埴谷雄高のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
なぜこの作品が日本文学史上で重要だとみなされたのか、むしろ当時の文壇の状況に関心が向いてしまう。
各登場人物にそれぞれの思想を語らせているが、結局は一人作者の頭の中にある考えを分配しているだけだというのが透けて見える。そのせいで、独立した人格の衝突が引き起こすドラマという面白さは期待できない。個人の生きがいであれ、政治システムであれ、自分の独自性を主張したいが、考えを整理できない姿を、そのままさらけ出しているという印象だった。
この『死霊』を一種の私小説だと考えてよければ、固定観念にとりつかれた人間の露悪趣味の作品として受容しておきたい。
最後まで付き合うべきかどうか判断に迷う。 -
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最終巻。七章、矢場徹吾が延々と語る物語が肝だが、最後の章は尻切れトンボ。
津田安寿子の誕生祝いで多くの人物が集結するのに、全員がじゅうぶんに喋る前に終わってしまっている。おそらく、このパーティーの場は次章にも続く予定だったのだろう。
しかも肝心の、主人公三輪与志は結局黙り込んだままで、ほとんど何も語らず何も行動しないままに終わってしまう。彼の思想を代弁するように、周囲の人物があれこれ語っているだけだ。こんなに変な小説はない。たぶん、この小説はまだまだ続くはずだったのだろう。
埴谷雄高自身、生前「この小説は絶対に終わることができない」と語っていたはずだが、それにしても、これではいくらなんでも中途 -
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1巻を読んでたときは「ちょっと青いんじゃないの?」と感じていたが、埴谷雄高のスタイルに慣れてきたのか、優れた部分も見えてきた。
埴谷雄高はドストエフスキーを「思想の書」として読解しており、私はバフチン的な読み方に賛同するので、彼の理解には同意できないけれども、それでもドストエフスキー流の「ポリフォニー」構造は、『死霊』の中に生かされているように思う。
作中の個人個人がもつ抽象的な思考が、会話の中であまりにも簡単に理解し合えすぎているのでリアリティはないものの、ポリフォニー的重層性によって、それなりに奥行きができている。
この小説は難解に見えるかもしれないが、表出されている思想自体は、実はそんな -
Posted by ブクログ
もちろんこの小説の存在はかなり昔から知っていたが、書店で見つけた「第8章」のハードカバー版を買い、そこだけ読んだこともある。
戦後日本文学にとって重要な作品らしいが、吉本隆明さんなどによる辛辣な批評もあって、どうもいまだに「評価が定まった」とはいいがたい小説なのではないか。
観念小説である。
ドストエフスキーを参照しているだけあって、たくさんの人物がどんどん出てくるが、彼らの交わす会話はいきなり抽象的で、日常生活の次元からはあまりにもかけ離れている。
この巻には1章から3章まで。
この作品に出てくる若者達の年齢はよくわからないが、たぶん20歳台前半だろう。そんな青二才が、ずっと年かさの中年男に