福間良明のレビュー一覧
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司馬の学歴・職歴が傍流であったことや軍隊経験が作風に与えた影響、作品がサラリーマン層にある種の教養主義として受け入れられた背景、没後に司馬史観批判が発生した理由等、司馬遼太郎を理解するための入門書として最適な一冊。得るものが多く、付箋貼りまくりでした。
新聞記者時代に、政治や事件などを扱う花形部署ではなく、歴史・宗教や文化関係などを扱う比較的落ち着いた部署にいたため、読書の時間を確保でき(1日5時間!)、それが作家としての下地になったという話に、残業は糞だと思いました。
司馬作品に滲むエリート批判、組織批判はただのやっかみではなく、ボロい戦車しか用意できないのを精神論で乗り切ろうとして(そんな戦車に乗せられて司馬自身も死ぬかもしれなかった)、結果として国家を破綻させた軍部の上層部に対する憎しみが根底にあると考えると至極真っ当なものだと感じました。
司馬遼太郎没後の司馬史観批判は、戦後歴史学を自虐史観と非難して自由主義史観を唱えるグループが『坂の上の雲』を根拠としたことで歴史学者が危機感を覚えたことが要因。
それまで歴史学者が歴史小説を批判するのは「大人気ない」ことであり、司馬以外の歴史小説家が槍玉に挙げられることも無かった。
著者の福間良明氏も指摘してますが『坂の上の雲』が明治礼賛というのは誤読もいいところで、僕はこの作品を終電の電車で読みながら、組織というものがどれだけ糞であるか、戦場では個人の命がどれだけ容赦なく捨て石にされていくかを書いたものだと受け止めました。人は読みたいように読むわけですね。
本書は司馬遼太郎について議論する際の前提知識としたい本です。
ただ、著者の専門が労働者の教養文化史などのため、漫画アニメ等への影響の分析が無く、女性読者層の捉え方(企業勤めの男性が中心で女性読者はいても少なかった)も疑問があるので、その辺を分析した本がほしいですね。
ちなみに僕が把握できてる範囲だと、るろうに剣心、銀魂、進撃の巨人はそれぞれ作者がインタビューとかで司馬遼太郎作品(燃えよ剣、坂の上の雲等)からの影響を話してます。 -
「勤労青年」の教養文化史
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定時制高校へ進んだ動機について、53.6%が「できるだけ教養を高める」と答え、「高校卒の資格を得る」の18.7%を大きく上回ったという(1960年のある調査)。
昭和20~30年代において、高校に進学せず就職・就農した「勤労青年」たちが「実利を超えた教養」を求め、農村では青年学級、都市部では定時制高校、時間・空間の制約がある者は「人生雑誌」という場に集っていた。そうしたコミュニティの成立と消滅についてまとめた一冊。
同時代において学歴エリートの間にも教養主義があった(そして、同じように昭和40年代以降に衰退した)が、非エリート層の大衆教養主義には違った背景もあったことが指摘されている。
高校進学率が低い時代において、経済的な事情で進学できず鬱屈、葛藤を抱えた成績優秀者の代償行為という面もある。
また、定時制高校を卒業しても転職活動において高校卒とみなされない中で「高校卒の資格を得る」ために定時制高校に進んだとは、口にできない・したくない心理もあったのだと思われる(本書ではそこまで踏み込んだ推測はしていないが)。
「人生雑誌」というものの存在を私は知らなかったのだが、『葦』『人生手帖』といった「勤労青年」層を対象にした雑誌があって最盛期には10万部に近い発行部数だったという。
青年学級や定時制高校に通うことが困難(地理的な問題のほか、奉公先の明示的・暗示的な妨害を受ける)な人々が隠れ読むような雑誌で、似たような境遇の人々の投稿を読んで共感するなどしたという。
1960年代後半には高校進学率の上昇という理由もあって「人生雑誌」は退潮に向かい(青年学級も消えつつあり、定時制高校は「全日制に行く学力がない人の学校」とみなされるように変質しつつあった)、雑誌という形での継続的なコミュニティは失われたという。
しかし、かつての「勤労青年」たちは、「人生雑誌」のような大衆教養主義の雑誌ではなく大衆歴史ブームに居場所を移したというのが著者の分析である。彼らが中高年層となって昭和50年代に『歴史読本』『歴史と旅』『プレジデント』などを支える中核となっていたとする。
ちなみに、いまの『プレジデント』しか知らないとピンとこないと思うが、昭和50年代には徳川家康とか山本五十六とかをやたら特集している雑誌だった。
なぜ大衆歴史ブームかというと
「実証史学であれば、古文書を読みこなし、地道に史料批判を重ねる作業が求められるものだが、歴史読み物にふれるだけであれば、そうした労苦を経ることなしに、史的な流れや歴史人物の思考(と思しきもの)を味読することができる。」
と、参入障壁が低いからだという。そしてそこには反知性的知性主義の萌芽があると。
著者はこんなことを書いてはいないが、定年後にネットを見始めて陰謀論を説くようになった高齢者像が目に浮かぶようだ。
著者は「勤労青年」世代の置かれていた状況を振り返っていて、その同情すべき事情も書いているが、それでも対象に対して客観的である。なのでその論考を進めるとこうなってしまうわけで…。
ちなみに本書は世代に注目しているので雑誌メディアにおける「勤労青年」の場がなくなって単行本に移行した後のことは追跡していない。
その点は牧野智和『自己啓発の時代』が述べている。単行本メディアである「自己啓発本」の初期は哲学者や作家が比較的漠然と「生き方」を説いていたが、徐々に実利にシフトしていく様を追っている。 -
「勤労青年」の教養文化史
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この本は20世紀半ばから後半にかけて、勤労青年たちにとって「教養」にはどんな意味があったのか、なぜ教養を求めたのか、など当時の社会情勢を描きながら中学を卒業した後すぐに働く青年たちの様々な思いを考察したもの。
当時の高校進学率(全日制)は今に比べて格段に低かった。それには様々な理由があるが、一番の理由は、学費の問題だ。それ故、昼間は働きながら定時制の高校に通う人が多かった。そして定時制に通うほとんどの人たちは良い企業への就職や、転職のためではなかった。(もちろんそういう人たちもいた)
彼らの目的は「教養」を身に着けることだった。彼らは全日制の人たちよりも一足早く社会に出て上司の人たちから理不尽な扱いをたくさんしてきた。勤労青年たちはその不条理な社会に疑問を抱き「人としての生き方」や「社会の在り方」の真理を発見するため定時制に通いだした。
しかし学業と仕事の両立は様々な理由で難しいものだった。(職場環境、人間関係、学習環境、学習内容、健康面など)
これらが理由で「教養」への熱が次第に冷めていった。
そこで勤労青年たちの「学ぶ場」として新しく誕生したのが「人生雑誌」というものだった。彼らは雑誌を通して定時制には無かった「哲学、歴史、思想、社会科学」といった実利的ではないものを学ぶ事ができた。(それらは彼らが求めていたもの)
だが「人生雑誌」も様々な理由から徐々に衰退していく。(それを読むことによって社会から左翼的と思われ悪いイメージがついた)
そして高度経済成長期に入ると段々と経済的格差が無くなって物質的にも豊かになり始めると同時に高校進学率(全日制)も上がった。
また、定時制に通う人に対する社会的評価も変わり始めた。経済的な理由から定時制に行く人が少なくなったが故にそれでも定時制に進学する人は「学力がない」、「落ちこぼれ」などと評価されるようになっていった。
自分の中の結論としては、世の中が経済的に豊かになった行き青年たちの生きがいというか人生での目的が「物質的」に豊かになることになっていったのではないかと思う。心の平安が「教養」ではなく「消費」に代わっていったように感じた。 -
「勤労青年」の教養文化史
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アジア太平洋戦争後、全日制高校に進学できなかった勤労青年の間で発生した教養文化について、その消滅までを追跡したもの。進学できなかったことへの鬱屈や、「教養」に触れない人たちへの優越感が、教養文化を支えていたことが浮き彫りにされる。1970~80年代の歴史ブームの担い手を、かつて教養主義をくぐった男性中高年層に見出す個所も面白い。
労働環境の改善や消費文化の浸透という勤労青年にとっての「幸」が、人生雑誌の「不幸」=教養主義の消滅をもたらしたとの指摘は重い。それでもなお教養が流行する社会を是とする説得的な理由を見出すことは、決して簡単ではないと思った。 -
「勤労青年」の教養文化史
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戦争体験を語り継ぐとは一体どのようなことなんだろうと思う。純粋な体験としてのみ存立させ続けることだろうか。それとも体験を解釈し、意味を与えることだろうか。本書ではその両極端な例が描かれる。
戦中世代の人間が体験の原風景を語ることにより戦後世代の意味づけを封殺しようとする様子、また戦後世代の人間が政治的な意味づけをすることで戦中世代を批判する様子。
その極端な例を見るにつけ、現代において現実的に戦争体験を語り継ぐというのは善悪を別として、その性格として原体験と教訓の両方を適度に配合することなんだろうと感じた。イデオロギーがかった援用は受容されにくいだろうし、原体験の羅列はあまりにも理解されないだろう。
戦前世代、戦中世代、戦後世代とそれぞれジェネレーションギャップが顕著になっている様子が興味深かった。それぞれの上の世代の教養主義や戦争体験をある種の権威と感じて反発している様子が描かれる。各世代がなぜそのようなポジションに立たざるを得なかったのか、今を生きる我々は十分に意識的であるだろうか。 -
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現・立命館大学産業社会学部准教授(歴史社会学・メディア史)の福間良明による戦争体験をめぐる戦後思想史。
【構成】
第1章 死者への共感と反感-1945~58年
1 遺稿集のベストセラー
2 戦没学徒の国民化-教養への憧憬
3 戦没学徒への反感
4 反戦運動の隆盛
5 反戦とファシズムの類似性-学生運動批判
第2章 政治の喧噪、語りがたい記憶-1958~68年
1 60年安保と「戦争体験」の距離
2 農民兵士たちの心情
3 「戦争体験」への拒否感-戦中派の孤立
第3章 断絶と継承-1969年~
1 大学紛争の激化
2 天皇をめぐる「忠誠」と「反逆」
3 戦争責任論と教養の現代
著者は『「反戦」のメディア史』『殉国と反逆』などの研究で知られ太平洋戦争めぐる戦後メディア論をフィールドとしており、本書もそれら既刊書の続編という位置づけである。
本書は戦没学徒の遺書・遺稿を集めた『きけわだつみのこえ』の受容と拒絶をめぐる戦後史である。
1949年に東京大学生協から出版されたこの遺稿集は、学徒出陣で学業の半ばにして戦争に巻き込まれ命を落とした学徒兵の苦悩を綴った手記として、戦後の教養主義復権とあいまって庶民にも広く読まれることになった。そして「わだつみ会」の結成を通じて、広く戦争体験を戦後世代に伝える活動が、1950年代の講和論争に端を発する反戦・平和運動とも相俟って展開されることになった。
この「戦争体験」の語りについて、著者は1930年代以前に大学を卒業した戦前派、戦時中に青年時代を過ごした戦中派、そして戦後派の3つの立場に大別する。戦没学徒兵と同じ戦中派に対して、戦前派は戦中派の教養の欠如を批判し、戦後派からすれば戦中派も戦前派もともに戦争の協力者であり「戦争体験」という教養を戦後派に強要する権威として反感を覚える存在であった。
しかも、同じ戦中派の中にあっても学徒兵の暴力性、農村出身者と大学進学エリートとのもつ軍隊経験の認識の差異、兵たちが戦った戦場の相違などによって、「戦争体験」も非常に多様であり、個々人の「戦争体験」を捨象して一つのわかりやすいイメージを形成しようとする「語り」を拒否する者もいた。
こうした「戦争体験」をめぐる各世代間、世代内の複雑な思いをつむぎながら、本書は『きけわだつみのこえ』に象徴される「戦争体験」が、1950年代のように庶民的な共感を呼んだ存在から、1960年代末の大学紛争においては権威的教養主義打破を叫ぶ学生から継承を拒絶される存在となっていく様子を描く。ここにおいて、「戦争体験」をめぐる戦中派と戦後派の断絶は決定的になり、戦中派負ってきた複雑な思いは切り捨てられ、1982年には『きけわだつみのこえ』は「反戦の古典」として教養主義の象徴的存在である岩波文庫へ収録されることになった。
『きけわだつみのこえ』という著名な遺稿集をめぐる世代間の相克を、一次史料を駆使して丹念に語りながら「没落する教養主義」とシンクロさせる著者の筆には大いに感心させられる。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
アジア・太平洋戦争下、三〇〇万人以上犠牲者を出した日本。
この「戦争体験」は、悲劇として語られ、現在では反戦・平和と結びつくことが多い。
だが、戦後六〇年のなかでそれは、実は様々な形で語られてきていた。
本書は、学徒兵たちへの評価を中心に、「戦争体験」が、世代・教養・イデオロギーの違いによって、どのように記憶され、語られ、利用されてきたかを辿り、あの戦争に対する日本人の複雑な思いの変遷をみる。
[ 目次 ]
第1章 死者への共感と反感―一九四五~五八年(遺稿集のベストセラー 戦没学徒の国民化―教養への憧憬 戦没学徒への反感 反戦運動の隆盛 反戦とファシズムの類似性―学生運動批判)
第2章 政治の喧噪、語りがたい記憶―一九五九~六八年(六〇年安保と「戦争体験」の距離 農民兵士たちの心情 「戦争体験」への拒否感―戦中派の孤立)
第3章 断絶と継承―一九六九年~(大学紛争の激化―「わだつみ像」の破壊 天皇をめぐる「忠誠」と「反逆」 戦争責任論と教養の現代)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
「勤労青年」の教養文化史
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幅広く教養への憧憬とその冷却の過程をえがいた秀作。著者の前著に、青年団・定時制を加えて書き下ろされた物でくしくも個人的にヒットする部分が多かった。そのため、定時制についてはやや一面的な部分もあるのではないかと思いつつ、でもああそうだったのかと首肯させてもらうことの方が全体的に多かった。竹内洋の名作教養主義の没落をうまくパラフレーズさせて独自のエッセンスを入れている。改めてこのあたりを学び直したい気分になったし、下村の運動はやや右派の教養主義の運動の系譜ではないかと考えられそうだと思った。何のために学ぶのか、実利でない人文知の価値を深くかみしめたい。
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「勤労青年」の教養文化史
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もやもや思っていたことを、わかりやすく文章化してもらったものを読めるという快感があった。『キューポラのある街』をツカミに持ってくるのは、新書の社会科学分野としてハマりすぎみたいだけれど、明快で想定読者層を突き放さない読み物だ、という確かなメッセージにもなっている。
内容で留意すべきなのは、扱っている時代幅が「戦後以降」であるということ。江戸時代、明治・大正という時代を遡って青年層の上昇志向の変異分析といったものとは、明確には接続していない。うがってみれば、敗戦後から1980年頃まで、「勉強しなさい」と大多数の親が怒鳴っていた時代はそれだけで独立して分析対象となりうるということか。確かに、マスとして「勉強」を通じた上昇志向が共有されていたのは、戦後の、それも昭和のある期間だけかもしれない。日本史上においても特異な時代であったのかも。 -
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司馬遼太郎著作って、あんまり読んだことがない。燃えよ剣と新撰組血風録くらいかな。
司馬史観という言葉は聞いたことがあって、興味があったんだが。
かなりコンプレックスと、軍の精神主義に対する批判、技術に対する信頼とかがベースにあって。
書かれている小説自体も、その、司馬先生の主観を通した仕上がりになっているようだ。
それは全然いいと思う。小説だし、面白ければ。
教養主義、高度経済成長、文庫本化などが重なって広く読まれていったようなのだが、その、主観を通した「解釈」がいつしか歴史上の事実みたいに受け止められていったってことなのかな。
多分、受け入れられやすく、分かりやすいパラダイムに基づくものだったのだろう。
司馬史観「ワールド」に展開する「小説」であるということが忘れられてしまったのではないかと感じた。