河北新報社のレビュー一覧
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ネタバレ個人的な話になるが、この本を読み終わった5月3日は、28年前朝日新聞阪神支局襲撃事件の起こった日だ。当時学生で物を書く仕事に憧れていた私には、とても衝撃的な事件だった。中でも銃撃された記者が「指はあるか!」と叫んだという逸話が忘れられない。命の危険にさらされても、なお書くことへの執念は捨てない、その記者魂に圧倒された。
河北新報という名は2013年4月、横浜の日本新聞博物館で初めて知った。震災報道を伝える展示会が開かれていて、その紙面が掲示されていたのだ。生々しい紙面、そして震災の日も発行されていたことへの驚きで、息を吐くことしかできなかった。
この本に描かれた、紙面の裏にあった葛藤は想 -
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東北の新聞社の震災後における初動を描いた記録。
初動において、安否確認をして、情報収集をして、それを発信する――というプロセスは、国交省や自衛隊等の対応機関に類似していると思った。
じっさい、新潟日報との協定だとか、それを踏まえたデータ送受信訓練を一か月前に実施していたことだとかは、先日国交省の東北地整から公開された『災害初動期指揮心得』にも書かれていた「備えていたことしか、役には立たなかった。備えていただけでは、十分でなかった」というくだりに通じるものがある。
また、土地勘のある記者を派遣するという指揮もさることながら、後方支援の重要性、とりわけ総支局間での応援だとか、「おにぎり隊」の活 -
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仙台に本社を置く河北新報は、東日本大震災で壊滅的な被害を蒙った。沿岸の支局は津波に呑まれ、安否不明の記者も続出。本社のコンピューターが倒れ、紙面制作の機能を失う。「それでも新聞をつくらなければならない!」この絶対命題を前に、彼らは何を思いどう行動したのか。“新聞人”たちの凄絶な闘いの記録。
単行本発売当時から読みたいと思っていたものの、いつの間にか文庫が出ていました・・・月日がたつのは早いものであの震災から3年以上たつんですね。震度5弱の地震に恐怖は感じたものの特別被害にも合わなかった私は、当時は気仙沼などの被災地の映像をTVで見ては震えがっていたものの、正直今はその感覚も薄れ遠い話になってい -
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先ず、震災当時の悲惨な映像が思い出され涙した。
次に、被災者に情報を届けようとする河北新報社社員たちの努力と葛藤に目頭を熱くした。
そして、地元住民に寄り添う地方新聞社の大切さに気付いた。
私たちは、多くの情報から自ら判断し行動している。情報が突然に絶たれたなら、私たちは自らの立ち位置すら見失い身動きできなくなってしまう。現在人にとっての情報は、水や電気・ガスと同じく無くてはならないインフラの一部と言える。
過日の東北では地震と津波により電力と共に情報も途絶え、救助を求めることも救援の手を差し伸べることもままならなくなった。そこに情報の光を射したのが地方紙河北新報の取材・編集・印刷・輸送・販 -
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一昨年、ロンドンオリンピック終了後に半ば観光気分で訪れた東北。当時は震災から1年6ヶ月が過ぎ、震災関連の情報はほぼ全く報道されなくなっていたので、そこそこ復興しているものとばかり思っていましたが、現地に着いてみると復興などとはほど遠く、ガレキや潰れた車などの鉄材がそこかしこに残り、何もない荒野や鉄骨だけになった建物が散見される光景がそこにありました。
そのありさまにショックを受けると同時に、“数字がとれない”(=“金にならない”?)という理由のためか、今まだ傷跡が残る過去の事柄を無視して流行ものばかり追いかける報道機関に対し、虫酸が走るほどの怒りを覚えました。
それ故に、全国紙が3.11ぐ -
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震災の時は東京にいた私ですが、生後2ヶ月の息子と初めての育児に追われる中で、かなり情緒不安定になっていました。この本を手に取ったということは、あの時、被災地はどうだったのか、今やっと落ち着いて読めるところまできたと言うことなんだと思います。
やはり、心の奥底にある不安定なところにダイレクトに訴えかけてくるので、かなり泣きそうになりながら読みました。あの中で、時に迷い、時に苦しみながらも、彼らが必死になったというこの記録は価値あるものだと思うのです。
新聞のあり方、メディアのあり方とともに、仕事とはなんなのか、働くとは何かという問いも突きつけられる気がします。 -
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近年、新聞社をとりまく環境はとかく厳しい。ジャーナリズムが劣化したとの声が聞かれ、じっさい、販売部数の減少には歯止めがかかっていない。しかし、いざとなったときに頼れるのは、やはり新聞なのではないか。本作を読んで、その想いをいっそう強くした。まず、新聞社自身が被災者なのである。被災者の心に真に響いてくる紙面をつくることができるのは、被災した当事者をおいてほかにいないであろう。しかし、そのような新聞を製作することは、非常に困難な作業でもある。本作で語られるエピソードの数数は、これまであまり想像したことがなかったが、なるほどたしかに大変なことばかりである。たとえば、東日本大震災においては、広範囲・長
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あの東日本大震災当日にも号外を発行し、翌日以降も休刊することなく、情報を発信し続けた地方新聞社の壮絶なドキュメント。何としてでも新聞を届けようと全社一丸となって困難に立ち向かう姿が仔細に描かれている。
紙面を作るために奔走する記者たち、沿岸部支局から届けられる手書きの記事をリレーする記者たち、どうにかして被災地の現実を伝えようと危険を冒す記者たち、或いは後方支援に徹したおにぎり班の女性社員や山形支局の社員…被災地の販売店の支援、ロジスティクスの確保…
自分の住む地域では、東日本大震災の翌日から数日、全国紙の配達が途絶え、これだけの大災害であれば仕方が無いかと諦めていた。一週間に及ぶ停電で情 -
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東北地方6県で展開する地元密着型の地方紙にとって、あの東日本大震災はどのような影響をもたらしたのか。
当時の社員のアンケートをもとに再取材・再構成したドキュメンタリータッチというより集まった事実を淡々と記述した飾らないスタイルに好感が持てた。
東北の地名で分からない部分が多いのと、新聞業界の役職名・役割がいまいち理解できていない点、一部冗長な記述(なぜか同じ内容を2回繰り返しているところがいくつかある)が気になったが、あまり東京では伝えられていない情報など気になった。震災発生直後より時間が経過してからの方が大変だったこと。報道しても助からない命・何もできない事に対する葛藤は計り知れないと思った -
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ネタバレ自社も被災したにもかかわらず、新聞を発行し続けようとする河北新報の地元紙としての使命感。その戦いの記録。
宮城県の死者が万単位になることが分かったときに、新聞の見出しの文言を「死者」にするか「犠牲者」にするかで悩み、ただ一紙「犠牲『万単位に』」とした河北新報。それは被災者に寄り添うと決めた地元紙ゆえの苦悶。
石巻市上空のヘリで飛んでいると、小学校の屋上に「SOS」の文字を発見したカメラマンは、写真を撮り続けることしかできない。救助の手を差し伸べたいけれどもそれができない無力感。
それでも、この写真が新聞に載れば速やかな救出活動が行われることを期待していたが、後に明らかになった事実によると、この -
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いまだ被災地のや被災者の心に深い爪あとを残し続ける東日本大震災。本書は地元紙であるは河北新報社が『その日』からどのようにして新聞を作成し、輸送し、読者のもとに新聞を配達したのか?そのクロニクルです。
この本は甚大な被害を日本にもたらした東日本大震災。地元紙である河北新報がいかにして震災のさなか、取材をし、被災している人たちへ新聞を届けたか、という彼らの手による手記であります。
いまだに復興が進まないさまに苛立ちを覚えることと、あの惨禍の中で新聞社の社員としての機能を果たそうとする記者や、倒壊したシステムを復興するスタッフ。
出来上がった新聞を、瓦礫が散乱してしてまともに走れない道 -
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震災からもう4年になる。
震災復興に関わる仕事をしている会社にいるとは言え、やはり震災の記憶は徐々に風化する。今も故郷に戻れず避難生活をする人々のことを忘れる。
だから新聞を読んだり本を読んだりして、また思い出す。
この本は、河北新報が震災とどう向き合い、どう報じたかを記録したドキュメントです。
河北新報と言えば、以前の印象はただの保守的な地方紙でしたが、震災以降はちょっと変わりました。一番驚いたのは、以前はどちらかといえば原発推進派と言ってもいいくらいの姿勢でしたが、震災以降は明確に脱原発にシフトしたことです。
大きな企業が少ない東北の経済にとって、東北電力はやはり大きな存在です。
河北新報