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Posted by ブクログ
一巻と違って、読みにくいとか読みやすいとか、そういったものが全く気にならない(読みにくいけど)。ページをめくるのを忘れて考え込んでしまう。以下メモ。
三輪高志と夢魔との「虚体――かつて無かったもの、決してあり得ぬもの」をめぐる激論。「無」をつくるということの不可能性とそれを可能にする「存在の革命」について…とかいろいろ。「意識=存在」「俺は俺だ、と言うことの不快」「俺は俺ではない」
『あるはない、ないはある、
けれども、ないともいえず
ないともいえぬ
ほかのまったくちがった何らかの何かもさらにまた
まだまだほかならぬそこのそこに誰にも知られぬ面を伏せて隠れている。』
wikipedia面白。「ぷふい」ってそういう意味だったのかあ。
Posted by ブクログ
1巻を読んでたときは「ちょっと青いんじゃないの?」と感じていたが、埴谷雄高のスタイルに慣れてきたのか、優れた部分も見えてきた。
埴谷雄高はドストエフスキーを「思想の書」として読解しており、私はバフチン的な読み方に賛同するので、彼の理解には同意できないけれども、それでもドストエフスキー流の「ポリフォニー」構造は、『死霊』の中に生かされているように思う。
作中の個人個人がもつ抽象的な思考が、会話の中であまりにも簡単に理解し合えすぎているのでリアリティはないものの、ポリフォニー的重層性によって、それなりに奥行きができている。
この小説は難解に見えるかもしれないが、表出されている思想自体は、実はそんなに難しいものではないと思う。理路整然とした、哲学書のような書き方をしないから明快さがないだけだ。
「存在=意識」という見方は、しょせんサルトル的だなあと思うけれども、その辺は最後の3巻を読んでからもう一度考えてみよう。
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