シモーヌ・ヴェイユのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2025.7.26
ヴェイユの強さ、与えられる優しさ
離さない光
美とは何か
これを理解するにはまだ及ばない
エネルギーの実体変化は自分の判断基準に取り入れようと思うぐらい感動した
ヴェイユにとっての美は何か。美によって神との接触が可能?我々が実在と接触できる数少ない媒介が「美」なのか。では美はなぜその位置を与えられたのか。神の「罠」。
ギリシア彫刻はヴェイユからすれば美。ではなぜギリシア彫刻を見るだけでは足りないのか?集団から個別へ、そして普遍へ。ギリシア彫刻は既に普遍的美としての位置付けがなされているという認識?だとしたらヴェイユは美の体験においては個別から普遍への段階を踏むことを求めていたのではないだろうか。だからこそヴェイユにとって美は手放さないものなのではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
下巻は第3部「根づき」の方法についての記述となります。上巻が「根こぎ」の悲惨な状態についての記述であったのに対して、下巻はいかにして人間が(特にフランス人を念頭においていますが)ふたたび根を張ることができるか、そして魂の糧を得ることができるか、についてのヴェイユの提案・主張が書かれていることになります。
主張は正直難解に感じましたし、一言で説明せよと言われると非常に難しいのですが、ポイントとしては人間の生命維持に直結する労働に焦点をあてていることでしょう。またヴェイユの主張で面白いと感じたのは、思考は万物を動かしている必然性すらも支配できる、というコメントです。つまり世の中で起こっていることは思考(感覚含む)が現前化した事象であり、私のつたない理解ですが、何事も考え方次第であって、全ての事象が愛に満ちたものだと考えることで、仏教的に言えば彼岸の智慧と此岸の知恵が融合されるような感覚を述べているのかと思いました(一言で言おうとするとどうしても稚拙な表現になってしまいますが・・・)。
本書を読んでハンナ・アーレントの「人間の条件」を思いだしました。アーレントは、望ましい人間像として、思考停止に陥る労働中心ではなく、政治や言論活動などの「活動」領域をもっと拡大すべきだと考えているのに対して、ヴェイユは、労働に思考を宿すことで霊的な根付きを生み出すべきだと主張します。私は個人的に両方正しい気はしましたが、もしかすると「根こぎ」にあっている人間に対する処方箋としてはヴェイユの方がより正しいのかもしれません(※根付きの状態になったらアーレントの処方箋のように活動領域を増やす)。本書は主に、ドイツに祖国を占領されたフランス人の立場から「根こぎ」の対策を論じているわけですが、「社会的、地理的、霊的な根こぎ」は現代社会においてもあちこちで起こっている問題だと思いますので、ヴェイユの主張は傾聴に値すると感じました。 -
Posted by ブクログ
フランスの哲学者で、第二次世界大戦時に亡命先の英国で34歳という若さでなくなったヴェイユの代表作の一つです。上巻では人間の魂に必要なものは何かをリストアップし、そのなかでも特に著者が重要と考えている「根を持つこと」についての論が始まります。植物にとって根が養分を吸収する重要な役割を果たしているように、人間もなんらかの根を持たなければ魂が死んでしまう。そして根から無理やり引き剥がされた状態、つまり「根こぎ」の恐ろしい影響について上巻では詳しく論じていますが、その中心的話題は祖国の喪失です。フランスはナチスドイツに占領されフランス人は「根こぎ」の状態になりますが、ヴェイユはいかにしてフランス人の魂を回復させるべきかについて最後に述べています。ヴェイユの主張は、国の過去の栄光を愛国心の基盤にしてはならず、むしろ祖国に対する憐れみの心こそが祖国愛の基盤になるべきだということでした。全編通じてなのですが、ヴェイユの主張は人間の心の機微を深く理解できないと、かなり難解かもしれないと感じます。ただ本書のテーマは遠い過去の遠い国の話ではなく、たとえば2011年東日本大震災時の原発事故で、故郷から無理やり引き剥がされて「根こぎ」になってしまった人々をも連想させました。「根こぎ」という病は戦争中の国だけでなく、現代日本にも存在しているという認識のもと、彼女の分析や処方箋は非常に重要な示唆を提供してくれるのではないかと感じました。
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Posted by ブクログ
2023/3/5(3回目)
「苦しみがなくなるようにとか、苦しみが少なくなるようにとか求めないこと。そうではなく、苦しみ によって損なわれないようにと求めること」辛くて苦しんでいたときに恩師から言われた言葉
「どうか、わたしは消えて行けますように。今わたしに見られているものが、もはやわたしに見られ るものではなくなることによって、完全に美しくなれますように」この世には究極的な言葉が存在するだろうが、これはその一つ 本当に眩しくて透きとおっていて信じられないほど美しくて悲しい
「知性は(中略)鋭敏で、尖鋭で、正確で、厳密で、酷薄でなくてはならない」恩師によく似合う言葉
「泣いてはならない、慰めを受けたりしないように」いつもこの言葉を思い出して生きていきたい -
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マア1割くらいしか理解できてないかもしれないけど…
・卑俗な動機は簡単にエネルギーになる
・自分の中の獣を馴致すること(不可能なものに達するには可能なことを積み重ね遣り遂げる必要がある)
・常に思考をやめない。思考の居場所のないところには正義も思慮もないから。(見えないものはない、というかんがえをやめる)
結構自分自身、己がつよいみたいなところがあって、いろんな自分の周りのことに執着したり、日々のことに意味あんの?とかおもったりしてサボったり、ということがあるけど、そういうのって傲慢〜〜〜ってことなのかもしれない。どうしても、私は世界のほんの一部(ぜんぶ)にすぎず、ダルマ/必然に隷従して生きるべきなのかもしれん…(行為の結実いかんに関わらず)
「こんな問題を、こんなふうにして、こんなところまで徹底的に突き詰めて考える人がいるのだ」 -
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根をもつこと、というこの題名から何を想像するだろう。ヴェイユという独特な哲学者についてあらかじめ知っていなければ手に取ることもないのではないだろうか。ここにいう「根」とは、周囲の集団や環境から喜びや生きがいを汲みとる人のあり方といったものといえようか。根をもつことをヴェイユはこう定義する、「根をもつこと、それはおそらく人間の魂のもっとも重要な欲求であると同時に、もっとも無視されている欲求である。また、最も定義のむずかしい欲求のひとつでもある。人間は、過去のある種の富や未来へのある種の予感を生き生きといだいて存続する集団に、自然なかたちで参与することで、根をもつ。」(上巻p64)。
人は根をもつ必要がある。ヴェイユのこの洞察を基礎に、戦前戦中のフランスの労働者、農民そして、国民としての根が失われている状況、いわば根こぎについて述べる。それらが、ナチスドイツによるフランスの占領を招いたことと織り交ぜて語られる。そして、下巻ではこのような状況を作り出したフランスの歴史を検討しつつ、将来のフランスにおける根の回復、根づきについて語られる。
この本をどう読んだらいいか。哲学者ヴェイユの警句としてよむか、社会変革のプログラムと読むべきか。ヴェイユが、条件を付きながらも希望をかけていたド・ゴール政権が戦後このような形にならなかったことを私たちは知っている。
ヴェイユ自身がいうように、「歴史上純粋な事柄はごくわずかだ。そのわずかなものの大半も、くだんの(自身のために拷問にかけられた奴隷の責め苦を見るに忍びず、自ら出頭した)主人や十三世紀初頭のベジエの住民のごとく、その名が消えてしまった人びとにかかわる。」(下巻p75 ()は書評者)。そういうものの一つとして、この本もあるのだと思う。 -
Posted by ブクログ
上巻は、ヴェイユが私的憲法草案を著すに際した基本理念(服従、名誉、秩序、言論の自由など)から始まり、労働者、農民、国民の、中世から続き第二次世界大戦敗戦に至るまでの「根こぎ」の過程と、根を取り戻すための実際的な要領を提案している。
下巻は丸一冊分「根づき」について。
敗戦という絶好のチャンスに、いかにしてフランス人に真理を重んじる霊感(これは魂とかそういう意味)を復活させるか。
真理と科学・労働が現状いかに乖離しているか、その滑稽さなどをかなり辛辣に綴っている。
”いまこの瞬間つぎの二つの運命からの二者択一を迫ってみよう~”の下りは、ヴェイユの真理に対する崇敬の度合いと厳しさが一番よく出ているくだり。
正直上巻の「根こぎ」は分析ばかりで退屈だったんだけど。
ヴェイユの強さは半端じゃないな。
目覚めさせられる部分もあり補強してくれる部分もあり、自分の人生に力強い味方を得たような気分。
「考える」にあたって、善と正しさに興味を失ったら人間として終わりだと思っている。 -
Posted by ブクログ
人に対して「透明感」という言葉を使うのはまず好意的な感情からだと思う。僕もシモーヌ・ヴェイユという人の深く澄まされた知性に、憧れや好意を感じる。
しかしそれにしても、いくらなんでもこの人の透明感は、度が過ぎている。水清ければ魚棲まず、ではないが、突き詰められた「聖」性は汚く図太く生きる生命力の対極のように思え、悲壮感さえ覚える。
関連して、ヴェイユの教え子の書いた本を読んだ。師への親愛の情に溢れた本だった。この人が周囲の人に理解され、愛されて生きたのだと思うと、何か救われたような気持ちになる。そんなことも含め、ヴェイユという人は僕に希望や勇気をくれる存在だ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレなぜ勧められたか覚えてないのだけど、仲の良い友人に「重力と恩寵読んだことある?たぶんすごく共鳴すると思う」的なことを言われたのが今年の初めくらいにあり、たまたま某図書室でも発見して、これは今読むべしということだなと思い、手に取りました。
なんの脚注もないので解釈むっずとなりながらなではあるものの、読み終わりました。
また別の人に、少し前に読んでいた悪徳の栄えとは真逆すぎて面白いですと伝えたら(快楽に対する態度とか)、「両極端すぎるように見えて紙一重なところがありそうじゃない」と言われて、確かに己の中にジュリエットもヴェイユも存在するので、それはあながちそういう側面もあるかもと思っている。基本は私はジュリエット派なのですが笑
重力と恩寵
・たましいの自然な動きはすべて、物質における重力の法則と類似の法則に支配されている。恩寵だけが、そこから除外される。
・ものごとは重力にあい応じて起こってくるものだと、いつも予期していなければならぬ。超自然的なものの介入がないかぎりは。
・ふたつの力が宇宙に君臨している、ー光と重力と。…
・重力には全然かかわりのない動きによって、下降すること…重力は下降させるもので、つばさは上昇させるものだ。つばさの力を二乗してみても、重力がなければ、下降させることができるだろうか。
・創造は、重力の下降運動、恩寵の上昇運動、それに二乗された恩寵の下降運動とからできあがっている。
・恩寵とは、下降運動の法則である。…
最初の数ページ、最初に読んだ時は、?でいっぱいでした笑。
対象なしに望むこと
・だれかを失うとする。その死んだ人、いなくなった人が、架空の実体のない存在になってしまったことがつらく悲しい。だが、その人を慕わしく思う気持ちは、架空のものではない。自分自身の内部へくだって行くこと。そこには、架空のものではない慕わしさの思いが宿っている。…死んだ人が現前するというのは、想像上のことにすぎないが、死んだ人の不在はまさに現実である。その人は、死んでからは、不在というかたちであらわれるのである。
大森荘蔵も『流れとよどみ』で似たようなことを言っていたなあ
脱創造
<脱創造>はヴェイユの独自な造語であるが、創造とは無から有が呼び出されることであるとすれば、いったん存在をゆるされたものが、その存在を否定して、もとの無へと帰って行く動きをこのように名づけているとみてよい。人間の側からみるとき、創造とは、神から存在を奪いとることであったとすれば、創造された性質(被造性)をぬぎ捨てて、完全な無を指向することが<脱創造>ということになる
・死。過去も未来もない。瞬間的な状態。永遠に近づくためには欠かせないもの。
必然と服従
・神との正しい関係とは、観想においては愛であり、行動においては、奴隷の境遇である。このことを混同しないこと。愛をもって観想しながら、奴隷として行動すること…
幻想
・仮象にも、十分すぎるほどの実在性があるが、それはただ仮象としてだけである。仮象以外のものとしては、虚妄にすぎない。
偶像礼拝
・偶像礼拝が生じるのは、絶対的な善を渇望しながらも、超自然的な注意力をもたず、それが育ってくるのをじっと忍耐づよく待てないというところからである。
・人間の思考は、情念や空想や疲労などに引きずられやすく、変化しやすいものである。ところが、実際の活動は、毎日、そして一日のうち何時間も同じようにつづけられて行かねばならない。だから、思考とはかかわりのない、つまり、さまざまな関連をはなれた、活動の動機というものが必要となってくる。これが、偶像である。
愛 神への愛ではなく、肉体的な現世での恋として理解してましたが、好きでした笑
・芸術作品というのは、ただそれらが存在しているという事実だけで、わたしたちを力づけてくれるものだが、そういう芸術作品の与えてくれる慰めとはちがった慰めを、愛する人々に対して要求すること(あるいは、かれらに与えようと望むこと)は、卑劣なわざである。愛し、愛されるということは、互いにこうして存在しているという事実をさらに具体的なものとし、つねに心の目にありありと見えるようにしているということにほかならない。だが、心の目にありありと見えるといっても、それが思考の源泉となるためであって、思考の目標となってはならないのである。理解されたいとねがう気持にむりがないのは、それが自分のためでなく、他人のため、他人のために存在しようとするねがいに発しているからである。
・汚すのは、変化させることであり、触れることである。美しいものとは、変化させようと思うことのできないものである。なにかに対して力をふるうのは、汚すことである。所有するのは、汚すことである。純粋に愛することは、へだたりへの同意である。自分と、愛するものとのあいだにあるへだたりを何より尊重することである。
へだたりへの同意、本当にそうだと思うので。使っていきたいし戒めていきたい。
・…すべて快楽への欲望は、未来に属し、幻想の世界に属している。ひとりの人が存在するようにと望みさえすれば、その人が存在するのだとすれば、このほか、これ以上に何を望むことがあろうか。そのとき愛するその人は、想像の未来におおい包まれていず、裸のままで、現実に存在する。…この意味では、未来を範として考えだされたいつわりの不死性に向けられていなければ、死者にささげられる愛は、完全に純粋である。なぜなら、それは、もはやこれ以上新しいものは何ひとつもたらすことのできない、終了した生をねがい求めることだからである。この死者がかつて存在したことがあればと、わたしたちはねがう。そうすると、その死者は存在したことになる。
偶然 一番共鳴した章
・わたしが愛する存在は、造られたものたちである。かれらは、偶然から生まれた。わたしとかれらとの出会いもまた、偶然である。かれらはいつか死ぬであろう。かれらが考え、感じ、行うことは、限界づけられていて、善と悪とが入りまじっている。このことを、たましいのすべてを尽くして、知った上で、なおかつ、かれらを愛すること。限りあるものを、限りあるものとして、限りなく愛する神にならうこと。
・わたしたちは、どなものでもなにかの価値をもつものが、永遠であればよいのにと思う。
・きらめく星と花ざかりの果樹。どこまでも永久に続いてかわらぬものとこの上なく脆くはかないものとは、ともに永遠の印象をもたらす。
・貴重なものが傷つきやすいのは、ほんとうにいいことなのだ。傷つきやすいということこそ、生存していることのしるしなのだから。
・トロイアの滅亡。花ざかりの果樹から花びらが落ちること。もっとも貴重なものは、生存の中に根を張っていないということを知ること。このことは、ほんとうおにいいことなのだ。どうしてか。たましいを時間の外へと投げだすこと。
注意と意志
・孤独。孤独の価値は、いったいどういうところにあるのか。単なる物質(空、星、月、花の咲いた木などにしても、みんなそうだ)、人間の精神よりは(おそらくは)価値の低いものばかりを前にたたずんでいるにすぎないというのに。その価値は、注意力をはたらかせる可能性が、いっそう多いという点にある。ひとりの人間を前にしても、これと同じ程度に、注意力をはたらかせることができたらよいのだが…
知性と恩寵
・求めるべき対象は、超自然的なものではなく、この世でなくてはなならない。超自然的なものは光である。それを一回の対象にするのは、それを低めることになる。
・世界は、いくつもの意味を含んだひとつの文章である。人は、苦労をしながら、意味をひとつひとつつかまえて行くのだ。…
宇宙の意味
・宇宙全体とわたしのからだとの関係が、盲人の杖とその杖をもつ手との関係とを同じようなさまになってほしい。…自分と世界との関係を変えて行くこと。ちょうど、修業によって職人が自分と道具との関係を変えて行くように。怪我をすること、それは、職業がからだにくいこむということなのだ。苦しみのたびごとに、宇宙がからだの中にくいこんでくるように。
習慣、熟練、意識が今持つからだとちがう対象の中に移って行くこと。その対象が、宇宙であるように。季節、太陽、星などであるように。…
美
・美しいものには、相反するもののさまざまな一致が含まれているのだが、とくに瞬間的なものと永遠なものとの一致が秘められている。
・美しいものは、官能に訴えかけるもので、そこには人を遠くへおしやり、あきらめさせるような力が含まれている。心のもっとも奥深くでのあきらめ、想像力すらも捨てさせてしまうようなものが、その中にはある。これがほかの欲望の対象なら、どんなものでも食べてしまいたいと思う。美しいものは、欲望の対象とはなるが、食べようとは思わない。わたしたちは、それがそのままそうあってほしいと望むのだ。
ヴェイユがここまで神を信じること、特にキリスト、に関してはやはり不思議というか全然納得できないのだけれど、言いたいことはまあわかる、という感じである。
こんなにも自分を無へとストイックに追い込んでいくことは私には到底できないし、その発想もなかった。面白い1冊であった。またいつかで会うだろうか。
そして彼女もギーターを何回か引用しているのが面白かった。