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私は30年以上にわたって毎年のように西洋の美術作品を巡って歩いてきたが、美術作品も、それが位置する場所の力と相まってオーラをまとうようである。(中略)無数の眼差しが注がれてきた美術作品は、巡礼者の信仰を吸収した聖遺物と同じく、膨大な人々の情熱と歴史を宿し、あるべき場所で輝きを放っているのである(「まえがき」より)。イスラエルで訪ね歩いたキリストの事蹟から津軽の供養人形まで、本質を見つめ続けた全35編。
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Posted by ブクログ
描くことは祈り アンディーウォーホルってチェコ系移民なんだ 美術を学ぶ=宗教を学ぶだから、昔から宗教について学び続けてるけど、宗教はどの学問より歴史長いし奥深いよね。 ゴッホとか昔の芸術家にとって描くことは神への祈りの行為だったって話が凄い出てくるけど、祈りレベルに利他的な行為だからこそ自我が...続きを読む消せて良い作品に仕上がるのかなと思った。 受験して入った学校のコミュニケーションの楽さとか自分を理解して貰いやすさみたいなのが公立に比べて天地の差で、逆に不気味だったな。人生で一番楽しかったし。でも世の中って基本公立みたいなカオスなんだと思うし、アメリカのお金持ちが敢えて公立に行かせる理由分かるわ。明らかに人間関係で脳味噌使いまくったのは公立だったし。 宮下 規久朗 (みやした きくろう、1963年8月16日 - )は、日本の美術史家、神戸大学大学院人文学研究科教授。専門は、イタリア17世紀バロック美術。ただし、イタリアルネサンス美術はもちろん、近現代美術についても造詣が深い。愛知県名古屋市生まれ[1]。愛知県立旭丘高等学校を経て、東京大学文学部美術史学科卒業、同大学院人文科学研究科修了[2]。この間、1988年3月から9月までシエナ大学(イタリア)に留学。1989年に兵庫県立近代美術館学芸員[2]、1992年東京都現代美術館学芸員(1995年開館)[2]。東京都現代美術館時代には、開館展で荒木経惟の担当となり、『アンディ・ウォーホル 1956-86:時代の鏡』展の企画に参加(1996年開催。企画のみで、開催時点には現代美術館を辞していた)。1995年、神戸大学文学部助教授[2]、2007年から同大学院人文科学研究科准教授、2013年から教授。この間、1998年3月から翌年1月まで文部省在外研修員としてローマ大学美術史研究所に留学。 「イスラエルでキリストの生涯をたどりながら、なぜか自分の今までの美術行脚が思い出された。 私は三十年以上にわたって毎年のように西洋の美術作品を巡って歩いてきたが、美術作品も、それが位置する場所の力と相まってオーラをまとうようである。 もちろん、作品自体の質はどこに移動しても変わることはないが、出開帳や展覧会では決して味わえない要素がある。寺社でも美術館でも、その作品が本来置かれてきた場こそが作品に生命力を与えるのだ。作品からこうした場の引力や属性を剥ぎ取って、他の作品とともにニュートラルな空間に並べることによって、作品の純粋な造形的な特質をあきらかにするという信念が近代的な美術館や展示という制度を支えてきたのだが、それによって失われるものも大きいのだ。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「ヴェネツィアの生み出した絵画は、いずれも色彩豊かで華麗である。水に浮かぶこの町は、空と海が近接し、どこもかしこも水の反射によって非常に明るく、色彩もきわめて鮮明に映る。 一方、水蒸気は逆に色彩を吸収することもあり、とくに冬はすべての光景をモノクロームに還元してしまう。湿潤な空気のうちに不断に移ろうこうした視覚体験から、色彩に敏感な感性が育まれ、線描よりも色彩を重視するヴェネツィア絵画が生まれたのだという説がある。たしかに、色彩と変化にあふれたこの町を歩くと、誰しもが景観への関心を呼び覚まされ、視覚の喜びに浸ることができるのだ。 もともとビザンツ帝国とのつながりによって繁栄したヴェネツィアは、その影響によってサン・マルコ大聖堂に見られるような見事なモザイク芸術を生み出した。十三世紀初め、十字軍に便乗して宗主国であったビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを占領すると、そこから膨大な富と美術品がもたらされ、ヴェネツィア経済と文化は繁栄をきわめる。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「ミラノに生まれ、画家であった父に絵を学んだアルチンボルドは、当初は宗教画を描いていたが、やがて神聖ローマ皇帝に招かれ、ウィーンとプラハの宮廷で二十五年間を過ごした。 当時そこは、西洋中の才能ある芸術家や科学者、世界中の珍奇な事物が集まっており、知と芸術の中心地であった。彼はそこで様々な刺激を受け、宮廷の植物園や「驚異の部屋」に集められた草花や生物を観察して描写し、さらにそれらを合成して人物画に仕立てた。《水》には六十種類もの水生生物が描かれているという。彼の作品は、単に意外さや新奇さをねらうものではなく、最新の博物学の成果を示すものでもあったのだ。 絵画制作だけでなく、婚礼や騎馬試合といった祝祭行事の演出や衣装デザインも手がけたことが、記録やデッサンからわかる。宮廷の総合プロデューサーのような多彩な活躍をした彼は、その才能を愛した皇帝ルドルフ二世から貴族の称号まで与えられた。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「つまり彼は、時代から孤立した異端の画家ではなく、十六世紀イタリアの自然主義を代表する巨匠であり、いわばレオナルドとカラヴァッジョをつなぐ存在であったのだ。展覧会には、レオナルドのデッサンや十六世紀ミラノの画家たちの作品も出品され、こうしたつながりがあきらかにされている。 アルチンボルドの芸術は、静物画や近代科学が登場しつつあった転換期の生んだ結晶であり、それゆえ現代になって新たな人気を獲得することになったのかもしれない。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「この過程でカラヴァッジョが梅毒に感染し、鉛中毒だったこと、日射病にかかっていたことを示す痕跡も見つかったという。画家は鉛白でできた白絵具を使うため、鉛中毒にかかりやすかった。興味深い結果だが、やはり眉唾であった。そして、遺骨がもし本人のものだったとしても、それによって美術史学に寄与するものではない。 カラヴァッジョの名声は二十一世紀になってからますます上昇しており、毎年のように世界のどこかで展覧会が開かれるようになったのだが、作品数は限られており、教会の祭壇画のような大作はほとんど出品されない。日本での二度の展覧会でも、祭壇画の出品はかなわなかった。ローマやシチリアにカラヴァッジョ巡礼に行くに越したことはないのだが、世界中のカラヴァッジョファンの好奇心に応えるように、こうしたニュースがときどき世をにぎわすのである。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「二十世紀イタリアの静物画家、ジョルジョ・モランディは、故郷ボローニャからほとんど出ることなく、世界の目まぐるしい美術運動の変動とも無縁に、生涯独身で、ひっそりと地味な静物画ばかりを描き続けた孤高の画家である。時代に左右されないその芸術は時とともに評価され、イタリアを中心に世界中で人気が高まっている。日本では、一九八九年から九〇年、二〇一五年から一六年の二度大きな展覧会が開催され、全国を巡回したことから、愛好者は増え続けているようだ。 ボローニャはフィレンツェやローマほど観光客は来ないが、イタリア最大の美術とグルメの街である。その一角に、ボローニャ近代美術館の中にあるモランディ美術館と、「カーサ・ディ・ジョルジョ・モランディ」として二〇〇九年より一般公開されているモランディのアトリエがあり、その静謐な制作環境とともに作品の数々を味わうことができる。きわめて快適で美術品にあふれたこの静かな古都から動かなかったゆえに、彼は自らの芸術を五十年にわたって追求することができたのだろう。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「 いわば、当時ようやく再発見されたばかりのイタリア美術の最良の伝統を注意深く抽出し、小型の画面に凝縮して丁寧に塗り込めたのである。そのため彼の芸術はきわめてイタリア的に見え、同時代からイタリアの批評家や美術史家に熱烈に支持されたのであった。長らく西洋美術の中心であったイタリアは、十九世紀以降フランスに水をあけられたが、その偉大な伝統を継承し発展させたという点で、モランディは二十世紀イタリア最大の巨匠と目されている。 もっとも、こうしたことを知らなくとも、その画面は誰しも惹きつけてやまず、近くに寄って眺めても、いつまでも見飽きることがない。わずかなモチーフによる地味な静物画がなぜこれほどの表現力をもつのだろうか。それこそがまさに絵画という芸術の神秘であり、絵画というメディアが今なお衰えずに生き続けている理由であるといってよい。 絵画とは何か、絵を見るとはいかなることなのかということまで考えさせてくれる。どの作品も一見寂しげで孤独を感じさせるが、じっと見ているといつしか温かいものがこみ上げてくる。いつも一人でじっくり見ていたい作品群だ。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「四国の金刀比羅宮は、こんぴらさんとよばれ、長らく庶民信仰の中心地であった。江戸期以降はこんぴら参りがお伊勢参りと並ぶほど人気を博し、今も年間四百万人もの参詣客を集めるという。しかし、伊勢や出雲とちがって、この神社が全国でも屈指の美術の宝庫であることはそれほど知られていない。 二〇〇七年から〇八年に朝日新聞社等が主催し、東京藝術大学大学美術館、三重県立美術館、そしてパリのギメ東洋美術館にも巡回した「金刀比羅宮書院の美」という展覧会があり、また二〇一五年には大阪のあべのハルカス美術館で「昔も今も、こんぴらさん。 ~金刀比羅宮のたからもの ~」展が開かれた。これらの展覧会は、金刀比羅宮の誇る名品が惜しげもなく出品されていて見ごたえがあった。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「金刀比羅宮を飾る美術の見所は、金刀比羅宮の奥書院を飾る伊藤若冲の《花丸図》襖絵(図 43)と、円山応挙による表書院の「山水の間」「虎の間」「鶴の間」「七賢の間」の四室の襖絵である。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「近年の研究では、春画は庶民だけでなく上流階級も享受しており、男女を問わず楽しんだということがあきらかになっている。春画は時を超え、誰にでも楽しめる芸術であると認識させられた。 いまだに春画は偏見にさらされているが、こうした試みを重ねることによって、やがては日本を代表する一大芸術であると正当に評価される日が来るにちがいない。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「木下氏はその後、東京大学に移り、文化資源学という新たな学問を立ち上げ、写真や城郭や銅像などについて刺激的な著書を発表している。男性裸体像の性器表現を扱った最近の『股間若衆』(新潮社)も痛快で、タイトルとともに本人が楽しんで書いているのがわかる。自分がおもしろいと思えることにこだわることこそが学問の原点であることを、彼からはいつも教えられるのだ。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「西洋において絵画は、水彩やデッサンや版画など紙を支持体にする作品をグラフィックあるいは紙の作品とよび、油彩画やテンペラ画のように、カンヴァスや板など堅固な支持体に描くものをペインティングあるいはタブローとよぶ。素材や技法ではなく、支持体によって区別されており、前者は後者の習作や前段階として下位に置かれてきた。 十七世紀にパステルが発明されたが、当初は素描や習作のように補助的な手段であった。しかし、十八世紀にはパステルを主要手段とするパステル画家たちが登場し、パステルの地位が向上する。その最初の巨匠であるヴェネツィアの女性画家ロザルバ・カリエーラは、十八世紀初頭にパステルによる肖像画を描いて人気を博し、各国の王侯貴族に注文された。パリでその影響を受けたモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールは、《ポンパドール夫人》(図 56)のような全身像の大画面の肖像画も制作。スイスの画家ジャン・エティエンヌ・リオタールも肖像画家として活躍し、東方趣味にあふれる風俗画も描いた。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「藤田嗣治は、近年、ようやくその作品を目にする機会に恵まれるようになった。 しかし、この画家はいまだに日本の近代美術史に位置づけにくい。初期から壮年期までをパリで過ごして日本の画壇と関係を持たず、しかも西洋の芸術潮流ともあまり関係がないように見えるからである。フランスで名声を得た藤田は帰国後、戦争画の旗手として大活躍する。しかし、戦後はその責任を問われて再び渡仏、フランスに帰化して没した。日本でもフランスでも派手な言動によってつねに話題を集めた彼は、美術界のトリックスターとなって正当な評価を遅らせてしまったようである。 藤田は一九三一年から二年間、中南米を旅行しているが、このときメキシコの壁画運動に接して、壁画の力や公共性について再認識した。帰国後、彼はさかんに壁画を描くようになる。一九三五年に銀座の洋菓子店コロンバンのために天井画を制作。それらはフランスのロココ風の田園風俗画だが、彼の名声を確立させた乳白色の地色や黒い線描は見られない。この六点の壁画は一九七四年、持ち主のコロンバンによって赤坂の迎賓館に寄贈され、公開されて見ることができるようになったのは喜ばしいことである。 藤田がその後まもなく軍部の委嘱で戦争記録画を描いたのは、壁画のような大画面や公共性を求めたためでもあったろう。当初、彼にとっては表現内容は二の次であったにちがいない。西洋で公共的な壁画芸術を見て学んでいた藤田にとっては、戦争記録画は自らの本領を発揮できるまたとない舞台であった。 ところが、一九四三年に《アッツ島玉砕》を描いたころから、次第に戦争の記録や大義よりも人間の極限状況や殺戮という主題に熱中していく。それは全国に巡回して多くの民衆を感動させ、藤田は、自分の芸術がはじめて広く日本国民に受け入れられたことに感激した。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「しかし、戦後これらを描いたことを糾弾された彼は深く傷つき、日本を後にする。フランスでカトリックに入信したのも、戦争画で暴いてしまった生と死の深淵と虚無を埋めるためだったのではなかろうか。そして、「黙示録」挿絵のうちに緻密に描いた地獄の情景(図 62)は、彼にとっては戦争画の延長であったように思われる。そこには、断罪された者たちの阿鼻叫喚が執拗に描写されている。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「このような事例は古代から数多く記録されており、中国にも、うっかり紙に落とした墨の点を修正して見事な蠅に変えた画家の伝承があった。欧米の美術館を飾っている名作にも、画面の片隅に蠅が描かれているものは実に多いのだ。人間にとって嫌われものの蠅は、実は古今東西を問わずさかんに描かれてきたのである。 また、草を刈り取る農機具である鎌は収穫の象徴であり、「夏」の擬人像の持物でもあった。西洋では農作業の風俗画によく登場する。鎌はまた、命を刈り取るという点で死や時間の擬人像の持物となった。 新約聖書の「黙示録」には、鎌を手にした天使たちが出てきて熟した葡萄を刈り取るという記述があるが、これは終末のときにおける裁きを意味するとされる。この情景を描いた 14世紀ヴェネツィアの画家ヤコベッロ・アルベレーニョの作品(図 69)では、大きな鎌を両手で持った天使が、葡萄を刈り取ろうと身をかがめている。農業を象徴する鎌は、工業を表すハンマーとともにソ連の国旗にも登場するが、アンディ・ウォーホルはそれを作品化している。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「また、人物のしぐさや身振り、ポーズや動作も重要である。西洋美術は人体を中心とし、人体の動きによって意味を伝えてきた。西洋人は身振りやジェスチュアが大きいが、これは異なる言語の入り乱れる地域ならではの習慣であった。日本は単一の言語体系の島国に生きていたので、身振り言語を必要とせず、それゆえに他人の身振りにもすっかり鈍感になっている。そのため、西洋美術を見るときは身振りに注目することが必要なのだ。 たとえば、第 1章の「フィレンツェの美女たち」の項目でも述べたが、キリスト教美術でもっとも親しまれた「受胎告知」という主題がある。登場人物は聖母マリアと大天使ガブリエルだけのシンプルな画面だが、マリアの身振りによって、受胎告知のうちのどの段階かがわかるのだ。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「美術というものは古今東西を問わず、どんな天才的作品でも必ず過去の作品と密接な関係をもっており、時間と空間の制約の中からしか生まれないものであって、芸術家の天分や創意工夫などといったものはごくわずかな要素にすぎないのだ。 こうしたモチーフやしぐさの意味をいくつかでも知っていれば、美術作品を深く味わえるし、知らなければ見過ごしてしまうことも多い。美術を見るということは、感性だけの営為ではなく、非常に知的な行為なのだ。知識があればあるほど作品の意味や機能、作者や注文者の意図がわかって深く鑑賞できる。知識があって鑑賞の邪魔になることはありえないし、知識を軽視して、自分の感性や好き嫌いだけで見ても、ほとんどの美術作品は何も語りかけてくれないだろう。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「アメリカの中西部ミシガン州の都市デトロイトは、世界の自動車産業を牽引してきた産業都市であったが、徐々に衰退し、深刻な財政危機に陥ってついに二〇一三年に破綻した。負債額は百八十億ドルにのぼる。 この町には一八八五年に設立された米国屈指の大美術館があり、六万五千点以上の収蔵品を誇っていた。この所蔵品を売却して債務返済にあてる計画も提起されて検討され、売却額の見積もりは百億ドルとなった。だが、長く美術館に親しんできた市民たちや国内外の人々による反対運動によってかろうじて阻止された。かわりに作品を世界に巡回させて利益を得ることにし、二〇一六年、日本での巡回展にいたったのである。 この美術館は、一九八九年にも日本で所蔵品の展覧会をしたことがあったが、そのときはこのような危機に陥るとは誰も思わなかった。カラヴァッジョの《マルタとマグダラのマリア》など、この美術館が誇るオールド・マスターも出品されたが、二〇一六年の展覧会は近代美術に絞ったものであった。出品作は五十二点と数は少ないが、質が高い作品ばかりで見ごたえがあった。モネやルノワールらの印象派に始まり、ゴッホやセザンヌらのポスト印象派を経て二十世紀のマティスやピカソにいたるフランスの近代絵画は、西洋のモダニズムの主流であり、日本にも大きな影響を与えて親しまれてきた。その中で、日本であまり目にする機会のないドイツ表現主義が大きく取り上げられているのが注目された。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「ドイツは、西洋美術史においてはフランスやイタリアのような輝かしい歴史はなく、むしろ美術の後進国に甘んじてきたが、中世のゴシック以来の伝統があり、ルネサンス期には西洋ではじめて風景画が誕生したのであった(図 89)。 二十世紀初頭には、フランスのモダニズム絵画の影響を受けつつも、それに反発するドイツ表現主義が生まれた。色彩の調和や美よりも強烈な色彩や大胆な筆触によって精神性や感情表現を重視するこの流派は、当時の一般的な美意識とは相容れないため批判も受け、とくにナチス政権下では「退廃芸術」という烙印を押されて厳しく迫害された。しかし、それらは自然の中に神を見出すゲルマン的な伝統に連なるものであり、それを新たに蘇らせたものであった。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「自動車産業で成功したフォード家のような大富豪から、名もない一般の美術ファンにいたるまで、数多くの市民が百年以上にわたって育み、支えてきたこの美術館の底力を感じさせた。 アメリカには、このレベルの充実した美術館が多い。中西部に限っても、シカゴ、クリーヴランド、ミネアポリス、セントルイス、カンザスシティなど、主な都市はいずれもデトロイト美術館と同じか、それ以上の大美術館を持っている。それらはみな十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、市民たちがコレクションや基金を寄付して成立し、徐々に拡張されてきたものである。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「 森村泰昌は、一九八五年にゴッホの自画像に扮したセルフポートレイト写真を発表して以来、一貫して名画や歴史上の偉人に扮した自画像を発表してきた。 一九八九年、全米を巡回した日本現代美術展「アゲインスト・ネーチャー」展にも出品し、国際的にも注目を集めた。その年から美術館に勤め始めた私は、彼の作品が注目されて話題になっている現場にいたが、なんとなく反発をおぼえ、一種の大阪らしい一発ギャグのようなものにすぎないと決めつけてしまった。 しかし彼はその後も名画だけでなく、日本画や写真や有名人など様々なバリエーションに挑み、いつも見事な完成度と意外性を示して新作を発表してきた。当初、単なる名画のパロディのようにしか見えなかったのだが、次第に美術史や歴史的事件への再解釈に向かうようになり、深化していった。また、彼の書く文章は、いつも美術家の余技を超えるレベルを示していた。こうして私の中で彼は、受けをねらう大阪の軽い芸人的な作家ではなく、もっと骨太でシリアスな堂々たる現代アーティストに成長してきたのである。 二〇一六年に国立国際美術館で開催された個展(図 84、図 85)は、彼の三十年間の表現の集大成となるものであり、彼の故郷にして制作現場である大阪での初めての回顧展となった。このとき、一時間を超える長編映像作品によって、美術史や自画像に対する彼の意図や解釈が打ち出され、それだけでも非常に見ごたえがあった。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「 森村泰昌は、一九八五年にゴッホの自画像に扮したセルフポートレイト写真を発表して以来、一貫して名画や歴史上の偉人に扮した自画像を発表してきた。 一九八九年、全米を巡回した日本現代美術展「アゲインスト・ネーチャー」展にも出品し、国際的にも注目を集めた。その年から美術館に勤め始めた私は、彼の作品が注目されて話題になっている現場にいたが、なんとなく反発をおぼえ、一種の大阪らしい一発ギャグのようなものにすぎないと決めつけてしまった。 しかし彼はその後も名画だけでなく、日本画や写真や有名人など様々なバリエーションに挑み、いつも見事な完成度と意外性を示して新作を発表してきた。当初、単なる名画のパロディのようにしか見えなかったのだが、次第に美術史や歴史的事件への再解釈に向かうようになり、深化していった。また、彼の書く文章は、いつも美術家の余技を超えるレベルを示していた。こうして私の中で彼は、受けをねらう大阪の軽い芸人的な作家ではなく、もっと骨太でシリアスな堂々たる現代アーティストに成長してきたのである。 二〇一六年に国立国際美術館で開催された個展(図 84、図 85)は、彼の三十年間の表現の集大成となるものであり、彼の故郷にして制作現場である大阪での初めての回顧展となった。このとき、一時間を超える長編映像作品によって、美術史や自画像に対する彼の意図や解釈が打ち出され、それだけでも非常に見ごたえがあった。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「新作展でとりあげられた美術家や作品は、忘却とはまったく逆に、歴史の風雪に耐えて記憶されてきた有名なものばかりである。しかし、それらは単に保存されることではなく、新たに解釈されることによって命脈を保ち、生き直されるのである。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「 二〇一七年は宗教改革五百周年に当たり、世界各地で記念行事が開かれた。東京の国立西洋美術館と大阪の国立国際美術館で開かれたクラーナハ展もその一環であった。宗教改革の創始者マルティン・ルターの親友であったドイツ・ルネサンス美術の巨匠の日本初の展覧会であり、よく知られたルターの肖像(図 88)も出品された。 ドイツで起こった宗教改革は、その直前に起こったルネサンスとともに近代の幕開けを告げる大事件であった。日本の歴史教育では、宗教改革とは、腐敗したローマ教皇や教会に対してルターら勇気ある聖職者たちが敢然と立ち上がり、キリスト教を本来の純粋な姿に取り戻したという、正義に満ちた運動であったかのように記述され、日本社会にもそのような通念が蔓延しているが、それは一面的な見方にすぎない。日本の西洋史学がドイツに起源をもち、教育がアメリカの影響下にあったために、そのような偏りが植えつけられてしまったのである。 実際には、宗教改革は不寛容な原理主義という面を持ち、多くの美術作品を破壊した恐ろしく野蛮な運動であったのだ。悪名高い魔女狩りや魔女裁判は宗教改革以前には見られず、ほとんどが宗教改革後のプロテスタント圏で起こっているのだが、それは、宗教美術を破壊するのと同根の異常なまでの偏狭さや不寛容の生み出したものであった。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「実際には、宗教改革は不寛容な原理主義という面を持ち、多くの美術作品を破壊した恐ろしく野蛮な運動であったのだ。悪名高い魔女狩りや魔女裁判は宗教改革以前には見られず、ほとんどが宗教改革後のプロテスタント圏で起こっているのだが、それは、宗教美術を破壊するのと同根の異常なまでの偏狭さや不寛容の生み出したものであった。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「日本にはイタリア美術で見るべき作品はほとんどない。もっとも、美術における日本とイタリアとの関係は深い。明治初頭、日本にはじめて西洋の絵画彫刻や建築の技法を伝えたのは、工部美術学校に招かれたイタリアの美術家たちであった。そして、何人かの日本人はイタリアに留学し、本格的な技術を習得した。 しかし、やがて洋画家の多くはフランスに留学し、その地の前衛美術を範と仰ぐようになる。松方コレクションや大原美術館の収集品の大半もフランスの近代美術であった。前者を母体として開館した東京の国立西洋美術館は、その欠を補うため、イタリアの美術作品も収集してきたが、代表作や名作は集まらなかった。日本にある西洋美術は実に偏っているのだ。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「 どんな宗教でも、信仰を維持するための物体を必要とする。画像や彫刻でなくとも、数珠やお守りなど、人間は神にすがるとき、何かを持ちたいのだ。まして、信仰が禁じられ、公に礼拝できなくなった状況では、どんな小さなものでも信じるための確証が求められたであろう。南蛮時代の画像はわずかしか残っていないが、小型のメダイやクルスは数多く残っている。 映画には、現在、長崎の二十六聖人記念館に保存されている《雪のサンタ・マリア》とよばれる絵をはじめ、実在する聖画や踏絵が登場したが、とくに踏絵は重要な役割を与えられていた。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「人類のあらゆる芸術の源は宗教である。とくに、造形表現のほとんどは洞窟壁画以降、信仰や呪術から生まれたものであり、いつの時代でも宗教と美術とは切り離せなかった。どんな文化圏においても、宗教芸術こそが芸術の中心であり、古い宗教は必ずや優れた芸術を伴っている。日本美術でもっとも完成度の高いのは仏教美術であり、西洋ではキリスト教と結びついて大きく発展してきた。具象的な造形を禁じたイスラム教圏でも、モスクの建築や装飾のうちに瞠目すべき芸術を達成している。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「牧師を志していたゴッホにとって、芸術は自らの宗教観や信仰の表現にほかならなかった。彼の作品は伝統的なキリスト教主題を扱っていなくとも、すべてキリスト教美術として見ることができる。 ゴーギャンはブルターニュの素朴な農民信仰に触発されて、《説教の後の幻影(ヤコブと天使の戦い)》や《黄色いキリスト》のように、大胆な色面による革新的な絵画を描く。 また、タヒチにおける西洋と異なるキリスト教の信仰の姿を《イア・オラナ・マリア(われマリアを拝す)》(図 98)に描いたほか、自らをキリストに重ね合わせた自画像によって、世間から孤絶した芸術家の苦悩を表現した。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「しかし、シャガールと同じくロシア系のユダヤ人の移民の子として生まれたアメリカの抽象表現主義の画家マーク・ロスコは、シャガールのように神や預言者の姿を描くことはなく、茫漠とした色面のみによる大画面の抽象絵画によって、超越的な存在や人間の悲劇的感情を表現しようとした。 ユダヤ教では、神の姿や聖書の情景を描くことを禁止していたが、ロスコの作品は、特定のモチーフを表現していないがゆえに普遍的な宗教性を感じさせる。 ロスコは一九六四年から六七年にかけて、ヒューストンのロスコ・チャペル(図 101)の装飾に従事したが、それはマティスのロザリオ礼拝堂とともに、二十世紀の教会装飾の双璧をなすものとなった。フィリップ・ジョンソンの設計による八角形の空間に、微妙な色面のみによる壁画で構成された内部は、訪れる人を瞑想に誘わずにはいない。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「ロスコが毛嫌いした画家が、一九六〇年代初頭、商品やスターなど大量消費社会のイメージを作品とするポップアートを生み出したアンディ・ウォーホルであった。戦後アメリカ美術の旗手となったウォーホルも、その芸術の根底には深いキリスト教信仰があった。チェコの移民の息子として敬虔な典礼派カトリックの家庭に育った彼は、生涯にわたって熱心な信仰を保ち続け、その作品もキリスト教と関連して読み取ることができる。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「真に優れた美術はつねに宗教的であり、美術と宗教とは実は同じものなのだ。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「世界中のカトリック教会は基本的にいつでも誰にでも開かれている。信仰の有無にかかわらず、人間にとって瞑想する時間は必要である。静寂の中で自らの内面と向き合い、この世を超えた存在に思いを馳せることができるのだ。イタリアやスペインなどカトリック国を旅行するときには、疲れると教会に入って休み、内部の祭壇画や彫刻を鑑賞することができる。カトリックは、こうした祈りの場の重要性をよく認識しており、それがゆえに、世界最大の人口を擁する普遍的な宗教になっているのではなかろうか。 日本でもっとも多いプロテスタントの教会は、礼拝のときをのぞいて気軽に入ることができないのが問題である。基本的に信者の礼拝以外の用途や一般人の立ち入りを想定していないのだ。日本中どこにでもある神社には誰もが入ることができるが、それは基本的に屋外であり、座る場所がない。柏手を打って祈るだけであり、立ったまま瞑想するのは難しいだろう。ただ、どんな神社でも気楽に立ち寄って参拝できるのはすばらしいことである。仏教寺院には拝観料を払って入ることができる名刹もあるが、基本的に檀家以外には閉じられている。訪問すれば親切に見せてもらえることも多いのだが、気軽に入れないのはたしかだ。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「京都の龍安寺は、京都の代表的な観光名所としていつも大勢の観光客でにぎわっているが、枯山水の石庭をぼーっと眺めながら座っている人が絶えることがない。戦後まもない日本を訪れたアメリカのアーティスト、アンディ・ウォーホルも龍安寺を訪れて長時間座ったが、その経験が、後にカメラを固定して長時間撮り続けた「エンパイア」などの前衛的な映画を制作する着想につながったという。 そういう特殊な名所よりも、日常的な生活圏にも祈りの場があったほうがよいと思う。私はもう二十年あまり、出勤途上に職場の近くにある六甲カトリック教会に立ち寄っている。ほとんどの場合、私以外は誰もいない空間で心おきなく祈り、いつまでも瞑想することができる。上京したときに時間があるときは四谷のイグナチオ教会、京都では三条カトリック教会に寄って祈ることにしている。これらの空間には、私にとっては濃密な時間や様々な記憶が堆積しており、ときにはあの世への入口にも思える。こうした時間と空間を大切にしたいものだ。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「ヴェルフリの芸術は、もっとも純粋なアール・ブリュットを体現しているといってよいが、そうした狭いジャンルを超えて、今やパウル・クレーと並ぶスイス最大の巨匠と目されている。社会から抹殺された不遇な人生を誇大な妄想によって生き直し、絵と文字によって紙の上に昇華させたその作品群は、人間の創造力の神秘を開示しているといえよう。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著 「死刑と美術。一見関係がなさそうだが、実は深い関係がある。死刑囚が制作した作品だけでなく、死刑場面を描いた作品も多く、また特殊なものだが、死刑囚に悔悛を促して見せていた宗教画もあった。私はそれらについて一文を発表したこともあり(『裏側からみた美術史』所収)、電気椅子を重要なテーマにしたアンディ・ウォーホルをめぐっても、死刑と美術について論じた(『ウォーホルの芸術』参照)。 近年、死刑囚の描いた絵画が立て続けに展示されるようになり、私も何度か目にすることができた。まず、二〇一三年に広島の鞆の津ミュージアムで「極限芸術〜死刑囚の表現〜」展として三十七人の死刑囚による約三百点の作品が展示された。それらは同年と翌年に渋谷区文化総合センター大和田でも展示され、大勢の観客を集めた。二〇一六年には福山のクシノテラス、二〇一七年にはクシノテラスと東京のアツコバルーで「極限芸術〜死刑囚は描く〜」展が開催された。」 —『美術の力~表現の原点を辿る~ (光文社新書)』宮下 規久朗著
図が多く絵画をカラー図版で確認できイメージしやすい。自分が行った展覧会や観たことのある絵画が思い出されて読んでいて嬉しい。 絵画や美術そのものの意味を問うている精神性の高い深い内容。「絵画とは何か、絵を見るとはいかなることなのか」(p.90)を考えさせてくれるモノとして絵画が紹介されている。 また日...続きを読む本の美術教育に対する懸念、問題提起もされている。美術史を学ぶこと、古今の実際の作品を観ること、そして名画を模写することをしないことにより「自分の感性だけで見ればよいという姿勢に結びつく」「好き嫌いだけで見ればよく、色や形の美しさを感じるだけでよいという誤解」がある(p.136)という言葉にはドキリとした。 5章「信仰と美術」、6章「美術の原点」は特に心に響く内容だった。絵を描く・観る意味、美術の持つ力について書かれた、とても心に残る章だった。読めて良かった。繰り返し読み、取り上げられている絵を眺め、できれば実際に観に行きたい。
ティツィアーノの受胎告知に影響を受けたのが、エルグレコの受胎告知。 中世は圧倒的に神の時代。ルネサンスがおこり、人間を基準として物事を眺める視点が生まれた。 アルチンボルドって、野菜とか花とかで人の横側描く奇抜な感じだったから最近の人かと思ってたけど、16世紀とかの人なんだな。 フランス革命前...続きを読むは教会や宮廷がパトロン。 政治的、精神的に果たす役割も大きく絵画がでかい。 以後は住居に展示されるようになり小さくなる。 日本での絵画は巻物や襖絵など私的なもの。 みんなで、鑑賞するという文化がなかった。たしかに。 だから春画も流行った。 ウォーホルは敬虔なキリスト教信者。あのスープ缶などは、「誰が作ったかわからなくても、神を見る窓として機能するイコン」とつながっている。
西洋、日本の美術作品を、その時代や作家、モチーフの話題を交えて紹介している。新聞連載をまとめたもののため、テーマごとに短い文章で書かれて読みやすい入門書的な内容。さらに専門書で深い知識を得たくなる良書だと思う。 筆者が「美術を見るということは、感性だけの営為ではなく、非常に知的な行為」というように、...続きを読む歴史や寓話、作者、描かれた時代の知識を踏まえて鑑賞することで、作品の深みが増すことがわかる。 「美術というものは古今東西を問わず、どんな天才的作品であっても必ず過去の作品と密接な関係を持っており、時間と空間の制約の中からしか生まれないものであって、芸術家の天分や創意工夫などといったものはごくわずかな要素にすぎないのだ」というように、個々の作品ではなく、時代の流れの中でなぜその作品が生まれたかについても知る機会となる。 筆者は、美術を見る「知識」の重要性を語りたかったのではないか。
ところどころで、他にはないわかりやすい説明がある。 特に、日本の絵画が発達しないのは、「自由な発想」でなければ芸術でないというような思想のもとでの教育によるものだというところは、とても納得のいくものだった。 アーティストと呼ばれる人たちでさえ、苦しんで描くことが多いのに、はなからそこを求められたら、...続きを読む「才能がないのだ」と思っても仕方ないように思う。 多くの美術史としての知識を含みながらも、大変読みやすく面白かった。
絶望に美術は力を持つのか。 絶望の美術、祈りの美術が取り扱われている、異色の本だ。 読みやすい。心に染みる。
美術は、感性だけでなく、知性に働きかけるもの。作品の意味、機能、作者や注文者の意図などの、知識があれば、鑑賞を深めることができる。
西洋美術については、宗教と時代性に基づくモチーフに関する話など、よく聞く話ではあるが知らないことも多く興味深い。 ただ、特に独特なのは中盤からで、クレパスによる絵や日本の戦争画、踏み絵や絵馬、奉納物(エクス・ヴォート)、供養人形、アール・ブリュットとそれに伴う(と著者は解釈する)死刑囚の絵など、あ...続きを読むまり芸術としては注目されにくい物らの紹介が面白い。 全く知らなかった作家や作品、考え方が多く、これまでいかに分かりやすく、有名どころの「芸術作品」ばかりに注視していたかを実感させられた。
美術に関するコラム集としては良質。 毎回最後の帰納的な結論が飛躍している感はあるものの、それでも著者に寄り添って美術に触れられる感覚は新鮮。
見事な絵画のカラー写真が満載で綺麗な本。新聞や雑誌で掲載された内容を集めた、とのことで全体のまとまりは無いが、章ごとに色んなテーマを扱っている 知らない芸術家がまだまだたくさんいて興味深かった。紹介される人物が多い分、いつの時代の人だったかを真っ先に明記してほしいと思った
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美術の力~表現の原点を辿る~
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宮下規久朗
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