新訳で再読。フロイトは「欲動とは、生命のある有機体に内在する強迫である」と述べ、その強迫とは生命以前の姿へ―死へと回帰するタナトスの欲動を提唱していたが、ここにあるのは正にそうした死へと同一線上にあるエロスの放出だ。全身から漏れ出るエクスタシーと体液は禁忌を破壊する潤滑油となり、そのベクトルは生の彼岸を飛び越える。生田耕作訳より肉々しく描かれる目玉の話はより下劣さが強調されながら、翻って一筆書きで描かれたようなマダム・エドワルダの静的さや思弁性が対照的に浮かび上がるようになっている。形而上学的変態小説。