石黒マリーローズのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
毎日誰かしらの聖人の日。
面白いとも思うし、一方ではちょっと大変かも、とも感じる。
御公現祭、聖灰の水曜日、聖パトリックの日、シュロの主日、聖水曜日、過越の祭、復活祭、感謝祭、クリスマスといった宗教の記念日の過ごし方。
洗礼に始まる、人生の節目ごとの儀礼。
政治家のスピーチや、映画の中に見られる聖書や、神に関わる言葉。
こんなふうに、本書では、たくさんの切り口から、生活の中に息づくキリスト教のことが示される。
本書の中で好きなのは、映画『ブラザー・サン シスター・ムーン』からのもの。
フランシスコ(聖フランチェスコ)が、女性に心を動かされて自分を責める弟子に、「貞操の誓いは規律ではない。それぞれが自分のできる範囲で神を愛すればよい」と許してやるところ。
残念ながら、平和や愛を説くキリスト教が、むしろ不寛容や争いを生んだ過去を知っているので、むしろ戦闘的な宗教というイメージがある。
が、このエピソードには、懐の深い部分もあるのかも、と思わされた。
私はクリスチャンではないので、クリスマスも祝わないし、十字架のデザインのアクセサリーも身につけたくない。
敬虔なクリスチャンをしっているから。
けれど、本書の中で、何度も、日本人がクリスチャンでないのに教会で結婚式を挙げたがったり、クリスマスやヴァレンタインやハロウィンでお祭り騒ぎをするのを批判されると、ちょっと複雑な気分がする。
人は変えられない。
目くじら立てずに、放っておけば、と言いたくなる。
日本では、明治以降、知識人層にキリスト教が受容されていった経緯があるせいか、何か権威主義と結びつくきらいがある気がする。
そういうものを感じてしまうのかも。 -
Posted by ブクログ
10年ほど前に買って読むのを挫折した本。最近英語の勉強を再開したので読み通すことができた。
英語、というか欧米の文化を理解するのにキリスト教の知識は不可欠と思う。この本では信仰が英語表現にどう現れるかということを通してそれを教えてくれる。著者がクリスチャンであるから、著者の考え方じたいもキリスト教に関するよい情報となっている。
例示された英文がまださっと読んで理解する、というレベルにいたっていないので精進が必要だと痛感する。
ちなみにTOEICでは宗教的な表現はほとんど出ないので、資格試験のテキストとしてはあまり有用ではない。
映画や洋楽などの英語表現を理解するのには役立つと思う。 -
Posted by ブクログ
日常よく使われる聖書の表現を取りあげ、その表現の解説とどのように日常生活で使われるのか例をあげて説明している。
この本の特徴は、テレビのニュースや実際の職場でのやりとりといった具体例をあげていることで、これによって読む者の理解も深まり知識として定着しやすくなっている。
著者はレバノン人で日本の大学で教鞭をとっている。そのためか、「聖書」に馴染みのない日本人にも読みやすいように「聖書」と適度な距離を置いているので、「聖書」がいかにキリスト教徒の生活に根ざしているのかを理解できた。
また、日本人が気軽に「○○のバイブル」といった表現は「こういった本来と異なる使い方は、キリスト教徒には不快に映ることがあります」という意味がよくわかって、「よくわからないキリスト教徒」が身近な存在になった気がする。
第一章から全部読む必要がなく興味のあるフレーズから目を通して読んでもよいだろう。「聖書」の入門としてはうってつけ。さらに深く知りたければ、そのフレースの出典箇所も書かれているので、実際に聖書にあたることも可能なのも嬉しい配慮だ。 -
Posted by ブクログ
下記『聖書の英語の物語』と同じく、聖書を題材にした、よく用いられる表現の解説とそれが新聞や雑誌、テレビなどでどのように使われたかという実例を紹介している。一部の内容は『聖書の英語の物語』と重複しているようにも思える。実例でよくクリントン大統領が出てくるので少々古い感じがするが、全体的に分かりやすいし、すぐに読めてしまう。
ただ残念なのは、ほとんどの表現は日本語に訳されたものしか紹介しておらず、英語が出ていないものが多かった。実例を含めて、少なくとも、紹介している表現については英語を載せてほしかった。また、著者の日本人に対するお説教的な態度は下記『聖書の英語の物語』、『キリスト教文化の常識』と変わらない。 -
Posted by ブクログ
キリスト教の文化や習慣などが紹介されている。『聖書の英語の物語』(上記)同様、著者のお説教的な態度は気にいらないが、簡単なことだが知らなかったことやあやふやなことも解説されている点は役に立った。
ところでやはり、著者が自分のキリスト教観を日本人に押し付けている感じが本書にも漂っている。真の「国際化」のためには日本人もキリスト教圏の外国人と接する時にはキリスト教の習慣を身につけなければならない、というのが著者の理屈だが、どうも著者や、この意見に賛成する人は「国際化」「国際人」という意味が分かっていないのではないかと思う。「郷に入っては郷に従え」というのはもっともなことだが、国際化とはそういうことではない。国際化という言葉の下で重要なことは文化的相対主義であって、日本人がキリスト教の文化や習慣を理解するとともに、外国人の人も日本人のやり方を理解すべきであるということだ。日本人がキリスト教の文化に従わなかったからといって、「残念だ」と思うのは「国際人」の態度ではない。日本人のことを知らないでキリスト教に従わない日本人の態度を「残念だ」と言う人がいること自体が、国際化という枠内においては「残念」である。特に、「真似る必要はない」とは断っているものの、国際社会においては、日本人も外国人と同様にキスや抱擁をすればいいのに(pp.203-204)などといった著者の態度は「国際人」という視点からはとても受け入れられるものではない。
以上の著者の態度さえ差し引けば、この本はキリスト教文化についての入門書として良い本であるということになる。