あらすじ
晩夏酷暑の或る日、郊外の風癲病院の門をひとりの青年がくぐる。青年の名は三輪与志、当病院の若き精神病医と自己意識の飛躍をめぐって議論になり、真向う対立する。三輪与志の渇し求める<虚体>とは何か。三輪家4兄弟がそれぞれのめざす窮極の<革命>を語る『死霊』の世界。全宇宙における<存在>の秘密を生涯かけて追究した傑作。序曲にあたる1章から3章までを収録。日本文学大賞受賞。
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Posted by ブクログ
おもしろい。冒頭の蒸し暑さや、全編に散りばめられるギャグ。この小説、全編を通じてひとつのことしか言ってない。それが、一番最後の絶叫なんだよね。
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さっぱり分からん。
いや、分かるんだけど、こんなに読者に不親切な小説もない。
なぜこんなに七面倒な言い回しと言葉を多用するんだ!!
自同律の不快と虚体について登場人物たちとその妄想が渦巻く不毛な論争のストーリーです。
ストーリーといえるかどうか・・・・
自同律とは「私が私であること」
虚体とは「これまでに存在しなかったもの」「決してありえないもの」
だそうです。
読むのには相当の労力を要します。
Posted by ブクログ
序文から第3章まで。以前読んだのは学生時代だから、30数年ぶりか。今の方が読んでいて面白い。第3章、黒川建吉と屋根裏の蝙蝠とのエピソードが心に残る。狂言回しとしての首猛夫に対するかすかな苛立ちなど、昔読んだ時の感情が蘇って来る。 423頁
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これをこの本棚に入れるか否か迷った。
というのも足掛け六年、未だに自分はこの本を「読めていない」気がするのだ。手探りで読もうとすれば、たちまち掴んでいたものが消えてしまう感覚。あと何年かかることやら。
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学生時代にハードカバーで読みました。非常に哲学的な小説。それでいながら、推理小説のような雰囲気も持っている気がします。好き嫌いは、はっきり分かれると思います。未完であるのが残念で仕方がありません。
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『ゲド戦記』とともに永遠のバイブル。
時空を超えて「存在」を問いかけてくる作者の手腕と想像力にあと何度読み返せば追いつけるのか。完成を目指して再筆した矢先に逝ってしまった作者がのりうつれる語り部は今この世にいるのだろうか。。。
文庫で再版されたので手に入りやすくなりました。
Posted by ブクログ
本書は、浅く読み流すべきものではない。深く読み込み、何度も咀嚼すべきもの。この中には、存在の秘密、生命の意義などについて、思索のエッセンスが緻密に詰め込まれている。日本の誇るべき文学作品のひとつ、という謳い文句は断じて伊達ではない。同様の文体、話のつくりでもカラマーゾフの兄弟(日本語訳版)を読むよりは遥かに面白い。独特の言い回し、文体に慣れるまでは多少時間がかかるかもしれないが、3回ほど読み直せば問題はないだろう。読み返しが無駄にならない本である。
ただし、中途半端な読み方をすると精神に鬱の症状がでたりするのでその気のある人にはオススメできない。きちんと読めればそれすら問題ではないが、誰でもそこまで読み込めるわけではないので(本書を読んで自殺願望が高まった、という人は本意に到っていない、と僕は思う)。
(高校時代〜大学卒業時まで、一種のバイブルとしていた本です。いつのまにか文庫化されていたのか…。所持しているものは文庫版ではないのだが、掲載内容は同じモノとしてレビューを書きました。)
Posted by ブクログ
埴谷雄高 「 死霊 I 」
形而上学的な思想小説。ヒップホップバトルさながらの 言葉による 思想対立が面白い。
まだ序盤なので わからないが、死霊という人間的価値が消滅した世界から 人間の価値、人間を超克した人間を見出そうとしているのでは?
死霊は 戦争直後の著作だから 戦死者の霊を暗示している?
1章 癩狂院にて。岸博士と三輪与志の戦い「人間存在の意味」「現世はどういう世界か」
「神様〜蒼白い白痴の少女〜そこにはたとえ無意味であっても、一つの形と変化が確かにあった」
2章 死の理論。津田康造と首猛夫の戦い「涅槃の境地、自己主張
の喪失」
三輪与志「不快は 思惟の法則自体に潜んでいる〜宿命〜思考する人間のめが味あう深淵〜不快が俺の原理」
3章 屋根裏部屋。新たな形而上学としての虚体論
*人間が人間を超える〜永遠の人間性を主張
*存在をのみこみ内包する虚体
Posted by ブクログ
なぜこの作品が日本文学史上で重要だとみなされたのか、むしろ当時の文壇の状況に関心が向いてしまう。
各登場人物にそれぞれの思想を語らせているが、結局は一人作者の頭の中にある考えを分配しているだけだというのが透けて見える。そのせいで、独立した人格の衝突が引き起こすドラマという面白さは期待できない。個人の生きがいであれ、政治システムであれ、自分の独自性を主張したいが、考えを整理できない姿を、そのままさらけ出しているという印象だった。
この『死霊』を一種の私小説だと考えてよければ、固定観念にとりつかれた人間の露悪趣味の作品として受容しておきたい。
最後まで付き合うべきかどうか判断に迷う。
Posted by ブクログ
もちろんこの小説の存在はかなり昔から知っていたが、書店で見つけた「第8章」のハードカバー版を買い、そこだけ読んだこともある。
戦後日本文学にとって重要な作品らしいが、吉本隆明さんなどによる辛辣な批評もあって、どうもいまだに「評価が定まった」とはいいがたい小説なのではないか。
観念小説である。
ドストエフスキーを参照しているだけあって、たくさんの人物がどんどん出てくるが、彼らの交わす会話はいきなり抽象的で、日常生活の次元からはあまりにもかけ離れている。
この巻には1章から3章まで。
この作品に出てくる若者達の年齢はよくわからないが、たぶん20歳台前半だろう。そんな青二才が、ずっと年かさの中年男に向かって観念論を吐きつける。しかも、中年男の方も、これをまともに受け取って互角に論選を始める。このへんがあまりにも嘘くさく、まるで自己陶酔したケツの青いガキが、偏りまくった観念論をそのまま「小説」にしてしまったかのような、つたないおさなさに近い面もあるだろう。
ただ、幻想的な情景の設定など、ディテールはそうそう薄っぺらなものでもないようだ。
ともあれ、続きを読んで様子を見てみる。
Posted by ブクログ
あなたの知力の限界に挑戦する・・・いわば「知のための知」の書。これがわからないうちはヒトだ。そして、わからないうちは、この世界はまだまだ知る意味があるということ。この世界に退屈した、などという言葉は、これを読みこなした後で言うがいい