埴谷雄高のレビュー一覧
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確かに読み辛いが、無茶苦茶面白かった、というのが率直な感想である。長過ぎるように思われる個々のセンテンスも読み進めるうちにクセになってくる。
最近、熊野純彦が『埴谷雄高――夢見るカント』という本を出したが、“夢見るカント”とはまさにこの作家の資質を言い表していると思う。埴谷雄高の文学は、「人間はおろか、あらゆる生物、あらゆる存在が夢を見ているのではないか」という妄想から出発しており、カントの超越論的弁証論のその先を夢想する文学だからである。
確か、寺山修司だったと思うが、かつて青年だった大人が恐れるべきなのは、青年の時のおのれの視線である、というような意味のことを書いていた。その -
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本書は、浅く読み流すべきものではない。深く読み込み、何度も咀嚼すべきもの。この中には、存在の秘密、生命の意義などについて、思索のエッセンスが緻密に詰め込まれている。日本の誇るべき文学作品のひとつ、という謳い文句は断じて伊達ではない。同様の文体、話のつくりでもカラマーゾフの兄弟(日本語訳版)を読むよりは遥かに面白い。独特の言い回し、文体に慣れるまでは多少時間がかかるかもしれないが、3回ほど読み直せば問題はないだろう。読み返しが無駄にならない本である。
ただし、中途半端な読み方をすると精神に鬱の症状がでたりするのでその気のある人にはオススメできない。きちんと読めればそれすら問題ではないが、誰でも -
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埴谷雄高 「 死霊 I 」
形而上学的な思想小説。ヒップホップバトルさながらの 言葉による 思想対立が面白い。
まだ序盤なので わからないが、死霊という人間的価値が消滅した世界から 人間の価値、人間を超克した人間を見出そうとしているのでは?
死霊は 戦争直後の著作だから 戦死者の霊を暗示している?
1章 癩狂院にて。岸博士と三輪与志の戦い「人間存在の意味」「現世はどういう世界か」
「神様〜蒼白い白痴の少女〜そこにはたとえ無意味であっても、一つの形と変化が確かにあった」
2章 死の理論。津田康造と首猛夫の戦い「涅槃の境地、自己主張
の喪失」
三輪与志「不快は 思惟の法則自体に潜ん -
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一巻と違って、読みにくいとか読みやすいとか、そういったものが全く気にならない(読みにくいけど)。ページをめくるのを忘れて考え込んでしまう。以下メモ。
三輪高志と夢魔との「虚体――かつて無かったもの、決してあり得ぬもの」をめぐる激論。「無」をつくるということの不可能性とそれを可能にする「存在の革命」について…とかいろいろ。「意識=存在」「俺は俺だ、と言うことの不快」「俺は俺ではない」
『あるはない、ないはある、
けれども、ないともいえず
ないともいえぬ
ほかのまったくちがった何らかの何かもさらにまた
まだまだほかならぬそこのそこに誰にも知られぬ面を伏せて隠れている。』
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