高木俊朗のレビュー一覧
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特攻の街として知られる知覧。私は未だその地を訪れた事はないが、いつかはこの目で飛行場跡地や開聞岳を見てみたいと思っている。様々な映画や小説、戦争、特に特攻を扱う書籍等で取り上げられた事から、その地の名前を知らないものは少ないだろう。もし、知覧を知らずとも、特攻『特別攻撃隊』を知らないという事はまず無いと思う。因みに本書にある「知覧」の街は特攻の中でも、帝国陸軍が編成した攻撃隊の出発基地にあたる。現在の南九州市の地名である。陸軍は特攻隊に万朶隊、振武隊、富嶽隊などの名称と数字で名前をつけており、世に言う『神風特別攻撃隊』は帝国海軍の特攻の呼び名で、こちらは同じ九州鹿児島県でも鹿屋基地から主に飛び
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功名心しかない牟田口軍司令官の指揮の下決行され、およそ3万人が命を落としたとされる無謀で無惨な史上最悪のインパール作戦。
声の大きな人の意見が通るどころの話ではない。
計画立案の時点で多くの問題点を抱えながら、自分の成功体験のみ信じ続け、見識、知見のあるものの意見に耳をかさずに、怒鳴ることと精神論で下のものを支配し、進言する部下を更迭し反対するものを排除した牟田口軍司令官。何より「支那事変最初の盧溝橋事件の指揮官だった私は、大東亜戦争の最後の指揮官の名誉を握らなければならない」という野望と功名心のみでインパール作戦を強引に推し進めた。
不利な戦況や敗北、彼の意見の問題点を報告すると怒って怒鳴 -
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インパール作戦を描くシリーズ3作目、弓師団と祭師団の最前線、インパールに肉薄した部隊の最後までを書ききる。
インパール作戦に関しての戦記は、このシリーズを含めて何作か読んできた。
祖父は茨城の鉾田で招集されて水戸連隊に所属したはずなので弓師団の歩兵第213連隊にいたはずで、弓第33師団の右突進隊としてインパールの東南から攻め込んだはずだ。
戦争のことは多く語らず、最後は復員して敦賀から帰ってきたことは聞いた。
さて、本書では弓師団と祭師団の二部構成、全滅・憤死と銘打っている。
全滅の始まりはインパールから南方32マイル、トルブン隘路口から始まる。
順次到着する瀬古大隊を到着順 -
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今を生きている日本人には、当たり前だが祖先が存在している。
だから、祖父母曾祖父母の代が戦争で死んでいたら、今の自分たちは存在しないのだ。
俺にとっては、祖母は東京で空襲の中を生き延びた。
そして、祖父はビルマを生き延びた。
祖父母が戦争で死んでいたら、今の俺はいない。
祖父は戦争のことを多く語らなかった。
ビルマ語で1,2,3を「デー、ネー、トン、レー、ガー」と呼ぶことを聞き、
祖母は、祖父がマラリアにかかって昏睡したあと、目が覚めてみると自分の靴下以外は持ち去られていた、という話しか聞かなかった。
もともと無口だったが、戦争から帰ってきてからは更に無口になったそうだ。