内田麻理香のレビュー一覧
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内容情報
[日販MARCより]
カソウケンとは、主婦である著者、研究員Aが家庭生活を科学する研究所“家庭科学総合研究所”のこと。家の中には謎がいっぱい。「散らかる部屋」から「子どもの脳」まで科学する楽しいカソウケン日誌。
[BOOKデータベースより]
生活を科学する家庭科学総合研究所日誌。「散らかる部屋」から「子どもの脳まで」科学するこれぞ、カソウケンの主婦。
カソウケンの1週間(シミ抜き;寝かせる科学;色の変わる科学 ほか)
カソウケンの1年(宝石の科学;遷移;高分子 ほか)
カソウケンの研究レポート(つわり;母乳;「触る」の効用 ほか) -
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『科学との正しい付き合い方~疑うことからはじめよう』を読んであれこれ考えた。
この本のタイトルは非常に意味深です。
カヴァー帯には「文系目線の、文系のための科学リテラリシー本の決定版」などと書かれているし、確かに本の趣旨と章立て全体の構成は、科学というものと日常の関わり方を解いているものです。
し、しかし、、、この本は誰に向けて書かれたものなのでしょうか。
「文系目線の、文系のための科学リテラリシー本の決定版」??? ですが、ほんとうに文系の人がこの本を手にとって読むのか?私ににそうは思いにくい。そうであれば良いのでしょうが、多くのケースは内田氏のような「科学」普及を考えるひとたちが読むのではないのかと思えます。この本を手に取るのがそのような人だとすると、内田氏のテキストは反発を買うのではないだろうか。
筆者内田氏は文字通りのこのタイトルと論旨全体の中で、いろいろな意味で、科学への想いをこめて書き綴ったのでしょう。ただ、内田氏の戦略なのか、文系の(理系でない?)人に理解を求める形式をとりながら自らを含めて科学技術関係者への反省と警鐘の意を込めているように思うのは私だけでしょうか。
例の事業仕分けの時の科学技術界の反発の様子は記憶に新しい。科学技術を「事業仕分け」のような短時間の検討で片づけていくのは確かに本質的にはなじまないと思う。しかしながら内田氏の素直な感情として謙虚な自省の弁なきまま反発するということへの疑問は同感だ。それで何もかもが許されたままになる時代でもない。科学技術に対する無批判な夢を謳歌する国民感情は昔の話だ。「事業仕分け」という出来事だけを切り取ってみれば、政治の世界の話ではない。国民(総体)感情の問題であるのだと思う。
みんなわかっていると思う。科学技術が特別ではない。芸術も文芸も音楽も、経済も政治も科学技術も「理解してもらいたい」という気持ちは当事者にはあるだろうが、それが決定的な要素にはなりえないと思う。なにもかも理解する人間はいない。皆、先人たちが積み上げてきたものに何らかの形で恩恵を受けている。それが高度な言語と文字を持つ人間という社会性を持つ「いきもの」の大きな力なのだと思います。ただし、それは社会全体をとらえたときに言える総体としての姿であって、個人個人に生きた形で花開くものではない。「見えない」科学技術、生活の中のいたるところに在るはずの科学技術は、内田氏の言うように感じ方によっては毎日を豊かにするものかもしれない。しかし何がその人の毎日を豊かにしてくれるのかは、人それぞれ。私は科学技術が「疑うこと」「 わからないことを、白黒はっきりさせないでペンディングしておく」にするという氏の一貫した科学的思考法は非常に重要なポイントと思う。ただし「科学マニア」な私の感情であって、多くの人にとってもそうかというと正直なところ難しいと思う。
科学技術だけが特別な存在ではない。がしかし「人類」的な危機に科学技術が重要な対抗策となる場合が多いのは事実。(これは時間軸で推論可能な未来将来の問題・仮説設定になじむため。) ただし、上手く機能させるには政治学が要るし、実働させるには経済学が欠かせない。広く浸透させるには社会学や「コミュニケーション論」があり、ひとりに落ちるには、哲学が必要になったりする。
「国家・国民」、「地域」または一定の集団単位、どれ一つ同じでない「私」という範囲レベル
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蓄積学習する「過去」、経験で十分予期判断可能な「現在」「明日」、知識で推論可能な「将来」、望みの束ねられた夢の「未来」という時間ファクター
このヴァリエーションとして、政治や経済や科学技術、哲学が機能している姿や価値があるのだとボンヤリと考えています。
さらに言えば、推論・仮説ということだけでもないと思ったりしてます。非連続で予期されにくい事象は、先の様々な学問の構築的な形の「はずれ」から立ち現われてくることが、往々にしてあるものです。アート、、、科学技術もその一面があって、多様性の大きなうねりをもたらしています。
最初は小さな創造(ずれ)→共鳴振幅(モード)→多様性→選択→関係性(問題化)→構造化(普遍化)→拡大化(浸透化)→安定化(固定化)→(ループ)
これは常に繰り返されている構図で、この大きなうねりに、かつては科学技術が良くも悪くも実際に社会を大きく変化させていく原動力になっていたし、それに対する無批判さへの反省も歴史的には常に行われてきました。
これは大きな・長い時間スケールでの視点ばかりではなくて、個人個人の幸福感、疑問や違和感の集合としての「時代感覚」としてもありますから、内田氏のような人の話が生きてくるのだろうと思っています。
う~ん、考えすぎて、あたまの中がモヤモヤしてますが、何となく感じることがいろいろあった本でした。 -
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著者の内田さんのお話を聞く機会があり、
その帰途に書店でゲットした一冊。
ワタシは常々、難しいことを簡単な言葉で
説明できる人のことを素晴らしいと思って
いるのだけれど、この内田さんはまさに
そういう人。
サイエンスコミュニケーターとして、科学の
面白さを文系、ひいては広く一般の人に
伝えようと試みを続けている。
だから、この本も、講演を聴いている時と
同じようにすんなり頭に入ってきた。
この本の中でワタシがいちばん面白いと
思ったのは二点。
一つは、「ノーベル賞・フィールズ賞受賞者
による事業仕分けに対する緊急声明と科学
技術予算をめぐる緊急討論会」について
書かれたくだり。
これを「ぞっとする全体主義」と評したのは
あっぱれ!と言葉をかけたくなると同時に、
著者の芯の強さを見た思いがした。
もう一つは、話の本題からは少しそれるけれど、
手塚治虫が『鉄腕アトム』で描きたかったのは
科学と人間のディスコミュニケーションだった
ということ。
つまり、アトムは手塚治虫の意思から大きく
離れた存在になってしまったということ。
これはまったく意外だった。 -
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しみ抜きを例に「極性」を解説し、片付けから「エントロピーの法則」に迫る。暮らしの不思議から科学を発見する入門書。
まずは大胆に説明を簡略化してあるのが偉い。つい「この先がおもしろいんだよ~」と欲が出そうなところを、ばっさり切って、カンタンにカンタンに書いてある。扱う範囲は広大だけれど、ダジャレ・著者の失敗談も膨大なので、ついついスルリと読まされてしまう。
そして、出版物として偉い。この本のもととなったカソウケンホームページも「ほぼ日」の文章も読んだけれど、やはりこの「本」のほうがはるかにデキがいい。著者には申し訳ないけれど、編集がちゃんと仕事したんだろうなぁというつくり。図版のないページはほとんどないし(科学モノの図版は面倒なものです)、イラストもテイストとしてばっちり。不飽和脂肪酸の説明に出てきたイモムシなど、なかなか秀逸。文章もネット上のものより読みやすく感じるのは気のせいか?
タイトルには「非実用?」とあるが、実用になる部分は多いと思う。人は腑に落ちて初めて、行動が変わる。たぶん「焼き網を十分に熱する」理由がわかったほうが、失敗が少なくなるだろう。 科学ネタのエッセイとして秀逸だと思う。また日頃、リクツの解説に悩んでいる編集者として、そうかぁこういう語り口があるのかと勉強になった。 -
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ネタバレ科学と人々との関わりについて、主に非理系を対象として書かれた本。
理系の立場で読んでも、新しい気づきや考えさせられることが多かったです。
「見える科学と見えない科学」の話、
そして、サイエンスコミュニケーションのあり方など。
まずはどれだけ身近な科学(見えない科学)と仲良くなれるか、がカギだと感じました。それは、理系のマニアが「見える科学のおもしろさ」を伝えるのとはまた違うこと。(理系だと非理系の気持ちがわかりにくいのが傷です。)
寺田寅彦のように、自然科学にどっぷりつかった状態から一歩引いて、自然科学との付き合い方について考えるのも大事だな、と感じました。 -
Posted by ブクログ
科学教育にかかわる人のほとんどは,科学が好きな人だと思う。でも,好きだから見えなくなってしまうこともある。それらを見逃さないために,科学教育にかかわるすべての人に,この本を読んで欲しいと思った。
わたしは,小学生のときの担任には深く感謝している。大変熱心な方で,病弱なわたしをよくフォローもしてくれた。でも,理科は専門ではないようで,「?」と思うこともあった。中学でも,残念ながら,理科の教師のよい思い出がない。言うことを聞かないと,すぐに声を荒げたり手を上げる教師もいた。わたしは科学に対する「信仰」が強かったので,「科学教の信者」に成長していったが,人によっては「ブレーキ」になったと思える。
娘は,高校で理科が苦手になった。別に高校の理科の先生が悪かったわけではない。中学のころは,先生が言う通りのことを覚えていけば,それなりの優等生になれた。でも,高校では違っていた。中学の教師は,生徒に優しい先生だったのかも知れないが,「科学的思考法」を軽視し,「科学的知識」に偏った指導をしていた。効果は遅れて現れるが,これもまた「ブレーキ」と言えるのではないか。
ただ,きちんと教えようと,理屈をこね過ぎても「ブレーキ」になるだろう。そのように考えると,教師もなかなか大変だ。
“世界一でなくてはいけないのか”という蓮舫議員のことばに,「信者」であるわたしは熱くなった。何てことを言うんだ。そんなことは当たり前だ,と思った。でも,しばらくして,熱が冷めてくると,「異端」の魔が差してきた。
そして,ノーベル賞科学者の記者会見をテレビで見て驚いた。権威で押し切ろうとする姿勢は,科学的な説明になっていない。わたしが思い描く科学ではなく,実在する科学の一端を見る思いがした。わたしはいまでも「科学教の信者」ではあるが,この件に対する思いは,著者とかなり近い印象を持っていた。
実は,「科学教」に対する「異端」の心は,いわゆる文系の人たちとのやりとりで生まれてきた。特に,物理がさっぱりわからなかったという妻とは,意見が合わないことが多い。でも,よく考えてみると,自分の危うさが見えてくることもある。「疑う心」の大切さを知らされた。妻は読み聞かせのボランティアをしている。わたしが「水からの伝言」を知っているかと聞いたら,“読み聞かせの候補にあがったことがあったが,ヘンだと思ってやめた”と。文系,理系の別ではなく,これを“ヘン”と言える感覚が重要だ。
このように,わたしの経験を重ねてみると,この本に書かれていることの多くは,わたしの思いと一致していることがわかる。そのためか,心地よく一気に読むことができた。
ただ,わたしの思いが著者の考えとは異なる点もある。たとえば,次のようなこと。
わたしは「科学技術」ということばを好まない。「科学」と「生活」を結びつけようとすると,「技術」が必要になる。切り離せなくなってきていて悩ましいが,わたしは,文化としての「科学」が定着して欲しいと願っている。「技術」は「産業」とのつながりが強く,「科学」がそこに引き込まれ過ぎると,文化としての扱いが希薄になるに思えてしまう。
また,わたしは,酒の席でも血液型と性格の関係は否定する。科学で認められていないからではなく,根拠のないことで差別が生まれる危険があるからだ。「水からの伝言」と同様に問題だと思っている。このことを妻に話したら,“その場の空気を読みなさい”と言われた。でも,その場の空気よりも大事なことがあると思っている。
なお,異なる考えを知ることが,自分自身を疑ってみる機会になる。この本はきちんと書かれているからこそ,しっかりと考えることができるのだと思う。読みやすい本でありながら,考えさせられて頭が整理されたと感じた。 -
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科学的なお話でなく、一人一人の生涯を面白エピソードを中心に追ったもの。
・ニュートンの母親は息子のために再婚したが、新しい父はニュートンを連れてくることを認めず、祖父のもとで育った。それは後まで尾を引いた。自分を散々コケにしたフックに、その死後に復讐した。
・ダーウィンは2代目ウエッジウッド伯爵の叔父の援助で、ビークル号に乗れたし、科学者になれた。叔父の一つ上の娘と結婚。夫をよく支える妻だった。ダーウィンは研究三昧の悠々生活を送る。
・ガロアは、校長に反抗、退学処分に。その後、過激な運動に参加。最後は、ガロアを振った女性の婚約者との決闘で死亡。
・ファーブルはフランスではあまり知られていない。ヨーロッパ人は「神は世界を創造し、悪魔は虫を作った」なんて言う。
・ノーベルは経営の天才で、父と兄の会社を立て直した。ダイナマイト発明後、散々非難された。死後、親戚や元恋人、ノルウエー王まで彼の遺産に群がる。彼が好きだった女性の上司が数学者だったので、ノーベル数学賞ないと言われている。
・南方熊楠は、ネイチャーに50報の論文を載せた。奇人だったが、柳田国男は彼を認めていた。孫文とは友人。昭和天皇も彼に関心を持ち、イギリスで発表した論文を読んでいた。熊楠は天皇の前で講義をしたが、25分の予定が天皇の希望で伸びた。その時、キャラメルの箱に入れた粘菌を天皇に献上した。妻のことをよくのろけていた。
・アインシュタインはとんでもない女たらし。熱烈なラブレターを送って結婚した妻のことを「背負わなければならない十字架」「めったにないブス」と言って、浮気を繰り返した。離婚後も女性関係はやりたい放題。息子2人からは見放される。
・ボーア兄弟はサッカーが得意で、弟はオリンピックのサッカーのデンマーク代表、科学者になった兄は補欠だった。サッカーの試合中でも、講演中でもいきなり放心状態になって、思いついたアイデアの考察にふける。シュレーディンガーを招待し、迎えの駅でいきなり議論を開始し、深夜まで議論を続け、シュレーディンガーは熱を出すが、寝込んだベッドのそばでボーアは議論を続けた。
・シュレーディンガーは、女性にもてもて。情事ノートまでつけていた。友人の妻を妊娠させ、彼女を「たまたま友人と結婚したが、実は私の第2夫人」とのたまう。
・ハンフリー・デーヴィは、滅茶苦茶イケメンだったが、弟子ファラディーの才能にひどく嫉妬した。デーヴィ夫人は平民のファラディーを使用人扱いした。
・パウリがいるだけで近くの機械が壊れたり、爆発が起こると言われた。これを「パウリ効果」と言ったそうな。議論の相手に迫って、相手がのけぞった時に椅子が壊れて、そこにいたガモフが「パウリ効果だ!」と叫んだ。非常に毒舌で、学生の時、アインシュタインの講演中に突然立ち上がって「アインシュタインの言っていることは、そう馬鹿げていない」と言った。
・ハイゼンベルクはボーアのお気に入りで、常にそばの置かれて議論を吹っ掛けられた。彼の出張中に、ようやく不確定性原理の論文をまとめた。イケメンだが女性にもてず、36歳でようやく結婚。人間関係も手先も不器用。ボーアとの不可解な会話の後の決裂は映画になった。ナチスの手先と非難された。
・ラヴォアジェは美男美女夫婦で、ダヴィッドが肖像画の描いている。妻は夫の薫陶で業績を残すまでの科学者のなった。最後はあわれギロチンに。
・ニールス・アーベルは天才数学者。美青年だった。生涯不遇。死後、ノルウエーの英雄と言われる。彼のアイデアを利用した論文を出したヤコビに、それを遥かに凌駕する論文を書いて、ヤコビを霞ませた。
・オッペンハイマーは非常に多彩な業績を残した。躁うつ病やアルコール依存症といった精神的に不安定な女性に惹かれ、略奪婚で結婚した女性との結婚生活は知人に地獄と言われた。トルーマン大統領に「私の手は血まみれです」と言った。水爆開発に反対し、ソ連のスパイに仕立てられた。
・ファイアマンはエンタテーナーで、おふざけ大好き。 -
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内容情報
[BOOKデータベースより]
あたりまえを疑うことから、科学との付き合いははじまる。身のまわりにあふれている科学技術の種を拾うだけで、「新しい扉」が開かれ、あなたの毎日は変わることだろう。文系と理系の間に立ち、サイエンスコミュニケーターとして活躍してきた著者が、科学技術とのゆるいかかわり方、楽しみ方について語る。文系目線の、文系のための科学リテラシー本の決定版。
初級編 科学によくある3つの「誤解」(「『科学離れ』が進んでいる」ってホント?;「もともと『科学アレルギー』の人は多い」ってホント?;「科学は、身近ではない」ってホント?)
中級編 科学リテラシーは「疑う心」から(科学リテラシーとは?;知識よりも、思考が重要;科学的なものの考え方とは?;疑う心を阻害するもの)
上級編 科学と付き合うための3つの視点(社会の中に科学技術を見る;見えない科学技術に目を向ける―「見える」科学技術と「見えない」科学技術;理系だけにまかせない―「自調自考」型と「おまかせ」型)