福間良明のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
司馬の学歴・職歴が傍流であったことや軍隊経験が作風に与えた影響、作品がサラリーマン層にある種の教養主義として受け入れられた背景、没後に司馬史観批判が発生した理由等、司馬遼太郎を理解するための入門書として最適な一冊。得るものが多く、付箋貼りまくりでした。
新聞記者時代に、政治や事件などを扱う花形部署ではなく、歴史・宗教や文化関係などを扱う比較的落ち着いた部署にいたため、読書の時間を確保でき(1日5時間!)、それが作家としての下地になったという話に、残業は糞だと思いました。
司馬作品に滲むエリート批判、組織批判はただのやっかみではなく、ボロい戦車しか用意できないのを精神論で乗り切ろうとして(そ -
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
定時制高校へ進んだ動機について、53.6%が「できるだけ教養を高める」と答え、「高校卒の資格を得る」の18.7%を大きく上回ったという(1960年のある調査)。
昭和20~30年代において、高校に進学せず就職・就農した「勤労青年」たちが「実利を超えた教養」を求め、農村では青年学級、都市部では定時制高校、時間・空間の制約がある者は「人生雑誌」という場に集っていた。そうしたコミュニティの成立と消滅についてまとめた一冊。
同時代において学歴エリートの間にも教養主義があった(そして、同じように昭和40年代以降に衰退した)が、非エリート層の大衆教養主義には違った背景もあったことが指摘されている。
高 -
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
この本は20世紀半ばから後半にかけて、勤労青年たちにとって「教養」にはどんな意味があったのか、なぜ教養を求めたのか、など当時の社会情勢を描きながら中学を卒業した後すぐに働く青年たちの様々な思いを考察したもの。
当時の高校進学率(全日制)は今に比べて格段に低かった。それには様々な理由があるが、一番の理由は、学費の問題だ。それ故、昼間は働きながら定時制の高校に通う人が多かった。そして定時制に通うほとんどの人たちは良い企業への就職や、転職のためではなかった。(もちろんそういう人たちもいた)
彼らの目的は「教養」を身に着けることだった。彼らは全日制の人たちよりも一足早く社会に出て上司の人たちから理不 -
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
アジア太平洋戦争後、全日制高校に進学できなかった勤労青年の間で発生した教養文化について、その消滅までを追跡したもの。進学できなかったことへの鬱屈や、「教養」に触れない人たちへの優越感が、教養文化を支えていたことが浮き彫りにされる。1970~80年代の歴史ブームの担い手を、かつて教養主義をくぐった男性中高年層に見出す個所も面白い。
労働環境の改善や消費文化の浸透という勤労青年にとっての「幸」が、人生雑誌の「不幸」=教養主義の消滅をもたらしたとの指摘は重い。それでもなお教養が流行する社会を是とする説得的な理由を見出すことは、決して簡単ではないと思った。 -
- カート
-
試し読み
-
Posted by ブクログ
戦争体験を語り継ぐとは一体どのようなことなんだろうと思う。純粋な体験としてのみ存立させ続けることだろうか。それとも体験を解釈し、意味を与えることだろうか。本書ではその両極端な例が描かれる。
戦中世代の人間が体験の原風景を語ることにより戦後世代の意味づけを封殺しようとする様子、また戦後世代の人間が政治的な意味づけをすることで戦中世代を批判する様子。
その極端な例を見るにつけ、現代において現実的に戦争体験を語り継ぐというのは善悪を別として、その性格として原体験と教訓の両方を適度に配合することなんだろうと感じた。イデオロギーがかった援用は受容されにくいだろうし、原体験の羅列はあまりにも理解されないだ -
Posted by ブクログ
現・立命館大学産業社会学部准教授(歴史社会学・メディア史)の福間良明による戦争体験をめぐる戦後思想史。
【構成】
第1章 死者への共感と反感-1945~58年
1 遺稿集のベストセラー
2 戦没学徒の国民化-教養への憧憬
3 戦没学徒への反感
4 反戦運動の隆盛
5 反戦とファシズムの類似性-学生運動批判
第2章 政治の喧噪、語りがたい記憶-1958~68年
1 60年安保と「戦争体験」の距離
2 農民兵士たちの心情
3 「戦争体験」への拒否感-戦中派の孤立
第3章 断絶と継承-1969年~
1 大学紛争の激化
2 天皇をめぐる「忠誠」と「反逆」
3 戦争責任論と教養の -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
アジア・太平洋戦争下、三〇〇万人以上犠牲者を出した日本。
この「戦争体験」は、悲劇として語られ、現在では反戦・平和と結びつくことが多い。
だが、戦後六〇年のなかでそれは、実は様々な形で語られてきていた。
本書は、学徒兵たちへの評価を中心に、「戦争体験」が、世代・教養・イデオロギーの違いによって、どのように記憶され、語られ、利用されてきたかを辿り、あの戦争に対する日本人の複雑な思いの変遷をみる。
[ 目次 ]
第1章 死者への共感と反感―一九四五~五八年(遺稿集のベストセラー 戦没学徒の国民化―教養への憧憬 戦没学徒への反感 反戦運動の隆盛 反戦とファシズムの類似性―学生運動批判 -
- カート
-
試し読み
-
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
幅広く教養への憧憬とその冷却の過程をえがいた秀作。著者の前著に、青年団・定時制を加えて書き下ろされた物でくしくも個人的にヒットする部分が多かった。そのため、定時制についてはやや一面的な部分もあるのではないかと思いつつ、でもああそうだったのかと首肯させてもらうことの方が全体的に多かった。竹内洋の名作教養主義の没落をうまくパラフレーズさせて独自のエッセンスを入れている。改めてこのあたりを学び直したい気分になったし、下村の運動はやや右派の教養主義の運動の系譜ではないかと考えられそうだと思った。何のために学ぶのか、実利でない人文知の価値を深くかみしめたい。
-
- カート
-
試し読み
-
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
もやもや思っていたことを、わかりやすく文章化してもらったものを読めるという快感があった。『キューポラのある街』をツカミに持ってくるのは、新書の社会科学分野としてハマりすぎみたいだけれど、明快で想定読者層を突き放さない読み物だ、という確かなメッセージにもなっている。
内容で留意すべきなのは、扱っている時代幅が「戦後以降」であるということ。江戸時代、明治・大正という時代を遡って青年層の上昇志向の変異分析といったものとは、明確には接続していない。うがってみれば、敗戦後から1980年頃まで、「勉強しなさい」と大多数の親が怒鳴っていた時代はそれだけで独立して分析対象となりうるということか。確かに、マスと -
- カート
-
試し読み
-
Posted by ブクログ
司馬遼太郎著作って、あんまり読んだことがない。燃えよ剣と新撰組血風録くらいかな。
司馬史観という言葉は聞いたことがあって、興味があったんだが。
かなりコンプレックスと、軍の精神主義に対する批判、技術に対する信頼とかがベースにあって。
書かれている小説自体も、その、司馬先生の主観を通した仕上がりになっているようだ。
それは全然いいと思う。小説だし、面白ければ。
教養主義、高度経済成長、文庫本化などが重なって広く読まれていったようなのだが、その、主観を通した「解釈」がいつしか歴史上の事実みたいに受け止められていったってことなのかな。
多分、受け入れられやすく、分かりやすいパラダイムに基づくも