C.W.ニコルのレビュー一覧
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昆虫を追って暮らす解剖学者と、黒姫の自然と共に生きる作家。現代の日本人が失ってしまった「身体感覚」の大切さを語る。
そもそも人間は体内にだって無数の細菌を飼っていて共存しているように、常に自然環境や他の生物と密接に生きているはずであるのに、そのつながりを否定してしまう「都会」という生活環境が、さまざまな問題を生んでいる。もちろんそのくらしは快適で、人間は危険や苦しみを避けてここに至ったのも事実なんだけれど、行き過ぎた都市化はやはり問題を生じている。
養老先生が提唱しているように「参勤交代」〜都市と田舎を強制的に行き来させるような施策も、意外に面白いのかも知れない。私自身、田舎暮らしにはおお -
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C・W・ニコルさんと養老孟子さんの対談の本だった。自然、森、第一次産業の重要性。自然の中で体を動かすことで、自分の体の動かし方を知ること。自然の中で須吾事によって、本当の生きる知恵をつけること。体を動かして、実際に経験すること。実体験の方が大切。
建築を立てるのも、木そのものの特質に沿って切断したり、その木の特質に沿って、家を建てる。
それにしても、C・W・ニコルさんは、とても興味深い人だ。ケルト系神道のクリスチャン?アラスカや北極やエチオピアでのフィールドワーク、面白い経験をしている人だ。
養老さんによると、若い人は、田舎の田舎に行くと、年長者や年上がいないから、自分たちの好きなことができる -
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【情報偏重社会と自然】
先日『風を見た少年』を読み、もう少し読んでみたくなりました。今回は養老先生との対談。
黒姫でアファンの森を運営していたニコルさん。
今の日本の状況を否定するのではなく、可能性を信じているからこその愛のある言葉と行動の数々。
2015年に出版された本。当時はSDGsの前のMDGs時代。
今では主流メディアでも話される持続可能な発展、この対話は本質をついているように思った。#海の豊かさ #SDG14 #陸の豊かさ #SDG15 も、全てつながっていることが強調されていると思いました。
例えば、
システムに組み込むこと。
竹を伐採するという行為について、その -
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極地での経験と自然に向き合ってきたニコルさんと、
戦争前後の日本人とその環境の変化を肌で感じるの養老さんが、
戦後日本の自然環境を経験ととも懐古しつつ、現代人への提言を述べる本。
1+1=2が納得できない人へ。
身体を回復するというのは、違いを感じ取る感覚を取り戻すところから。
ヒト同士、都会の中のルール。存在と言葉を同じものと捉え、概念的に組み合わせ処理していく。
身体的、あるいは精神的にも本来の動物として感覚は、ずっと変わらない脳と身体に依然残っている。
養老孟司さんの、人の特徴的な力の一つは、同じにする力を持っているというのは非常に頷ける。
在るものは、全ては違うのに、同じだと考 -
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著者は、1940年、英国南ウェールズ生まれ。1962年、空手修行のために初来日。80年に長野県の黒姫に居を構える。95年に日本国籍を取得。作家として活躍する一方、環境問題にも積極的に発言し続けた。以上は、この本で紹介された略歴の要点。
彼は、ウェールズのケルト人だ。『ケルト巡り』で紹介したケルト人の子孫は、ウェールズにも多い。ケルト族は、サクソン族がやってくるはるか前からブリテン島に住んでいた。その後、残虐なノルマン族が大挙して島に押しよせ、西はウェールズ、北はスコットランドへケルト族を追い散らした。C.W.ニコルはそのケルト人の血を受けついでいる。それにかかわる印象的なエピソードがこの本の -
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タイトルから内容を想像して手に取り、果たして期待した通りの話。でも、2人の年配の男性が、自分たちが子供の頃はこうだった、あの頃はよかったが今は駄目だ、を延々と繰り返しているようにも思えて、本筋では共感しつつも、引いた目でバランスが良くないように思った。
一つ印象に残ったこと。今でこそ、森を守ろう、自然と共生しよう、といってもある程度共感される流れもできてきている。が、高度経済成長まっしぐらの日本で、森を守ろうと1人で国などを相手に闘ってきたニコルさんの日々の壮絶さは、ちょっと想像を超えていると思った。「鬼」と言われた、というのも肯ける。 -
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東日本大震災でせっかく津波から助かったのに、そのあと低体温症で亡くなった子どもとお年寄りが多かったという。それは火をおこせなかったから。燃やすものはたくさんあったはずなのに、海水に濡れたから燃やせないって思い込んでいたから
(CWニコル P76-77)
危機にあって必要なのは知識よりも知恵。ときに単なる知識は思い込みを生み、非常時には役に立たないばかりか、かえって命を危険に晒すことにもなる。知識は体験(=身体的経験)を重ねて知恵となる。人間は火の使用をもって他の動物と区別されるというが、火おこしの知恵を失った現代人は原始の祖先より進化したといえるのか?。。。俺も含めて、なんかヤバイな。。。