Posted by ブクログ
2016年09月14日
「赤毛のアン」の翻訳で有名な村岡花子。
孫娘でライターの著者が書いた、その生涯です。
NHK朝ドラの原作。
戦時中に翻訳を始めていたいきさつから、始まります。
そこから遡って、貧しい暮らしをしていた大勢の兄弟の中から、長女のはな(後の村岡花子)一人だけが東洋英和女学校の給費生として学ぶようになっ...続きを読むたこと。
東洋英和が、カナダ人宣教師が開いた学校とは知りませんでした。
奇しくも、モンゴメリと同世代のカナダ女性に教育を受けたのですね。
柳原白蓮と友情があったという、意外なつながりも。
若くして離婚した後の白蓮が女学校に入り直していた時期で、年上の美しい親友が出来たわけだったのですね。
九州の炭坑王との急に決められた再婚に怒り、純情な花子は披露宴にも出席を断ったとか。もっともすぐに和解し、後の出奔と再婚にも理解を示したようです。
花子自身は出会った男性・村岡と愛し合って結婚し、出版社を営む婚家にも認められて幸福でしたが、震災で工場が倒壊してしまいます。
さらに長子を疫痢で失い、戦時中にも苦難があったそうです。
夫の村岡は最初の妻を病気を理由に離婚していたので、花子は不幸に見舞われた後になって、他の人のそんな苦しみをおもんぱかることもなかったのがよくなかったと胸を痛めたそうです。
ラジオの番組で有名だったことも、知りませんでした。
70過ぎてのアメリカ旅行で、着物姿で通し、きれいな英語を喋ると驚かれたり。微笑ましいエピソードも色々。
プリンス・エドワード島には、ついに行かなかったのですね…
機会があったのに延ばしたという、気持ちはわかるような気もします。
しかし、「赤毛のアン」て、ものすごくたくさんの版で出ていたんですね~ちょっと調べたら、感嘆しました。
私は子供の頃からずっと村岡さんの訳で「赤毛のアン」ブックスを読んでいたんですよ。一時はお気に入りのところを暗記しているほどでした。
他の翻訳にも何かしらよさはあると思いますが、いま一つピンと来ないんですよね。
村岡花子は明治26年(1893年)生まれ。昭和43年、75歳で没。
著者は1967年生まれ。
1991年より姉の美枝とともに「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として資料を保存。
この本は、2008年6月発行。
2008年は「赤毛のアン」誕生百周年だったのですね!