小島信夫のレビュー一覧
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執筆された1965年周辺において、エポックメイキングになった作品。
大沢真幸氏の本に紹介されていたので読んでみました。
戦後、日本人家庭にやってきたアメリカ人と一夜をともにしてしまう妻。そこから、家族の崩壊が徐々に進んで行き、結局は全てが崩壊の道筋を辿ってしまっていっているような印象でした。
様々な媒体で採り上げられている本書なので、当然ながら「戦後日本とアメリカ」という視点からの通読でした。
非常に解釈が難しい内容だとは思うのですが、日本人としてのアイデンティティの危機、そしてアメリカという存在の大きさ・強さ。作中において、登場する日本人の誰よりも、アメリカ人ジョージが最も「優位」になっているように感じてしまうのは、僕だけではないと思います。
著者があとがきでも書いているように、書かれた当時と今では、当然解釈も違うし、今読めば今に生きる意味がある。
この本は、当時の「日本」と「アメリカ」の関係を、そのまま恐ろしいまでに擬人化したものなのではないでしょうか。この作品を通して、当時の日本とアメリカの関係が、とても明解に見えてくるような気がします。
日本人としてのアイデンティティを考える上では、欠かせない一冊になるのではないでしょうか。
「“あいつ”は日本人の身体を軽蔑したのではないか。情のうすい時子の身体に失望し、馬鹿を見たと思ったのではないか」(p137) -
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戦後を経て豊かになりつつある日本で、あるエリート家庭を描いた物語。
物語は大きく3部で構成されている。
前半の妻の不貞を皮切りにおどろおどろしい変化を遂げていく夫婦の関係の行方がまずは本書の読みどころである。夫婦の破滅、もしくは更生へと話は進んでいくかと思いきや、ある出来事によって意外な展開をみせる。
主人公である夫俊介の、家族にとって旧態依然とした「妻」の役割への執着は、現代からみたら眉をひそめざるを得ない。ここに時代の変化を感じる。
しかし、三輪家内における今にも崩壊しそうな危うい関係性や、互いに距離を置きながら依存する姿は現代でも通ずるのではないか。親から見た子どもの頼りなさ、子どもからみた親の傲慢さと滑稽さを本作は随所に描き出している。その家族像はどこか不穏である。
終盤の主人公俊介の日常から逸脱しそうな思考とやけっぱちな行動には、ハラハラしながらもいっそう物語に引き込まれる魅力がある。ある種錯乱状態に陥った俊介がたどり着く先は。その結末が気になり一気に読み進めてしまう。
家族とは不変なものとして存在するものでなく、関係を維持し続けることがかくも難しいものであると本書は暴き出している。 -
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戦中から戦後にかけての私小説集。それぞれの物語に関連はないものの、読み進めるにつれ、だんだんと時代が進んでおり、周りの環境の変化を味わえた。最後の二作である「馬」と「鬼」では戦争を感じさせる描写はほとんどなくなっていたが、カニエビのようにどこか戦争の影響のメタファーのようなものが残っていたように思う。
個人的には「小銃」「星」「微笑」が好きだった。
「小銃」は、まだ若い兵隊が自分に初めて与えられた銃を女性に見立て銃の腕を磨いていたが、上官の命令で捕虜の無防備な女性を撃ち、それをきっかけとしてだんだんと精神が壊れていく話。最終的には、期待されたこともできず、銃も取り上げられるが、以前に褒められた捧げ銃だけはしっかり行うなど、矜持を捨てきった訳ではないという意地を通す場面が好きだった。
「星」はアメリカからの帰国子女である主人公が、日本軍入隊後に軍の序列を表す星の数や装飾にやたらこだわるようになる話。いじめられている自分が昇進することが星に対する無礼だと考えたり、星のない上官を上官と認識できなかったりと星自体を偉いと思うような極端な考えになっていき、ミスが続き上官に切腹を命じられた際に自分の臍を一つ星だと思ってしまう描写には、階級に振り回される主人公に対し意地悪な笑いと共に哀れさが込み上げてきた。戦争が終わり、日本へ帰国する船の中で戦勝国の兵士が日本兵から星のついた階級章を取り上げて記念に持って帰ろうとするシーンも印象的だった。自分の階級章がなくなって初めて自分の服の色を意識した主人公の帰国後の生活が気になる作品だった。
「微笑」は戦地から帰った主人公が息子が小児麻痺だと知りそれをどうしても愛せない自分を見つけ、屈折した感情を抱きつつ子育てを行う話。息子の病気が自分のせいではないことを知って安堵する一方、不具の息子と不具ではない娘や周りの子を比べ気分が沈み街中で小児麻痺の子を探してしまったり、不具以外に自分の吃りまでも受け継いだ息子の吃りに対し癇癪や暴力を抑えられなかったりと、大人になりきれない描写が痛々しかった。差別を差別という言葉を使わずに表した短編だったと思う。最後に小児麻痺の子どものプール教室に行き、そこの「誇張された善意」「善意の氾濫」に交じり、微笑みながら「僕はいったいどう見えるのだろうか」と考えて終わる主人公のどこまでも自分の感情に振り回されてしまう浅はかさに、むしろ清々しいものを感じた。自分とは明らかに違う人の自分と似た点を見つけてしまった際に、考えを改められない自分を責められているように感じた。
ここで触れなかった短編のものも含め、いずれの主人公もどこか気弱で時代や他の人に翻弄され続けていた。それを淡々としながらも気持ちが積み重なるような丁寧な描写で書かれており、人生は理不尽さや無常さを感じながらもそれでも続いていくのがどこか不思議に思ってしまうような読後感だった。 -
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ネタバレ重層的な作品。
ジョージ=アメリカ・占領軍・GHQであったり、妻の時子=戦前の天皇制・伝統であったりなど、あきらかに戦後の日本の体制を描いていると見える。
死んだ時子のいた日本間(アメリカ式の家の一区画である!)に友人の木崎とともに寝に行く息子の良一も示唆的だ。
「家」にめちゃくちゃ執着する。最初の家を、妻=戦前の日本がジョージに寝取られたのちに仮の住処を一度挟んでからアメリカ式の家に住む。ただそのまま乳がんが見つかって時子はどんどん容態が悪くなってやがて死ぬ。妻=天皇がいれば雨漏りもしなかっただろうにと嘆く場面もある。
「家」が文化とか、そういう文化的な伝統みたいなものの暗喩として働いている。その中でうごめくさまざまな登場人物たち。
妻が死んでからは、新たな妻・主婦を探そうとみんなが躍起になる。神としては死んだ天王に代わる倫理的支柱を求める。「魚の眼」に思えるような女性を新たに妻にしようとする。人間化した天皇の個人としての性格は無視して、ただ象徴としての、機関としての主婦を求めていく。
家にいると自由がないと困ったり、やっぱり家にいる方が自由だと感じたり、「家」をめぐって自由に関する意識もねじれている。核家族という新たな形式にも未だ慣れることはない。
しかもこの小説、そういうメタファーを一切とっぱららったとしても面白い。服屋の店員が妻の病名を聞かなかったり、娘の泣くのをちょっとだけ見下したような目線で見たり、そういう人間の美しくない機微を逃すことなく捉えている。大谷さんが玄関で転ぶのを俊介が目に入れてしまうこともそう。
ジェンダー的な読み方もできそう。 -
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目次
・汽車の中
・燕京大学部隊
・小銃
・星
・微笑
・アメリカン・スクール
・馬
・鬼
敗戦前の軍隊や終戦直後の日本を描いた短編集。
例えば雑誌で、たまにぽつりぽつりと読むのならいいのかもしれないけれど、一冊まるまるこれというのはちょっときつい。
『汽車の中』なんかはまだ余裕だったので、世間知らずの学校の先生が、初めて闇物資を買いに行って、なりふり構わない世間の人々に比べてあまりにも繊細な自分には生きる価値がないと思ってしまう姿を見て、共感したり突っ込み入れたりできたけど。
軍隊の中のいじめの話とかは、読んでいてもちょっと引いちゃったよね。
そんな中で『アメリカン・スクール』は、敗戦後の日本で、学校の先生たちがいかに混乱していたのかが、ユーモアを伴って切実に迫ってくる。
真っ先にアメリカに媚びる人、組織の体面だけを重んじる人、声の大きな人にただただついていくだけの大勢の人たち、目立ちたくないがゆえに逆目立ちしてしまう人。
そして唯一の女性。
彼女が、卑屈なまでに会話を拒否する伊佐に何を借りようとしたのか、が、思わせぶりに書いてあったけど、うーん…当時はこれで成功していたことになったのだろうか。
とはいえ、断トツでこれが面白かった。
あとは、妻主導で家を建てることになったものの、途中で夫が邪魔になれば精神病院に入院させ、気がつけば夫の部屋より立派な馬小屋を作り、馬の五郎を溺愛する妻に頭のあがらない夫の話である『馬』が面白かった。
夫が情けないのもあるのだけれど、妻がサイコパスですかってくらいやりたい放題で。
これだけはちょっと時代を超越していると思う。 -
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家に出入りする米軍士官への嫉妬から
家族は仲良くあらねばならないという理想を引っ張り出して
妻を拘束しようとする夫の話
しかし所詮それはプライドを守ろうとする行為でしかなかった
ゆえに道化にはなりきれず、お大臣の夢を語るでもなく
なにより敗戦国の美徳観念が抑制をかけるのか
何をやってもかっこつけに見えて
妻のみならず、みんなに馬鹿にされてしまう
ところがその妻も
米軍士官の誘惑を受けた負い目があるのか
あるいは貞節を傷つけられた恥の意識に苛まれてか
どうもヒステリーで支離滅裂になっており
そのことが小説を悪文に見せてわかりにくくすらしているのだった
それでも家長の威厳を保つため、主人公は
家をポストモダンに新築するが
まもなく癌で妻が死に
新しい結婚相手を探すうち
要するにわれわれは自由主義と封建主義のダブスタで生きてるのだ
進歩的とはそういうことだ
そうわかってきて、生前の妻の偉大さが身にしみると
家政婦の誘惑も目に入らないのだった -
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小島信夫の短編集。芥川賞をとったアメリカン・スクール。秀逸な「馬」等全八編。
「馬」は不思議な作品だ。最初は家をローンで買って、ひたすらローン返済の為に働いている夫。そしてその行為さえ曖昧になってきた。しかし、妻を愛しているものの、顔をまともに見たことが無い。自虐的に妻への服従を誓わされている。すると、いつの間にか、家が増築されるという。更には、増築した1階には馬の「五郎」が住むという。その行為に、憤慨する夫、しかしなかなか言えず、頭がおかしくなってくる。棟梁が家に来ているとか、馬が妻の部屋に入ってくるとか幻想だか現実だかさえもはっきりしないトランス状態に陥り、最後は、妻から「愛しているのはあなたよ」と今まで聞いたことがない愛の告白を受けるというストーリー。馬は夫の男としての尊厳のメタファーであり、そこに挑んで行くという風に感じられる。そこがリアリティに繋がりつつ、同時に不思議な世界に誘う。
なんじゃそれはという世界に、極々自然に入って行く感覚、どこからが現実でどこからが幻想なのか、ドラッグ的な、酩酊的な世界。短編の中でも、この夢のような世界に気持ち悪いくらい入って行ってしまうのは「馬」だろう。
その他、日米関係の滑稽さを入れたりと風刺が効いた短編が入っている。鬼才という表現がぴったりの作家だ。 -
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そのキャラクターの持って生まれたおかしみや愛嬌を、落語の方では「フラ」といいます。たとえば、古今亭志ん生なんかその典型ですね。他の落語家の高座と聴き比べていただければ、私のような素人でも分かります。高座だけでなく、私生活でも「フラ」を発揮していたようで、たとえばジェット機がガクーンと急降下すると「危ないよォ。つんのめったらどうすんだい」とか、「そこにある犬の糞、それェ片づけなよ」に志ん駒が紙で取ろうとしたら「手でやんなよォ―。いい百姓になれないよ」。おかしいですよね。
小島信夫さんの作品は今回初めて読みましたが、「フラ」を感じました。小島作品をそんなふうに評した人は恐らくいないと思いますが、そう感じたんだから仕方ない。
たとえば、「汽車の中」という作品で、警察官が網棚の青年に注意する場面で言ったセリフ。
「おい、君はそういう態度に出るのなら、こちらも民主的に出られないな。君の荷物はどれだ」
「民主的」という言葉の使い方にニヤリとします。警官が注意する場面ですから、そこには恫喝が含まれていますが、「こちらも黙ってられん」ではなく「民主的に出られない」。緊張が緩和しておかしみを誘うのですね。
恐らく、著者は笑わせようと思っているのではないと思います。いや、徳川夢声が志ん生を評して、「どっかで受けようとしているはずだ」と語っていますから、計算ずくかもしれません。だとしたら、その作為を徹底的に覆ってしまっているところがすごい。
「馬」という作品での「僕」と妻の「トキ子」の会話は表面上は真面目なやり取りですが、何とも言えない間があっておかしいです。
「僕」が帰宅すると、家の敷地に材木がうず高く積んであります。「誰かがこれで以て家を建てるに違いない」と見当をつけた「僕」が、材木を置かせてほしいと頼んだのは誰かとトキ子に訊ねます。
「誰におかせてやったの」
「さあ、何といっていいかしら、誰にもおかせてやらないわ」
「すると、これはどういうことになるの」
「私が置かせたのよ」
「そう、誰が建てるの」
「そりゃ、あなたよ」
自分の建てる家のことを自分が知らないことに、「僕」は「まったく闇夜に鼻の先をつままれたような、一方的なかんじを受けざるを得ない」と感想を語ります。
「感じ」を「感じ」ではなく、「かんじ」と漢字を開いているのに感じ入ります。
とにかく横溢するユーモア、諧謔を堪能しながら読み耽ったのでありました。