下川耿史のレビュー一覧
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歌垣とか盆踊りとかは乱交の場所だったというのは俗説として理解してたんだけど、どうも史実だったのか。
まずイザナギとイザナミの成り余れるところと成り合わぬところを合わせて国生みを成した話から。セキレイに学んだと。小笠原流は新婚初夜の決まりごとでセキレイ台を置くことになっている。
入浴は禊ぎであり乱交だった。
ストリップの始祖は天鈿女命が天の岩戸にこもった天照大神を引っ張り出すためにやった裸踊りだった。猿田彦命との結婚は国際結婚第一号で、2人が式を挙げた荒立神社は今も国際結婚がうまくいくというご利益で知られる。俳優の第一号が国神の住人に身を落としたので、芸能者が河原者として差別されるようになったきっかけという説も。
神社、鳥居は女性器あるいは子宮。阿吽は快楽の叫びという説も。大黒様は夜這いの元祖。
稚児の世界は女以上に女らしいもの。高僧と稚児のための性典もあった。平安時代の遊女はキャリアウーマンだった。昔から性の奇祭があった。
有馬温泉の湯女はそれまで宴席に呼ぶことを前提としていたのが出向く形となり、後の遊郭制度の萌芽ともいうべきものだった。
お経は宗教的エクスタシーを呼び起こすもので、良忍が創始した声明は日本独自の節回しとして現代の歌謡曲まで受け継がれた。法然と親鸞の配流事件も専修念仏が後鳥羽上皇の2人の側室を拐かしたからと。
一遍の踊り念仏もオージーパーティで、それを宗教的な解脱の境地とした。これが次代に盆踊りとして定着した。
秀吉によって京都に初の遊郭が作られた。江戸で混浴の銭湯が生まれた。
とまぁとにかく日本のエロ史。その主張がどれだけ史学的に証明されているのかとかはよくわからないが、とても面白く勉強になった。 -
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日本史のエロにまつわるエピソードを紹介した本。性の通史を書こうとしたそうだが、著者も後書きで述べている通り、エピソードの寄せ集めに終始した感がある。とはいえ、古代から近代まで、性風俗の流れがとっつきやすくまとまっている良著だ。
印象に残ったのは、各時代における性を売る女性の変遷で、平安時代の遊女はキャリア女性であり、教養と美貌を備えた女性のキャリアアップの手段として認められていたという。今をときめく貴族の娘が遊女をしていたというのは、現代の感覚とはかけ離れている。鎌倉時代の白拍子なども、自分の踊りの芸と性的な生き方に自信を持った自立した女性であり、遊郭に閉じ込められた籠の鳥となっていくのは戦国時代以降のことだった。遊女の歴史については参考文献も紹介されていたので、別途勉強してみたい。
また、平安時代後期以降、「読経」が官能的なものとして男女の心を虜にしたというのも驚きだ。今で言うカリスマロックバンドのようなものだろうか?法然・親鸞の配流事件も、後鳥羽上皇の側室が法然の弟子の読経に心を奪われ、出家を懇願し御所に泊めたことが原因という(昔習った気がするけどこんな面白い事件だったとは)。
室町時代に流行った踊り念仏は、乱交パーティーをもって宗教的な解脱の境地とするものであり、のちに盆踊りへと変化するものであった。その背景には、鎌倉期以降ずっと庶民にとっては「戦国時代」=乱世が続いていたことがあるというのも興味深かった。
また、明治維新における性の封じ込めが、日本の性風俗に大きな変化をもたらしたことも指摘されていた。長らく積ん読本になっている「裸はいつから恥ずかしくなったか」を、そろそろ読まねばなるまい。
ひとつひとつのエピソードが短くまとまっているので、読みたい章から読むことができ、また思ったより真面目なちゃんとした本なので、タイトルに尻込みせずに読んでみることをオススメする。 -
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必要に迫られて読みましたが、予想外に面白かったです。
読後、日本の歴史は「エロ」に彩られているとの感を強くしました。
まず、よく知られていることですが、「国生み」の物語からしてエロい。
日本最古の資料である「記紀」には、こうあります。
まず、「古事記」。
イザナギが「自分には成り成りて成り余れるところがある」と語ったところ、イザナミは「自分には成り成りて成り合わぬところがある」と答えたので、イザナギが「汝が身の成りあわぬところを刺し塞いで国生みをなさん」といって関係したといいます。
続いて「日本書紀」の「神代編」。
イザナギが「自分には陽の元といわれるものがある」といったのに対し、イザナミが「自分には陰の元がある」と答えたので、イザナギは「自分の陽をあなたの陰と合一させよう」といって関係したとあります。
著者は、「『日本書紀』の『陽の元』『陰の元』という表現に比べると、『成り成りて成り合わぬところ』とか、『汝が身の成りあわぬところを刺し塞いで』といった『古事記』の記述の方がはるかに生々しく、わいせつ感が漂っているように感じられる」と指摘しています。
私も同感です。
著者の興味は、ここからさらに掘り下げられます。
「ではこの時、2人はどんな体位で関係したのだろう?」
何もそこまで…と、少しあきれつつも、ページを繰る手が止まりません。
著者は、「神代編」の、こんな記述に注目します。
「(イザナギ、イザナミは)遂に交合せんとす。しかし、その術を知らず。時にセキレイありて、飛び来たりその首尾を揺す。二柱の神、それを見て学び、即ち交の道を得つ」
つまり、2人がどうやって関係したらいいのか分からず困っている時に、セキレイがつがいで飛んできて、頭や尻尾を震わせながら交尾した、というのですね。
それを見た2人は同じ要領で交合したそうです。
したそうです、って別に直接見たわけではないから分かりませんが…。
「小鳥の交尾は後背位であるから、それに学んだイザナギ、イザナミも当然ながら後背位で結ばれたはずである」とは著者の推理です。
面白いですよね。
天照大神が天の岩戸に引きこもった時、その岩の前で天鈿女命(アメノウズメノミコト)がストリップを演じたという話も、日本神話の中では有名な話です。
私は知りませんでしたが、「鳥居は女の大股開き」という説もあるそう。
「夏至祭」「岬の蛍」などの純文学作品がある佐藤洋二郎は、こう述べています。
「神社全体は女性の子宮にたとえられている。男性が水垢離、湯垢離をして体を清め、参道を逝ったり来たりしてお願いごとをする。鳥居は女性が股を広げている格好で、上部に神社名があるところは、女性の敏感なところだとも言われている。そこを身を清めた男性が行き来するのは、男女がセックスをする姿だ。境内に男性の性器をかたどったものがあったり、二つに分かれた樹の股を大切に扱ったりするのもそのためだ」(2014年11月25日「東京新聞」)
一事が万事、こんな調子で、以下、気になった箇所を羅列していくと―。
「男女が歌を交換しながら次第に高揚して関係する『歌垣』は乱交パーティーの始まり」
「女性用おもちゃは奈良時代からある」
「道鏡の巨根では物足りなくなった称徳天皇」
「絶倫で財政難を招いた嵯峨天皇」
あからさまといえば、あからさまな性風俗はしかし、国の基盤が整備されるにつれて、国の繁栄を寿ぐセレモニーへと変質しました。
歌垣は「踏歌」と呼ばれるエロティシズムとは無縁の皇室行事になりましたし、田植えも豊作祈願と称して男女の性交の姿を演じたり、場所によっては豊作祈願を口実に、実際に性関係を結ぶケースが見られましたが、皇室行事として定着した結果、御田祭りという色っぽさの削がれたイベントになりました。
ただ、これらの皇室行事の原初に「エロ」があったことは知っていて損はないと思いました。
さて、世の中はお盆ですが、「盆踊り」もエロと関係が深いと知って驚きました。
元々は中世の念仏踊りから起ったもので、最初から男女の乱交を伴ったレジャーだったそう。
盆踊りは江戸時代に盛んになりましたが、明治の新政府にとっては不名誉極まりないもので、1870年(明治3年)には前橋藩で「盆踊り禁止令」まで出たそうです。
盆踊りを見る目が変わりそうですね。
こうした「目からウロコ」の話が、本書にはてんこ盛りなのでございます。
紳士淑女にはおススメできませんが、これも我が日本の歴史と思えば、夏休みに静かに向き合うのも悪くないかもしれません。
最近は、「国の歴史を正しく教え、愛国心を育もう」という声が強いですが、私の個人的な愛国心は本書を読んで損なわれるどころか、むしろ亢進しました。
叫んでもいいんじゃないでしょうか、「ニッポンを取り戻す!」って。 -
自殺者たち 一日一死
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試し読み
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「人生とはペニスとバギナの離合集散のドラマだ。そのドラマを見据えることが、歴史と正面から向き合うことにもなるはずだ」
というよくわからない理屈から始まる本書。
着目点は大いに共感するのだが、そもそも新書だから、情緒や感性に訴える部分は少なく、あくまで知識情報の拡充が主(だから点数は常に3点)。真面目な内容だ。
その中でも、おぼえておきたいこと。
・神社は鳥居と本殿で女性器を表している(かも】
・水牛の角でディルドがつくられていた。
・称徳天皇は道鏡はじめ法師とやりすぎて膣内が極楽浄土に。あげくバイブがとれなくて死んだ
・藤原明衡「鉄槌伝」(11世紀中頃)が日本最初のエロ本。ユーモアに富んだ見立て本で、平賀源内のよう。
・煩悩消除=アナルセックス→稚児が菩薩へ
・エクスタシーに達するほど美しかった良忍の唱名
・一遍と踊り念仏は最高のパンクス。盆踊りの起源。
・セックス教団立川流。教祖・文観はラスプーチンのごよし。
・遊郭では、事に及ぶまで長いため、やり手婆がエロ話をして勃起をさせていた
・「江戸買物独案内」は紙媒体の広告としての先駆け
・狂歌は、自由を愛する身分を超えた文化サロン
・いかに近代以降、性が抑圧され、無個性をしいられてきたか。
性のエネルギーはいつの時代も消えるものではない。それがアングラに行くか、メジャーであるか、という違いなのだろう。しかし、文化としてはアングラのほうが面白い気もする。 -
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ネタバレ・下川耿史「混浴と日本史」(ちくま文庫)によれば、上代の風土記の時代、「混浴にも現代と同様の意味の混浴と、性的な関係を目的としたものの二つのタイプが併存していた」(27頁)といふ。後者は 水浴を伴ふ歌垣の類であり、前者は自然発生ともいふべき混浴である。縄文時代、弥生時代に既に多くの温泉があり、人々がそれを楽しんでゐたと思はれるこの国で、最初から別浴であつたなどとは考へられない。そもそも最初は皆裸で生活してゐたではないか、それがそのまま混浴になつた、ただそれだけのこと、難しいことは何もないのだといふわけである。しかし、古来、例へば奈良仏教界の混乱による前者の問題もあつたりして、風紀上の問題として、庶民は権力から混浴禁止を命ぜられ続けてきた。ところが、それはなかなか守られなかつた。これが近世以降は大きな問題となる。特に明治以降は大問題である。海外の目を気にしたのである。本書は中古以降に何か釈然としない記述が増えてゐたのに、近世を過ぎ、このあたりに来ると著者下川耿史の面目躍如といふところ、俄然おもしろくなる。「混浴禁止令は明治の新政府の最初の大仕事となった」(194頁)。実際、禁令矢継ぎ早である。ところが、その頃の「東京の銭湯の状況を見ると、 この法律がほとんど守られてゐなかったことが分かる。」(197頁)この先も似たやうなもの、禁令あれど守られずである。「政府の施策を馬耳東風と聞き流していた庶民」(203~204頁)である。つまり、「国民は国家によって規定されるという常識は、混浴という習俗には当てはまらなかった」(204 頁)。換言すれば、「混浴禁止に対する政府の熱意はことごとく庶民によって無視された」(207頁)といふことである。かういふ混浴に対する民意がそのまま以後も続いたかといふと実は必ずしもさうではなかつた。それが「画学生の裸体蔑視」(212頁)である。混浴に対する民意は私にも想像できるのだが、この画学生の問題は、絵には無縁の私には考へられないことであつた。画家はモデルを必要とする。そのモデルが混浴に及ぶのである。「日本女性の裸体は見られたものではない。」(215頁)だから裸を見せるな、混浴禁止となるのである。常識的には短絡的で無茶苦茶な論であらうが、当時はかう言はれたさうである。洋画を学ぶ画学生の西洋崇拝の一例である。夏目漱石「草枕」の湯煙風呂の場面も、これに対するアンチであるといふ。そんな側面もあつたのか、そんな時代だつたのだと思ふ。混浴が広く行はれる一方、そんな西洋からの問題もあつた。明治政府も西洋の目を気にして禁令を頻発したのだから、かういふ見方が出てきてもをかしくない。ただし、西洋人の一部は「日本の混浴を通して、ヨーロッパ的な裸体観に疑問を呈したといってもよい。」(203頁)つまり、日本と欧米の「文化の違い」(199頁)に理解を示してゐた人々もゐたのである。だからこそであらうか、最後に下川氏自身の中学生時代の思ひ出がある。隣の集落と我が集落の差異、混浴に対する思ひ、これも「文化の違い」であらう、はかくも異なると知るのであつた。「混浴を下品と見なすようになったのは、案外、私達 が少年時代だった昭和二十年代だったのではないか。」(「あとがき」250頁)といふやうに、上代から現代まで、混浴事情は変遷したのであつた。
・この下川氏、反権力的な状況になると元気になる。さすが風俗史家である。庶民風俗に権力はいらぬ。盆踊りも混浴、いや入浴も庶民のものである。明治以降の記述にそんな思ひが強く見える。このうへで中古から近世初期までの改訂があればと思ふ。 -
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2017年2月
性の通史と呼ばれるものがなく、それを編纂しようとした一冊。
民俗学の本などは今までほとんど読んだことがなかったが、なんとなく日本人は性に対してかなりオープンな民族であったというようなことは耳にしていた。
実際に平安時代ぐらいからの流れで本書は構成されているが、それに沿って学んでいくと、昔の日本人は性を楽しむことに今ほどの罪悪感などは感じていなかったように感じる。今でこそAV女優などがテレビに出たりして活躍をしているが、もともと日本人には、そう言った自分の生き方を貫くといった、個人の確立ができていたのかもしれないと感じる。 -
Posted by ブクログ
<目次>
第1章 エロくて偉大な神様たち
第2章 歴史の始まりとエロ
第3章 エロが昂じる王朝文化
第4章 戦乱の世を癒すエロ
第5章 花開いた大エロ文化
第6章 近代、官製エロの時代
<内容>
はしたないかと言えば、全然はしたなさはない。学術的かと言えば、そこまで高尚でもない。新書本にふさわしい、日本エロ史なのだと思う。なので、高校生程度では面白くないだろう、と思う。ある程度の歴史の教養があり、出て来る人物や時代背景を把握していないと、楽しめない本だ。そして、さまざまな知識が身につく。「処女と童貞」はいつ頃生まれた言葉か(処女や陰茎や膣などについても)。エロ写真のブーム。最近はやりの春画について。幕末開国期の「ネクタリン」とは?などなど。