微生物や遺伝子の研究者である著者による、コーヒーを科学的に分析した本。コーヒーのもととなる植物について、コーヒーの歴史、コーヒーのおいしさ、焙煎や抽出の過程、健康への影響など。
おれは最近職場でもインスタントのコーヒーを1日数杯飲むようになり、コーヒー好きではあるけれど、インスタントのコーヒーし
...続きを読むか飲まないので、「ゲイシャ」とか「コナ・ティピカ」とか品種も知らなければ、浅煎りとか深煎りというのもあんまりよく分からないし、ターキッシュコーヒーとかダッチコーヒーとか聞いたことはあるけれどもあんまりよく分からない、という程度の感じで読んだ。おまけに化学嫌いのド文系。正直、おれにはハードルが高そうな本だと思って読んだが、意外と面白く読めたことが驚きだった。特に、第1章~第3章までは、コーヒーや生物・化学に関する知識が一切なくても分かりやすく一から解説してあり、入門者でも楽しんで読める。いくつか面白かったところを挙げると、まず「コピ・ルアク」という「動物の糞から採る、世界で最も高価なコーヒー」(p.21)というのがあるらしい。一方で、「コピ・ルアクでは、狭い檻に閉じ込めたジャコウネコにコーヒー豆を無理矢理食べさせて作る業者」(p.22)がいるらしく、フォアグラみたいな感じなのか、と思った。コーヒーノキ属は125もの種がある中で、「『コーヒー』を取るために栽培されているものは何とたったの2種類」(p.31)というのも驚きだ。アラビカ種とロブスタと呼ばれるカネフォーラ種らしく、2種類の特徴が分かりやすく述べられている。例えばアラビカ種は自家受粉が可能、カネフォーラ種は不可能らしい。そしてこのアラビカ種の故郷は「ビクトリア湖北西に位置するアルバート湖の周辺」(p.40)らしく、世界中で栽培されて飲まれているコーヒーの元の場所が推定できるなんてロマンがあるなあと思った。こういうところを可能なら旅行で行ってみるというのも面白そう。栽培の伝播の話で、どうやってイエメンからアラビカ種の栽培が広まっていったかという経路には「ティピカ」と「ブルボン」という2通りある(p.69)らしく、それぞれにストーリーがあって興味深い。
第4章以降は、コーヒーを楽しむ人じゃないとピンと来ない部分も多く、第4章の味の部分は初心者でも何となく話は分かるが、第5章、6章の焙煎、抽出の話はおれにはあんまりよく分からなかった。おれがコーヒーが好きなのは味よりも香りの面が大きいが、ヒトは鼻先香と口中香の2種類を感じるらしく、「ニューロガストロノミー(神経美食学)」みたいなことを考え出す学者もいる(p.122)というのが驚きだった。何でも研究の対象になるのか、という感じ。味覚の話で、バニラエッセンスの「バにリン」というのがコーヒーには入っているらしく、これは「『正露丸の野い』のグアヤコールにアルデヒド基が一つ付いただけの構造です。このたったの一カ所の違いで、全く異なるバニラの甘い香りに感じるのですから、つくづくヒトの嗅覚とは不思議な者です。」(p.148)ということで、これも面白い。何か一カ所の違いがこんなに感じ方に違いを生む、というのは本当に不思議だ。また、コーヒーの「焙煎度」には8種類あるらしく、シナモンからイタリアン、スパニッシュまで、ということらしいが、地域差が結構大きいということらしい。面白いと思ったのは「アメリカは地域差が大きく、ボストンや西海岸ではシナモンやライト、東部はやや深めでハイ~フルシティ、南部がもっとも深くてフレンチ以上」(p.172)らしいが、なんでこんなはっきりとした地域差が生まれるんだろう。おれが勉強していた社会言語学のアメリカ方言のところなんかは、東海岸で方言の差異が顕著で、それはもともとヨーロッパのどこの国からの移民が多く集まってできた植民地かに影響されていたり、ということがあったが、そういうことと関係あるのか?アメリカのコーヒーの歴史を辿って方言学の成果と類似するところが見つかったら面白いかも、と思った。
最後の第8章は健康の話なので、コーヒーを飲む人なら誰でも興味のある話だと思うが、いかにも堅実な感じで好感が持てた。良い悪いといった分かりやすい話に持ち込むのではなく、学問的に正しいが故に必然的に分かりにくくなる部分を分かりやすく解説している、という感じだった。例えば「『脳の活性化』と聞くと、脳の活動状況を光り具合で示したPETやMRIなどの『脳画像』を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、じつのところ、あの手の画像だけでは脳のどの部位が活動しているかはわかっても、具体的にそれでどのような効果があるかの十分な証拠にはならないものがほとんど」(p.276)みたいな記述は、「脳科学的に正しいことが証明されています」とかなんとか言ってそれっぽい画像を見せているのは姑息な方法なのかもしれない、とか思ってしまった。他にも、コーヒーの長期影響をプラスマイナス両面述べた上で、「善悪どちらが大きいか?」(pp.293-5)の話は、もはやコーヒーの話というよりは、科学的、客観的とはどういうことかについて、統計について考えさせられる話で、勉強になった。
最後に、コーヒーはカフェインが入っていて冴える、というのもある一方で、おれ個人的にはあの香りにリラックス効果を感じるのだけれど、それは科学的にはどう説明されるのだろう、とか思った。(16/03/25)