鬼頭宏のレビュー一覧
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高齢化社会と人口減少社会。
今後の日本の形を語る時に大きな問題点として認識しているこの問題。
文章の中で論理的に無理な飛躍が、無く非常にわかりやすい構成。
以下に私が特に気になった箇所をご紹介。
(1)1974年発布された「人口白書」の中で、「人口を抑制するべき」と明言していた事実。つまり当時の計画通りの状況になっているという事実に驚き。
→変化する外的要因に対応して、方針を変化させてこなかったの?
(2)世界の人口問題も2050年までは発展途上国を中心に急激に増加するがそれ以降は人口停滞期にはいるという予測
→今は中国・インドの人口爆発。その後はアフリカ。と人口が増え続けるんだという間違 -
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ネタバレ[ 内容 ]
歴史人口学の専門家が、文明史と人口変動の波動の中で「江戸」を捉え、少子化と環境保全の切っても切れない関係を解き明かす。
「環境先進国・江戸」に学ぶ21世紀の地球のあり方。
[ 目次 ]
プロローグ―二十一世紀を読むヒントは江戸時代にあり
第1章 文明史における江戸時代
第2章 成長と開発のメカニズム
第3章 災害見本市のような時代
第4章 動物受難のとき
第5章 開発と産業発展
第6章 疫病と都市の環境史
エピローグ―静止人口へのソフト・ランディング
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
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内容は予想外でした。私的に“××年に○○が原因でこれくらい死んで~”みたいに書いてあるのかと思ったが違いました(そういう書き方が皆無ではないがメインではない)
人口に関する記録は少なく、推計しないと割り出せないらしいです。その割り出し方が難しく、半分以上は理解出来なかったと思います。
日本人が患って死ぬ病気についても知れるかなと思いましたが、なんと当時の病気の言葉が現代のどの病気に当てはまるかわからないものが多いそうです。残念。
あとこれは予想通りですが、ほぼ江戸時代のデータですね。仕方ない。
徳川文明という言葉は気に入りました。
気になる言葉もあります。農民という言葉が引っ掛かりますね -
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ネタバレ2007年の日本総人口1億2777万人から2055年には8993万人、2105年には4459万人。
世界で人口爆発が問題化していたこともあり、1970年代の日本は出生率を抑えこもうという機運があった。出生率低下は多産多死→多産少死→少産少死に移行する。その要因は1.乳幼児死亡率の低下(不必要に多産でなくてもよくなった)、2.結婚と出産の不必要化(農業社会→工業社会への転換)、3.現代文明への不安感。
人口増加は、食料生産、さらに言えば土地の面積に依存する。生産が追いつかないため、人口増加は確実にストップする(マルサス)。産業革命で人口支持力(収容力)は格段に増加したものの、結局人口過剰によ -
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日本の人口について研究した本。縄文時代の終わりに約8万人だった人口は、弥生時代に60万人、平安時代末期に680万人、江戸時代直前は1200万人、明治時代の初めは3300万人、太平洋戦争後の昭和25年は8400万人と増加してきた。その間にも人口増加の停滞する時期があり、気温のダイナミックな変動が主因だったことに驚かされる。江戸時代の間引きや堕胎についての生々しい記述もあるが、それが日本の明治以降の近代化のスピードが他国よりも速かった理由としているのを受け入れるのは複雑な心境である。現在、日本の人口は減少に転じているが、日本が人口停滞社会を向かえるのはこれが初めてではないことがわかる。
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ネタバレ自分用メモ
・2055年に8993万人、2100年に4459万人
・1974年『人口白書』で「静止人口をめざして」と題し、増加し続ける人口を停止させ増えも減りもしない静止人口への実現を目指した。
→出生率を2程度に抑える。その後シンポジウム等で「子供は2人まで」という宣言がなされる
・出生率低下の原因 ①乳幼児死亡率の低下 ②子供を産んで子孫を残すことを必ずしも必要としなくなった、当たり前でなくなった ③現代文明の行き詰まりを予想させるような不安感
・従属人口=経済的・社会的に「支えられる側」0~14、65歳~
・生産年齢人口=「支える側」15~64歳
・生産年齢人口が従属人口の数の2倍を -
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歴史人口学の成果を紹介。日本の人口は縄文前期の十万人程度から,千倍ほどになった。この間七千年,人口は一貫して増えたわけでなく,増加→頭打ち(減少)という波を四度経験してきた。
縄文中期までの気候の温暖化が最初の人口増加をもたし,30万人程度まで達した。次第に寒冷化し人口は激減するが,弥生時代に入り,水稲農耕が定着するあたりから急激な人口増が見られる。その後,平安時代になって600万人前後で人口成長は鈍化。
さらに14世紀ころから市場経済の展開とともに人口は増えてゆき,江戸時代の18世紀,3000万人で人口は停滞。明治維新による近代化以降,急速な工業化は人口増をもたらし,間に太平洋戦争を挟