村岡恵理のレビュー一覧
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ネタバレ「花子とアン」の放送の頃に出された本で、朝ドラの展開を思い出しつつ読んだ。
ラジオの呼びかけ、「全国のお小さい方々…」懐かしい!
アニメ「アン・シャーリー」を観た後だったこともあり、花子の生涯を追いながら、アンのストーリーを読んでいるような錯覚があった。
村岡花子は『赤毛のアン』を読んだ時、「これは自分の話だ」と思ったのではないだろうか。
46歳で『Anne of Green Gables』に出会い、翻訳し、59歳で『赤毛のアン』を翻訳出版。66歳までに、全10巻を翻訳出版。自分のこれからの人生で、このようなことがありうるのだろうか。
わたせせいぞうさんの描く風景が繊細で、とても素敵な本だ -
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赤毛のアンから知った翻訳者「村岡花子」さんの生涯についてまとめられた作品です。
生まれ育った家庭環境は良いとは言い難いが、父親のキリスト教信仰、社会主義的なものの考えかたによって、花子さんは幼いころからいろんな人に出会い、いろんな本に出会い、いろんな文化に触れられ、この時代では珍しい自立した日本女性だったのではないかと思いました。
海外の有名な作品は日本語に翻訳されたものを読んできましたが、この作品を読んで、原文で読んでみたい、花子さんのようにその作品の国の文化や慣習も勉強したら、より興味深く作品を楽しめるかなとも思ってしまいました。
また、花子さんと花子さんが学んだ東洋英和女学校のカナ -
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ネタバレ秋葉原の古本屋で100円で購入した。100円の元は圧倒的に取れる良い本だった。
赤毛のアンの日本語版は読んだことないと思うが、翻訳にこれだけの情熱と、歴史が積み重なっていたとは。
そもそもこの村岡さんの歴史が、自分でも名前を聞いたことある有名人たちに囲まれている。
芥川龍之介、与謝野晶子、菊池寛、宇野千代、樋口一葉、平塚らいてう…
第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして日本の敗戦… アンの翻訳をしながら、非国民と呼ばれながら原稿を守り、女性の権利向上にも協力し、翻訳文学、そして児童文学というもの自体がまず無い文化の中、子供のために海外児童文学を翻訳し続けた… うーむ、すごい。
この人の友人関 -
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とても興味深く読み進めた。
今まで戦時中の話は怖さも手伝い読むことがなかったが、今回のこの本で初めてきちんと読むことができた。それは戦中に物質は貧しくとも心の豊かさを失わずに生活していた日本人の姿がはっきりと見えたからだ。
また広岡浅子やヴォーリズ、澤田美喜など明治期に活躍した人々との接点が見えてきて嬉しくなったり、教科書の中の歴史上の人物だと思っていた市川房江や、生きて動いている姿をみたことがある宇野千代が同時代に活動しているのを知り、昭和初期という時代が本当に自分たちの今につながる実在の時代だったのだなあと感じた。今更だけど本当に感じた。
今まで手にしてこなかった赤毛のアンを読んでみよう -
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自分が小学6年生の時ひきつけを、起こして入院したさい、いとこのお兄ちゃんが見舞いに来て渡してくれた本が赤毛のアンでした。
それまで本を読む楽しさがまだわからなかった私が 最後まで読み通した初めての文庫本でした。
その時の楽しさを感じたことはその後も
読書をするきっかけになりました。
そしてそれから40年余りを経て
いま、赤毛のアンを翻訳した村岡花子さんの生きていた時代、そのころの思いなどが胸に響きました。
10代の女の子が共感し、希望を、持って生きていく力を貰っていたのだとあらためて思いました。
もう一度、アンの世界を尋ねてみようかな。 -
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この本をドラマの原作、と思って手に取ったひとはあてがはずれます。ドラマは中園さんのオリジナルであり、この本は原作ではあるけれど、ノベライズではないからです。
むしろ村岡花子の周囲にいる綺羅星のような女流作家や市川房枝のような政治家、ヘレンケラーなど訪日した偉人たちとの交流をリアルに描いています。
テレビドラマはフィクションなので、こんなに実名のあるひとたちを出すわけにはいかないでしょう。そこで白蓮と花子の友情と、家族に的を絞ったのだと思うのです。
作者は、母親である花子の養女みどりが亡くなったとき、ルーツをたどりたいと花子の評伝を書いたといいます。その過程で詳しく交友関係をたどり、歴史の中に花 -
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「赤毛のアン」の翻訳で有名な村岡花子。
孫娘でライターの著者が書いた、その生涯です。
NHK朝ドラの原作。
戦時中に翻訳を始めていたいきさつから、始まります。
そこから遡って、貧しい暮らしをしていた大勢の兄弟の中から、長女のはな(後の村岡花子)一人だけが東洋英和女学校の給費生として学ぶようになったこと。
東洋英和が、カナダ人宣教師が開いた学校とは知りませんでした。
奇しくも、モンゴメリと同世代のカナダ女性に教育を受けたのですね。
柳原白蓮と友情があったという、意外なつながりも。
若くして離婚した後の白蓮が女学校に入り直していた時期で、年上の美しい親友が出来たわけだったのですね。
九州の