田中美知太郎のレビュー一覧
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ソクラテス=無知の知 ぐらいの知識で読み始めたけど無知の知が生まれた壮絶な背景に胸を打たれた。
政治家になっていい暮らしがしたい、際限なく欲を満たしたい、と言う動機で弁論術を学ぶ事が流行するが、弁論術ってただのおべっか人気取り術じゃん、偉い人の機嫌を取ることと市民の票を獲得する事だけが目的になってるじゃん。
私たちが一番知識があって国をいい方向に運べますって顔してるだけで、実力や矜持は一切伴ってないじゃん。
というソクラテスの指摘がアテナイ全体に刺さりすぎたせいでソクラテスの存在は権力者達から疎まれるようになっていく。
作中でゴルギアスのアテナイでは知っているという事よりも知っていると周りに思 -
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この政治・哲学論集には、「サルディス陥落」(1941年)や「ソクラテスの場合」(1942年)、「公共体国家としてのポリス」(1942年)が収録されている。いずれも諸々の理由で発表中止となっている。そして終戦を挟む形で、「自由と独立」(1947年)、「理想国家について」(1946年)、「自主性の問題」(1946年)、「今日の政治的関心」(1947年)の発表へと続く。
私がある意味感動したのは、田中美知太郎の論調が、戦前と戦後とでまったく変わっていないことだ。つまり、戦後教育を受けた私たちは、戦時中の言論がいかに抑圧されていたであるとか、戦後の論壇がいかに転向者であふれ返っていたかとかについて、 -
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初期プラトンまとめ読みの3番目。で、一応、文庫本で読めるのはこの程度だと思うので、最後のはず。
「弁明」と「クリトーン」は相当昔に読んだものの再読。「パイドーン」は初めて。
この3作で、ソクラテスの裁判から獄中、死刑執行までを一気に読める。
おそらくは「弁明」は、多くの人が最初に読むプラトンであろう。ここに描かれるのは、自分の魂の声に忠実に生きた勇気の人ソクラテスである。多くの人は、その姿に感動するとともに、なぜ、こんな人を死刑にしてしまうのか、と政治の不条理に憤りを覚えるに違いない。
が、「プロタゴラス」「ゴルギアス」を先に読んで、この「弁明」に到達した私には、なんとなくソク -
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今となってはソクラテスの論理は詭弁に思われるところも多いし、弟子たちはソクラテスの論理に全く反論しない割にはその言っているところをあまり理解してはおらず、もやもやする部分もあるけれど、純粋に論理だけで世界を理解するという点において、興味深かった。
そして、ソクラテスはなぜ死ななければならなかったのか、ということについて考えた。
何がソクラテスを殺したのか。
それはソクラテス自身が言っているように、中傷や嫉妬である。人は誰しも、安易な方向に流れたいとか、これくらいの悪いことなら許されるだろうとか、やましい部分をつつかれたくないとか、そういうことを思って生きているものだ。そういう気持ちが、正義や -
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ネタバレ第一章のタイトル「何をどこまで知ることができるか」は、歴史的な事項を扱う上では基本的な視点である。あたかも何もかもしっているかのように著述することもできるし、断片的な事象を羅列して、推論を展開することもできる。最初に、どの程度の情報のばらつきがあるかを示しておくことは、読者に対して真摯な態度だと思う。
アテナイとスパルタのの戦争であるペロポンネソス戦争の時代のことで、紀元前404年アテナイの無条件降伏で終わったことと、ソクラテスとの関係を、この本で読むまで知らなかった。「スパルタ」は、今では日本語で教育の仕方の名称になっている単語だ。
最初と最後の章を読んだだけでも、ソクラテスが歴史の中で -
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哲学に生き、死んだ人。哲学・思想と行為を一致させた人。自らの命を度外視して正しさを主張した。
哲学の基本書。プラトンの著作はたいてい対話形式で書かれているが、この著作に限っては、途中メレトスとのやりとりがあるものの、主としてソクラテスの一方的な独白形式で話が進む稀な作品。確かに弁明という性質上、形式的には必然かもしれないが、ソクラテス自身が聞き惚れそうになったと言うほどの (流されないようにと陪審員へ注意を促すのが真意だろうが)メレトス側の弁論が一切書かれていないのは、双方の主張を取り上げて吟味するプラトンの一連の作品からすると読者にとってあまりに一方的で異例な事のように思われる。例えば饗宴 -
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プラトンということで。
「知る」ということがどういうことなのかを巡って数学者とソクラテスが考える。知るということがどういうことなのか、考えてみたくて読んでみることに。
プラトンのいわゆる主要な対話篇と異なり、その思想体系を突き詰めた対話篇では決してない。しかし、それはひとえに、「知る」ということを考え続けていたからに他ならない。「知る」という行為が純粋に実践であると同時に、きわめて形而上学的な事態である。たぶん書いていたプラトンそのひともかなり難航したに違いない。
人間は流転すると言えば流転しているし、止まっていると言えば止まっている。ただのことばなのである。そんな風に存在はできてしまっている -
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もう二度とレジメにしたくないですねー笑
話が結構込み入っていてややこしい。
知識とは何かを問いながら、「~ではない」というかたちで反駁していく(結局こたえはみつからないのだけれど)。
ヘラクレイトスやプロタゴラスの言葉ーー「万物は流転する」「人それぞれ」ーーというかたちの相対主義をいかに乗り越え、共通のものとして知を立てることができるのか、ということがプラトンの課題。
あまりここでは「イデア」という発想が全面にはでてこないので、そのぶんだけややこしいのかもしれない。
そしてもうひとつのモチーフは、《産婆術》。
ソクラテスは、相手を窮地に陥れバカにするのだ、
という批判に応えるために、
ソク -
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よく耳にする本で、一度は読んでみたいなぁと思っていた本です。ようやく読めました。
ソクラテスの弁明とクリトーンとパイドーンの3作品がおさめられています。
クリトーンもパイドーンも人名。
内容的には、ソクラテスが裁判での弁明、入獄中の会話、ソクラテス最後の時の会話がそれぞれにあたります。
けっこう印象としてはまわりくどく理論が展開され、数学の証明的な思考で主に生命と正義に関して話がされています。
小林秀雄の「考えるヒント」を読んでいるような感覚に陥りました;
ギリシャ時代の本が今に伝えられていることもすごいですが、善に関する思考が現代と変わらず論じられていることに少し驚いた感じです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ哲学者の代表みたいなソクラテス。
彼自身は著作を残していないのだけれど、
弟子であるプラトンがソクラテスの対話を書き残したため、
今日までその名が残っているんだそうな。
こうしたプラトンの著書はほぼ対話形式になっているので、
小難しいイメージのある哲学書の中では異例的に読みやすくわかりやすい。
「ソクラテスの弁明」
ソクラテスが被告となっている裁判での弁論。
結局彼は死刑になってしまうのだけれど、
敬虔な神の僕である彼の「正しさ」に対する態度には胸を打たれた。
こういう姿勢はカントに似ていると思う。
有名な「無知の知」のくだりもここに収録されている。
「クリトン