少し重い。
しかし第二部に入ってからはページを繰る手が止まらず、
ラストスパートへと怒涛の畳み掛けがある。
事実は小説よりも奇なりというより、
ありったけの事実を小説にすることの奇を見ることのほうがよっぽど稀だと思う。
42年のプラハの事を眼前にありありと浮かぶ体験。
その暗殺する曲がり角を、ヒトラーのヒステリーの鼻息を、ハイドリヒの傷口に入り込んだメルセデス車のシートの中の馬毛を、
ガブチークの楽天的態度も、クビシュの微笑みも、礼拝堂の地下も、蹄の音も、自転車も、服装も、戦争も、ユダヤ人も、、、
終盤のあの書き方は必見。
布石は序盤に撒き散らしてあるので、
何故作者がそこでそんな風に書いたのか、
そんなところを鑑みるのも一興。
効率度外視の無駄の極みこそ人間味で、
ひいてはそれが文学なのかもしれない。
おわり。
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Posted by ブクログ
2014年、第11回の
本屋大賞・翻訳小説部門第一位受賞作。
ナチス第三の男/金髪の野獣と言われた
ラインハルト・ハイドリヒの暗殺作戦を軸に描いたノンフィクション・ノベル。
ナチスドイツについては外側の情報が強すぎるせいで、
なかなか手の届かないその内側の一端に触れてみたくて読んでみた。
率直な感想としては、これは小説というジャンルに分類していいのか、というところ。
作者の意識を仮託した「僕」が当時の場面を垣間見ていく。
資料に対して肉付けしていく作業が作家の見せ所だと思うのと、歴史小説を書くときに作者の主観が混ざる葛藤は、それを乗り越えてこその歴史小説じゃないの?というのが個人的な所感。
ナチスドイツという人類最悪の題材のひとつが真摯に向き合うことを要求するので、
作家の作品に対する姿勢が顕著に浮き彫りになるのだろうとは思った。
実際の人物の言動について多く触れられていて、
当時の息遣いはしっかり感じられる作品。 -
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ポスト・モダンの論者達は名前は殆どは聞いたことあるなあという程度。とりあえず本書に手を出してみた。
ポスト・モダンの小説や、映画、絵画をテキストして扱う論評、作家や芸術家の意図など無視して、テキストと扱うあのやり方がクダラナイと思っている。成程、ロラン・バルトがその首謀者なんだな。
それ以外にもミッシュエル・フーコーやドゥルーズ、カタリ、クルスティーヴァ、エーコと沢山登場。僕の知らない名もあるから、どれが実在している記号論者か、架空の人物か不明。しかし、本当に名誉棄損で訴えられないかね。サウナのハッテンバでのフーコーとか、コーネル大学での打ち上げでのエーコーとか酷いもんだよ。ちょっと女性にはお勧めできないなあ。
前の世代の輝きに対する著者の恨みが反映されているらしい。それにしてもねえ。
さて、探偵役はバイヤール警視と学者シモン・エルゾク。後半、シモンがロゴス・クラブに乗り込み、討論対決する場面が面白かったかな。
主人公2人をほったらかしにして著者が話を進める箇所があったり、やや関係のないヴェネチアに関する歴史の記述があったり、シモンが自己を小説内存在であったら、どうなのかと頭を悩ませたりと、変な記述が其処此処にある。
だけど、前半で怪しい人物を尾行していった理由は何だったんだ?それに危機の場面で助けに駆け付ける日本人2人って何なんだ。
じっくり読み返したほうが良いのかなとは思うんだけどねえ。まあ、止めときましょう。