必要に迫られて読みましたが、予想外に面白かったです。
読後、日本の歴史は「エロ」に彩られているとの感を強くしました。
まず、よく知られていることですが、「国生み」の物語からしてエロい。
日本最古の資料である「記紀」には、こうあります。
まず、「古事記」。
イザナギが「自分には成り成りて成り余れるとこ
...続きを読むろがある」と語ったところ、イザナミは「自分には成り成りて成り合わぬところがある」と答えたので、イザナギが「汝が身の成りあわぬところを刺し塞いで国生みをなさん」といって関係したといいます。
続いて「日本書紀」の「神代編」。
イザナギが「自分には陽の元といわれるものがある」といったのに対し、イザナミが「自分には陰の元がある」と答えたので、イザナギは「自分の陽をあなたの陰と合一させよう」といって関係したとあります。
著者は、「『日本書紀』の『陽の元』『陰の元』という表現に比べると、『成り成りて成り合わぬところ』とか、『汝が身の成りあわぬところを刺し塞いで』といった『古事記』の記述の方がはるかに生々しく、わいせつ感が漂っているように感じられる」と指摘しています。
私も同感です。
著者の興味は、ここからさらに掘り下げられます。
「ではこの時、2人はどんな体位で関係したのだろう?」
何もそこまで…と、少しあきれつつも、ページを繰る手が止まりません。
著者は、「神代編」の、こんな記述に注目します。
「(イザナギ、イザナミは)遂に交合せんとす。しかし、その術を知らず。時にセキレイありて、飛び来たりその首尾を揺す。二柱の神、それを見て学び、即ち交の道を得つ」
つまり、2人がどうやって関係したらいいのか分からず困っている時に、セキレイがつがいで飛んできて、頭や尻尾を震わせながら交尾した、というのですね。
それを見た2人は同じ要領で交合したそうです。
したそうです、って別に直接見たわけではないから分かりませんが…。
「小鳥の交尾は後背位であるから、それに学んだイザナギ、イザナミも当然ながら後背位で結ばれたはずである」とは著者の推理です。
面白いですよね。
天照大神が天の岩戸に引きこもった時、その岩の前で天鈿女命(アメノウズメノミコト)がストリップを演じたという話も、日本神話の中では有名な話です。
私は知りませんでしたが、「鳥居は女の大股開き」という説もあるそう。
「夏至祭」「岬の蛍」などの純文学作品がある佐藤洋二郎は、こう述べています。
「神社全体は女性の子宮にたとえられている。男性が水垢離、湯垢離をして体を清め、参道を逝ったり来たりしてお願いごとをする。鳥居は女性が股を広げている格好で、上部に神社名があるところは、女性の敏感なところだとも言われている。そこを身を清めた男性が行き来するのは、男女がセックスをする姿だ。境内に男性の性器をかたどったものがあったり、二つに分かれた樹の股を大切に扱ったりするのもそのためだ」(2014年11月25日「東京新聞」)
一事が万事、こんな調子で、以下、気になった箇所を羅列していくと―。
「男女が歌を交換しながら次第に高揚して関係する『歌垣』は乱交パーティーの始まり」
「女性用おもちゃは奈良時代からある」
「道鏡の巨根では物足りなくなった称徳天皇」
「絶倫で財政難を招いた嵯峨天皇」
あからさまといえば、あからさまな性風俗はしかし、国の基盤が整備されるにつれて、国の繁栄を寿ぐセレモニーへと変質しました。
歌垣は「踏歌」と呼ばれるエロティシズムとは無縁の皇室行事になりましたし、田植えも豊作祈願と称して男女の性交の姿を演じたり、場所によっては豊作祈願を口実に、実際に性関係を結ぶケースが見られましたが、皇室行事として定着した結果、御田祭りという色っぽさの削がれたイベントになりました。
ただ、これらの皇室行事の原初に「エロ」があったことは知っていて損はないと思いました。
さて、世の中はお盆ですが、「盆踊り」もエロと関係が深いと知って驚きました。
元々は中世の念仏踊りから起ったもので、最初から男女の乱交を伴ったレジャーだったそう。
盆踊りは江戸時代に盛んになりましたが、明治の新政府にとっては不名誉極まりないもので、1870年(明治3年)には前橋藩で「盆踊り禁止令」まで出たそうです。
盆踊りを見る目が変わりそうですね。
こうした「目からウロコ」の話が、本書にはてんこ盛りなのでございます。
紳士淑女にはおススメできませんが、これも我が日本の歴史と思えば、夏休みに静かに向き合うのも悪くないかもしれません。
最近は、「国の歴史を正しく教え、愛国心を育もう」という声が強いですが、私の個人的な愛国心は本書を読んで損なわれるどころか、むしろ亢進しました。
叫んでもいいんじゃないでしょうか、「ニッポンを取り戻す!」って。