村岡恵理のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
花子は外国で暮らしたこともないのに
将来あの『赤毛のアン』を訳し、日本の女の子たちをとりこにし
翻訳家になって村岡花子女史として活躍した人が
どのようにして英語に堪能になったか
ひとこと言えば父親の教育方針がよかったのである
しがない地方の商人であった父
8人きょうだい、けして暮らしは楽ではない
父親が彼女の利発さを見抜き、父親の期待、夢があっても
明治36年(1903年)当時
カナダ系メソジスト派の東洋英和女学校の編入させるなど
なまなかなことでは実現できない
お金持ちや華族のお嬢様ならいざ知らず
しかし、クリスチャンであり、社会主義者でもあった父は奔走し
10歳で給費生(奨学 -
Posted by ブクログ
NHK連続テレビ小説にもなった「赤毛のアン」シリーズの訳者である村岡花子の生涯を孫が書いたもの。書きぶりとしては、よくもまあ見ていたかのように書けるなあと思いもするが、そこは身内だからあまり気にしなくていいのかな。また一方では、よくもまあ身内のことを讃えられるものだなあとも思ったりもするが、ヘンにお行儀よくならず、また生涯を順に書いているだけにもかかわらず、面白いしテンポよく読めるなかなかよくできた本。
村岡花子というと、もの静かに翻訳だけやっていたかのような気がしていたけれど、実は社会運動家的な活動や女流文学者としての活動もしていたのだと知った。以前、『男女という制度』(斎藤美奈子編、岩波書