毛利恒之のレビュー一覧
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夏の本で思い出すのは『月光の夏』という戦争小説。
ある小学校で古くなったピアノを処分することになったが、老年の女性教師がそのピアノにまつわる思い出を語ったことから、一転して、保存することになった。
そのピアノは日本でも数台しかない貴重なものだった。 戦時中、特攻を翌日に控えた二人の音大出身の学徒兵が、この世の名残にどうしてもその貴重なピアノを弾きたいと、遠くからやってきて、生徒たちの前でベートーベンの『月光』を演奏したことがあった。その美しい音色は少年たちの心に、そして若い女性教師のこころに深く刻まれた。
思い残すことのなくなった二人の学徒兵は、翌日勇んで特攻機に乗りこみ -
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おそらく、戦後の日本には無数の風間氏がいたことだろう。
戦火の中を生き延びた、ということを喜びではなく一生の十字架として背負っていく。
読みながら、ずっと頭の中にさだまさしの『戦友会』という曲が流れていた。
戦地に赴いた無数の若い命も、それを見送った人々も、必死だった。
それは正しいとか正しくないという尺度とは次元の違う話であり。
それでも、戦争は悲しい。
戦没者に敬意を払うならば、簡単に戦争しろ!などと口にすべきではない。
平和がそんなに軽いものならば、祖国を、大事な人たちを守るためだと信じて運命を受け容れ、戦に散った無数の命が報われない。
(以下、さだまさし『戦友会』より歌詞 -
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目頭が熱くなりっぱなしだった。
特攻前日に
「死ぬ前にピアノを弾かせて下さい」
と特攻隊員二人が鳥栖の国民学校を訪れ小学生の前でベートーベンの「月光」を奏でる。その後南の空へ出撃していった…
どんな想いで今生最後のピアノを弾いたのだろうか。今の世の中ならもっとピアノも弾けたし、立派なピアノ奏者になっていたかもしれない。
演奏後、子供達に言った言葉が心に残ります。「僕も特攻隊に行きます。」と言った男の子に「おまえたちがいかなくていいように兄ちゃん達が行くんだよ。おまえたちが大人になるまでこの国を残すために兄ちゃん達は死ぬんだからね。」特攻隊の方々は皆こういう気持ちで旅だったのだろう。
そしてど -
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ネタバレ鳥栖の小学校にある、古ぼけたグランドピアノ。
今はもう誰も弾くことはなく、粗大ごみとして捨てられようとしていた。
元々は昭和5年鳥栖町婦人会の母親たちが「子どもたちに美しい音楽を」とお金を出し合いドイツに注文して取り寄せたピアノだった。
そして、出撃間近の特攻隊員が、ピアニストになる夢を持っていた若者たちが、最後にピアノを弾きたいとわざわざ訪ねて弾いて行ったものだった。
なんとかピアノを残してほしいと、特攻隊員たちに対応した女性が話したことで、それはラジオドキュメンタリーとなり、映画となり、この作品となったのだそうだ。
最初に小学校の児童たちの前で話した時は「感動した」という感想が多買った -
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鳥栖小学校の古いグランドピアノの廃棄処分が決まった。
年配の教師吉岡は、そのピアノを前に、45年前の特攻隊員の話を語った。
『永遠の0』など、特攻隊の話はいくつか読みました。
突撃に失敗したり、機械不良などで不時着したり、戻ってきたりした隊員がいた事もそこで知りましたが、振武寮の存在とその意味は今回初めて知りました。
どの話を読んでも、戦争の不幸ばかりを知らされる思いです。
様々な事実を知らな過ぎた私は、更に学ぶ必要があると思います。
そして、多くの人にも知ってもらい、このような不幸が再び起こることがない世の中を皆で作り続けていかなければならないと改めて強く思います。