中上健次 電子全集21 『中上健次と柄谷行人』
  • 値引き
  • 最新刊

中上健次 電子全集21 『中上健次と柄谷行人』

作者名 :
値引き価格 1,498円 (1,362円+税) 7月1日まで
通常価格 2,140円 (税込)
獲得ポイント

7pt

-
    【対応端末】
  • Win PC
  • iOS
  • Android
  • ブラウザ
    【縦読み対応端末】
  • iOS
  • Android
  • ブラウザ

※縦読み機能のご利用については、ご利用ガイドをご確認ください

毎日引ける!!!クーポンガチャで最大50%OFFクーポンをGET!

作品内容

最終配信。“生涯の友”=柄谷行人との対話の全てがここにある。

中上健次と柄谷行人、ふたりの出会いは共に群像新人文学賞の最終選考落選者として招かれた、「三田文学」(当時の編集長は遠藤周作)の編集室においてだった。1968年のことである。70年代に入り、柄谷行人がイエール大学に招聘され渡米する時、中上はまだ羽田空港で貨物を扱う肉体労働者だった。それだけにこのふたりの出会いと生涯の交友は、ひとつの奇跡であり、事件でさえあったと言えるだろう。
ここに収録したのは、4回にわたる対談、「柄谷行人への手紙」、さらには「わが友 柄谷行人」(『鳥のように獣のように』所収)という初期エッセイ、雑誌「國文学」の柄谷特集に寄稿された「青い血、青アザ--柄谷行人」である。
柄谷行人は、後にも先にもやったことのない結婚式の仲人と、葬儀委員長を中上健次のために務めている。
「不思議な事だが、何から何まで違うのに関心が一致してしまい、こいつ俺と同じように青い血だな、青アザがあるなと思うしかない人間がいるものである」(「青い血、青いアザ--柄谷行人」)

【ご注意】※お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。
※この作品にはカラー写真が含まれます。

カテゴリ
小説・文芸
ジャンル
小説 / 国内小説
出版社
小学館
掲載誌・レーベル
中上健次電子全集
電子版発売日
2017年12月15日
コンテンツ形式
EPUB
サイズ(目安)
12MB

中上健次 電子全集21 『中上健次と柄谷行人』 のユーザーレビュー

感情タグBEST3

感情タグはまだありません

レビューがありません。

中上健次 電子全集 のシリーズ作品 1~21巻配信中

※予約作品はカートに入りません

1~21件目 / 21件
  • 中上健次 電子全集1 『紀州熊野サーガ1 竹原秋幸三部作』
    値引き
    熊野の風土と溶け合い、肉体労働に至福の時を過ごす「路地」の私生児・竹原秋幸を主人公とする『岬』、『枯木灘』、『地の果て 至上の時』の三部作。その幕開き『岬』で、戦後生まれの作家として最初の芥川賞作家となった中上健次は、そこに停滞することなく、織田信長に反旗を翻した一向宗団の頭目・浜村孫一の伝説を携えて「路地」に流れ着いた秋幸の実父・浜村龍造を『枯木灘』で造型する。成り上がり者のこの男の視線を強く意識しながら、再婚した母と別宅で暮らす秋幸は、血を分けた妹との近親相姦を実父に告白、予期に反して鷹揚にそれを受け流す龍造にはぐらかされた彼は、やがてその後継と目される異母弟の殺害に及ぶ。『覇王の七日』は、この息子を失った龍造が、失意のうちに自宅の一室に引きこもった、『枯木灘』の後日譚。『地の果て 至上の時』に至り、出獄の後に龍造に接近し父殺しの機会を窺う秋幸に対し、龍造は義父・実母らのいる実家に寄り付かない実子を庇護するうちに、二人は敵意と親密さの入り交じった特異な父子関係を築いてゆく。やがて不意打ちのようにやって来る龍造の自殺。秋幸は最早、再開発の波にさらされた「路地」に踏みとどまるべき理由を失っていた。 秋幸三部作は、われわれの文学の「現在」を規定し、「未来」を画定し、「過去」を裁定する格好のテクストとして、いま、ここにある。 また特別寄稿として、長女・紀の「回想録 家族の道端」(1)、「編集担当者だけが知っている中上健次」(1)を掲載。 付録:「中上健次写真館」(1)、生原稿や構想メモ、紀州サーガ登場人物関係図などの「特別資料」(1) 【ご注意】※立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集2 『紀州熊野サーガ2 オリュウノオバと中本の一統』
    値引き
    「路地」の語り部オリュウノオバが伝える中本の一統の生と死――『千年の愉楽』という「近代小説」の突然変異。 「近代小説」の終焉の予感から、近代以前に遡る「物語」的要素の再導入によってその停滞を打破しようとした中上健次は、『千年の愉楽』で「路地」の産婆オリュウノオバを登場させた。彼女がこよなく愛する中本の一統に属する「路地」の貴種たちは、二十五歳という若さの盛りで次々に劇的な死を遂げる。オムニバス形式で語られる中本の一統の生と死。ここに実現されたのは、「物語」の遺伝子を再導入することによって裁(た)ち直され、蘇った近代「小説」であり、そこで改めて浮上してきた両者の緊密な関係である。 姉妹作となる『奇蹟』は、いわばオリュウノオバとトモノオジのいる「路地」の戦後的な年代記だ。中上は、トモノオジら「路地」の三朋輩が活躍した焼け跡・闇市の時代から、物語的な現在までを性と暴力の絡み合うもう一つの「戦後」として、重層構造の物語世界を築くように描いたのである。それは、日本的な市民社会から疎外された「路地」世界からの反撃であり、あるいは「市民小説」を拒否する中上の同時代の文学への強力なアタックでもあった。  特別寄稿として、長女・紀の「回想録 家族の道端」(2)、「編集担当者だけが知っている中上健次」(2)を掲載。 付録:生原稿や構想メモ、紀州サーガ登場人物関係図(「千年の愉楽・奇蹟」編)などの「特別資料」(2) 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集3 『初期作品集I 未成年の慟哭』
    値引き
    芥川賞受賞以前の初期作品を収録。「路地」を舞台とした作品の生成前夜・若き日の中上ワールドが凝縮される。 中学生時代の作文で後の中上ワールドの原点を記した『帽子』、兄の自殺をはじめて語り、紀州熊野の自然と戯れる少年の瑞々しい感性を綴った『一番はじめの出来事』、最初の芥川賞候補作品『十九歳の地図』など、「路地」を舞台とする作品の生成前夜の若き中上健次の可能性の全てがここに示されている。 初期短篇時代、大江健三郎の影響下にあった作家は、右二作品を契機に独自の作品空間を構築してゆく。兄の死という「一番はじめの出来事」を、消せぬトラウマとして抱え込んだ中上健次は、『十九歳の地図』では地方出身の大学浪人生が新聞配達をしながら、手当たり次第に近隣住民を電話で脅迫する未成年者の鬱屈を生々しく、かつ痛々しい筆致で描いた。「路地」世界形成の前段としてあったこの初期作品世界は、紀州熊野サーガ(物語群)のために必要な迂回でもあっただろう。そこには、ジャズとドラッグに象徴される、一九六〇年代後半の青年をとらえたカウンター・カルチャーの息吹と、息苦しい日常世界からの逃走と反逆を胸に秘めた未成年者の慟哭が、通奏低音のように全編に響いている。 特別寄稿として、長女・紀の回想録「家族の道端」(3)、現代作家が語る「中上文学の神髄を語る」(1)は佐藤友哉を掲載。 付録:生原稿や原作映画ポスターの他、中学生時代に書いた処女作『帽子』が掲載された新宮市立緑丘中学校生徒会誌の初出原稿等を収録した「特別資料」(3) 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集4 『エッセイ集 1960年代~70年代』
    値引き
    中上健次は、評論、エッセイの書き手としても類い希な才能を発揮した作家だった……。彼の初心が窺える詩編にも注目! ここに収めた諸篇からは、彼の初心とその持続の跡を窺うことが出来る。長編エッセイ「犯罪者永山則夫からの報告」(『鳥のように獣のように』)は、一九六八年に無差別連続ピストル射殺事件を起こした犯人で後に作家になった同世代の青年への根底的な問いであり、同時に自身へと差し向けられた、なぜ書くのかという初発の問いであった。『夢の力』には、坂口安吾論など本格的な作家論も収録、読むことが書くことへの刺激となり、意欲となって作品世界を増殖させてゆく創造の秘密が垣間見えてくる。『破壊せよ、とアイラーは言った』は、フリージャズのアルバート・アイラーへのオマージュだ。ジャズ喫茶で知り合ったかつてのフーテン仲間を回顧しながら、中上はセリーヌやサド、ケルアックやジュネについても言及する。当時、最先端の音楽であったレゲエ、最後の前衛演劇や映画について惜しげもなく語り尽くす中上。この一連のエッセイによって明らかになるのは、高卒で肉体労働者となった彼が、新宿という街をさながら愉楽に満ちた非制度的な教養形成の場に作り替えてしまうマジックだ。  特別寄稿として、長女・紀の回想録「家族の道端」(4)を掲載。 付録:少年時代から、『文芸首都』時代、結婚式のスナップ等の若き日の中上に迫る「中上健次 写真館」(2)…青春の日々を収録。 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集5 『紀州熊野サーガ3 女たちの物語』
    値引き
    南紀(なんき)和歌山の古座から新宮へ、十五歳の春に奉公に出た私生児フサの半生記。『鳳仙花』は、中上健次の母・ちさととその母系一族に贈られた美しい讃歌でもあった。南紀の風土の恩寵によって少女から女へと成長するフサは、やがて子を宿し、母となって女性としての業を背負うことになる。兄の死に次いで襲いかかる夫の死、食糧難の戦時下を四人の子供を抱えて生き延び、敗戦直後には秋幸という私生児を産み、他に女を作った男を捨てるフサ。やがて彼女は、もう一人の男と出会い秋幸一人を連れ子にして新世帯を持つ。紀州熊野サーガの主人公・秋幸誕生の原点がここにある。 『紀伊物語』は、大島生まれの佐々木道子をヒロインとした一連のサーガの周縁に位置する作品。『鳳仙花』、『紀伊物語』という女たちの物語によって、中上作品の舞台は新宮から紀伊半島を西南方向に下り、熊野灘から枯木灘へと海沿いにシフトする。商人や網元の住む大島の地下(じげ)の箱入り娘である道子は、元女郎の母の面影を追って新宮の「路地」にたどり着き、母に関する噂を追跡するうちに、サーガ(物語群)のヒロインに姿を変えるのである。 ほかに、短編連作『水の女』を収録する。 特別寄稿として、長女・紀の回想録「家族の道端」(5)、現代作家が語る「中上文学の神髄を語る」(2)村田沙耶香を掲載。 付録:生原稿や原作映画シナリオの他、『鳳仙花』創作ノート等を収録した「特別資料」(4)、家族とのスナップ写真からなる「中上健次 写真館(3)」を収録。 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集6 『戯曲・シナリオ・小説集』
    値引き
    小説『火まつり』は、柳町光男監督、北大路欣也、太地喜和子出演の映画『火まつり』のノベライズ版。中上は一九八〇年に三重県熊野市二木島町で、猟銃により一族七人を殺し自殺を図った男をモデルにして『火まつり』の主人公を造型した。作家はこの奇怪な衝動殺人の背景に、地下水族館の誘致問題で波立つ過疎の漁村という条件を設定、そこに街から帰ってきた一人の女によって一変する村の空気という要素を加えた。 『日輪の翼』は「路地」の再開発によって、居住地を追われたオバたちが若衆らの改造した大型冷凍トレーラーの荷台に乗せられ、伊勢神宮を皮切りに北は出羽三山、恐山まで聖地巡礼を行いながら、最終目的地である皇居で清掃奉仕に従事する展開。だがどうしたことか、オバらはそこで忽然と姿を消すのだ……。一方、『かなかぬち』は、一九九六年和歌山県の本宮大社旧社地など数カ所で実演された野外劇の脚本。楠木正成と噂される盗賊の首領で、全身が鉄の肌に変身する「かなかぬち」を、父の仇として追跡する姉・弟の物語。この仇に寄り添う女が、略奪された彼らの母であることが判明し、ドラマは大がかりな悲劇の様相を呈する。 特別寄稿として、長女・紀の回想録「家族の道端」(6)、現代作家が語る「中上文学の神髄を語る」(3)青山真治を掲載。 付録:生原稿や原作映画シナリオの他、『日輪の翼』創作ノート等を収録した「特別資料」(5)、お燈まつりや舞台「かなかぬち」でスナップ写真からなる「中上健次 写真館(4)」を収録。 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集7 『紀州熊野サーガ4 変成する路地世界 その内部と外部』
    値引き
    紀州熊野サーガの変奏曲『化粧』、『熊野集』。紀伊半島全域の“陰”を断行ルポした『紀州 木の国・根の国物語』を収録。 『化粧』、中上健次ならではの歴史物語的な「過去」と、私小説的な「現在」を変幻自在に異種交配させた紀州熊野サーガの変奏曲の趣を持つ短篇集。夢と現(うつつ)、生と死、聖と賤が絶えず入れ替え可能な物語要素として、作品空間を妖しく揺さぶる。 『熊野集』でも物語的な「過去」は、私小説的な「現在」とスリリングに交叉している。ここでの進行中の「現在」とは、中上一族がかかわる「路地」の解体=地区再開発であり、血族のもめ事である。だがそれは、ただのトラブルなどではなかった。中上健次は、小説の中では解決できない問題をのみ取り上げてきた作家だった。 その彼が手がけたルポルタージュが、『紀州 木の国・根の国物語』である。これは紀伊半島全域の被差別部落に取材した労作。三十歳の中上健次は、約十ヶ月を費やしてこの取材旅行を敢行した。「私が知りたいのは、人が大声で語らないこと、人が他所者には口を閉ざすことである」。聞き書きを終えた中上は、「語られた物を、書き写すのは難しい、とあらためて思う」と語る。中上健次は終生、この「語り」と書き言葉の異次元性に身をさらし続けた作家でもあった。 特別寄稿として、長女・紀の回想録「家族の道端」(7)、編集担当者だけが知っている(4)、(5)を掲載。 付録:『紀州 木の国・根の国物語』取材風景のスナップ「中上健次 写真館」(5)、『熊野集』の生原稿等を収録した「特別付録」(6)を収録。 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集8 『エッセイ集 1970年代~80年代』
    値引き
    30代から40代にさしかかり脂ののりきった中上渾身のエッセイが一堂に! ビートたけし、坂本龍一との対談も収録! 韓国の民俗芸能の発見から語り起こされる『風景の向こうへ』の肝(きも)は、五人の作家論を配した「物語の系譜」のパート。初版の単行本に収録されたのは、折口信夫論の途中までであった。他に同じ新宮出身の佐藤春夫、谷崎潤一郎、『雨月物語』の上田秋成、そして「日本近代文学にあらわれた唯一の女性物語作者」円地文子が新たに論じられている。熊野の風土のそこかしこで、物語が発情させられていると語る作家は、その「物語」に存分に染まり、しかしまた敢然として「物語批判」に立ち向かう紛れもない「小説家」だった。あえて谷崎潤一郎を、「物語信奉を餌に肥え太ったブタ」と語ったのも、「モノガタリへの畏れ」を人一倍自らに掻き立てた作家ならではの挑発的な言辞だろう。 『アメリカ・アメリカ』で中上は、アイオワを起点に米国中南部を旅する。ここではボルヘス、ボブ・マーリーというおよそかけ離れた存在が、インタビュアー中上によって、何故かキャラクター的に何らの違和感もなく共鳴を開始するのだ。 また『オン・ザ・ボーダー』では、まさにボーダーに立つ作家から次のような魂の叫びが発せられる。「ただ、東アジア、日本からしか生れえなかった文学が、さながら難破船からの救助信号のように世界に向って発信されるのである」--。 特別寄稿として、長女・紀の回想録「家族の道端」(8)、現代作家が語る「中上文学の神髄を語る」(4)島田雅彦を掲載。 付録:『鳩どもの家』サイン本等を収録した「特別資料」(8)と、を収録。 【ご注意】※お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集9 『初期作品集II 路地世界の生成』
    値引き
    芥川賞受賞作『岬』の前奏曲ともいえる『蝸牛』ほか、『羅漢』『蛇淫』等の短編17作収録。中上飛躍前夜の昂奮がここにある! 短篇『蝸牛』は、芥川賞受賞作『岬』の前奏曲のような作品。クライマックスで主人公は、ヒモになっている女の「義足をつけた兄」の家に押しかけ、こぶ付きの女のために、「なんとかしたれよ、なんとか…」と喘ぎながら、突発的に彼を刺殺する。『岬』で語られた秋幸の姉の夫が被害者となる殺人事件を先取りする、「路地」的風土の最深部で生起した出来事であった。 「姉(イネ)つらいねえ」という辻々で交わされる挨拶の言葉がことに印象的な『路地』。『臥龍山』、『藁の家』は必読の連作で、その冒頭に配された「日和山から長山みれば裸(はだか)馬(うま)かよくらもない」という「歌」は、一連のサーガ(物語群)を理解する上で聞き捨てならない。中上的な作品風土である「路地」の解体=再開発は、この龍が伏したように蛇行する臥龍山の尾根の撤去によって80年代に完成するのである。その最終プロジェクトの名が「日和山(ひよりやま)開発」であったのも象徴的で、市内を二つに隔て交通の障害ともなっていた「路地」の裏山が、そのターゲットとなったのだ。 第9回の本巻では、『岬』で芥川賞を受賞する前後の「路地」世界の生成に立ち向かう作家の志を指し示す17の短編が収録されている。 特別寄稿として、長女・紀の回想録「家族の道端」(9)、現代作家が語る「中上文学の神髄を語る」(5)星野智幸を掲載。 付録:『風景の向こうへ』サイン本等を収録した「特別資料」(7)」と、「路地」の過去と現在を紹介した「中上健次写真館(5)」を収録。 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集10 『物語文学への越境』
    値引き
    中上健次“物語文学”『宇津保物語』『重力の都』と未完作『鰐の聖域』を収録。『重力の都』は谷崎へのオマージュでもある。 『宇津保物語』は、同名タイトルの日本最古の長編物語の翻案作品。本編は親子四代にわたる琴の伝承譚(たん)。中上が注目したのは、「北山のうつほ」で育った仲忠の異能と、この物語的なトポスとの関係であった。エッセイ「賤者になる」(『風景の向こうへ』所収)で作家は、「うつほ」を「疑似神話空間」であり、「現実の被差別部落と同一の働きをしているのではないか」とさえ言う。波斯(はし)国(こく)に漂着し、帰国後結ばれた女に秘琴と秘曲の伝授を施す俊蔭の孫・仲忠は、「北山のうつほ」という都(みやこ)周縁の秘境から都に帰還する貴種である。この物語的な流離を、中上は自身の作品世界に引き寄せたのである。 『重力の都』は、六篇からなる連作。「あとがき」で作者は、この作品を『春琴抄』を引き合いに「大谷崎の佳作への、心からの和讃と思っていただきたい。『重力の都』で物語という重力の愉楽をぞんぶんに味わった」と述べている。 『鰐の聖域』は晩年の未完作品の一つ。紀州熊野サーガ(物語群)の一角をなすはずの作品だった。ここでは、サーガの中心人物・竹原秋幸の長姉、次姉の子の世代、孫の世代が登場し、新たな物語の火種を仕込まれるのである。 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集11 『韓国・アジア篇』
    値引き
    韓国の熱気に魅了され、その「路地」に「発情した」中上の韓国ほかアジア関連小説、エッセイ、対談を一挙掲載。 『物語ソウル』は荒木経惟とのコラボ作品。写真は全てソウル市街を撮ったモノクロ。蒸発した夫を探しにソウルに出てきた女は、ヨンドンポの路地に住みつき、やがて反体制派の大物政治家Kの暗殺を企てる義賊・チャンギルに出会う。ベトナム帰還兵らを率いる一党に加わった女はKに接近、だが銃口の先にはその側近とおぼしき夫の姿があった。引き金を引いた彼女はその後、仲間に殺されたチャンギルに代わって一党を率いる女義賊となるのである。 『輪舞する、ソウル。』は、篠山紀信とのコラボによるソウル版「シノラマ」(シノヤマによるパノラマ写真)。パンソリ、仮面劇などの民俗芸能を取材した1978年の韓国の旅(『風景の向こうへ』参照)以来、この国の人々の醸し出すアジア的熱気に魅了された中上は、1981年にはソウル特別区ヨイドのアパートで単身生活を送ってさえいる。1985年刊行の『輪舞する、ソウル。』は、その成果とも言える韓国・ソウル論でありホットな実見録。彼はここで、その「路地」に「発情した」とさえ語っていた。 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集12 『オルガナイザー中上健次の軌跡』
    値引き
    今も開催される「熊野大学」など中上が熊野で立ち上げた三つの文化組織。「熊野とは何か」という問いの全貌がここに。 ここに収められたのは、全て作家が故郷・和歌山県新宮市で語り、行い、書き綴ったもの。自ら地元で立ち上げた文化組織は、1970年代末の「部落青年文化会」に始まり、「隈ノ會」、「熊野大学」と規模を拡大した。なかでも「熊野大学」は、1992年の作家の死後も現在に至るまで、合宿形式による「夏期特別セミナー」を開催している。この市民大学のモットーは、門もなく、試験もなく、卒業は死ぬ時。中上健次はその創始者にして最初の卒業者となった。『中上健次と読む「いのちとかたち」』は、熊野大学の発足当時から作家の死の直前まで、地元の市民たちを集めて速玉大社双鶴殿で行われた山本健吉『いのちとかたち-日本美の源を探る』の講読記録。 「部落青年文化会」は、「路地」の若者たちを組織、東京から石原慎太郎、瀬戸内寂聴(当時、晴美)、吉本隆明、唐十郎らを招いて連続公開講座を実施した。「開かれた豊かな文学」は、その間に行われた中上健次の講演記録である。 同窓生の田村さと子(ラテンアメリカ文学者)らを招き、新宮市民会館で発会式を行った「隈ノ会」を含めたこれら三つの文化組織で、中上は熊野とは何かという問いを終始喚起し続けた。 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集13 『紀州熊野サーガ5 虚構空間の更新と移動』
    値引き
    「路地」なき世界での“血の因果”を表現した3作品『十九歳のジェイコブ』『野性の火炎樹』『讃歌』を収録。 『十九歳のジェイコブ』は、初期の『十九歳の地図』の姉妹編と位置づけられる作品。ジャズとドラッグとセックスに溺れる未成年者の魂の奥底からの叫び、殺意へと結晶する日常世界からの脱出の回路。自らを取り巻く全世界の否定願望は、その具体的な方法を持たない若者にとって、歪(ゆが)みながら一方的に増殖する。それが『野性の火炎樹』となると、「路地」の記憶装置ともいうべきオリュウノオバの存在を媒介に、物語的な深化がもたらされる。ここでの主人公は呪われた家系である中本の一統にして、黒い肌の混血児・マウイ。路地の産婆オリュウに言わせるなら、マウイの誕生は血の因果が凝縮した結果だったのである。 『讃歌』は『日輪の翼』の後日譚である。大型トレーラーの改造車にオバたちを乗せ「路地」を旅立った若衆は、東京で「性のサイボーグ」であるジゴロに変身している。類(たぐ)い希(まれ)な美貌とジムで鍛え抜いた美しい肉体、だが彼は日ごとの性の饗宴に埋没しているわけではなかった。中上がこの作品で描いたのは、「路地」なき世界への帰還という不可能な物語であり、東京で離散した愛おしい老若男女たちへの「讃歌」だったのである。 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集14 『ジャズと演歌と都はるみ』
    値引き
    「浪花節とクラシックの奇跡的な綜合がジャズだ」と語る中上の音楽観とジャズへの思い、“友”都はるみとの交友を描く。 『天の歌 小説 都はるみ』は、現代の歌姫に捧げられた半生記的実名小説。中上健次と都はるみは、作家と歌手という仕切りを越えて人間として親密な友愛を育んだ。中上は「普通のおばさん」に戻りたいと芸能界を去った都はるみの、歌手復活の影のプロデューサーでもあった。文学と芸能が上下の関係にないように、中上に浪花節(なにわぶし)とクラシックも横並びにある音楽ジャンルであり、一方が大衆向けの俗謡で、他方が高尚な西洋音楽なのではなかった。上京後、ジャズにのめり込むようになったのは、そこに二つの音楽ジャンルの綜合が奇跡的に実現されているように思われたからだと、そのユニークな発見の経緯を語っている。バッハのブランデンブルク協奏曲を聴きながら、代表作『枯木灘』を書いたという中上は、芸能、文化から政治、経済まで縦のヒエラルキーを横に倒すことで、ラディカルな価値転倒を試みた。都はるみとは、そうした方法意識を実践した作家が出会った同時代の貴重な「タレント」だったのである。 『ジャズと爆弾』の対談相手・村上龍は、六歳下の芥川賞作家。中上の切り開いた、「戦後文学」の突破口を彼は別の方法で押し広げたと言えるだろう。 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集15 『増殖する物語世界 未完作品群』
    値引き
    中上晩年の未完3作『大洪水』『熱風』『南回帰船』では、「路地」の末裔らが、海外へと増殖していく……。 『大洪水』は、かつての「路地」世界から逃れ出た鉄男(浜村龍造の朋輩・ヨシ兄の息子)が、リー・ジー・ウォンの変名で登場、シンガポール、香港と渡り歩き香港社会を操る黒幕・ミスターパオに出会う。「路地」解体の時期に父親殺しを行ったこの主人公は英語を流暢に使いこなすプレーボーイで、中上作品になかったキャラクターに変態を遂げていた。 『熱風』は南米に渡った「天人五衰」(『千年の愉楽』)の主人公・オリエントの康(こう)の一粒種タケオが、「路地」の産婆オリュウノオバに渡すエメラルドを携え、東京新宿に現れ、紀州徳川藩の局(つぼね)の末裔・徳川和子、同藩毒味役の血を引く毒味男、オリュウの甥と名乗る「九階の怪人」の三人に出会う。物語は彼らが「超過激・超反動」の犯罪者グループを組織、バブル経済で膨れ上がった日本への復讐を企図、一路新宮の「路地」を目指す。 『南回帰船』は劇画原作。物語は、旧清朝皇帝の宝として主人公・草壁竹志(南洋漁船船員)に手渡されたる宝石といった道具立て、あるいは満州国再校を夢想する老フィクサー伊藤深山の登場など、作家晩年の未完作品の特徴でもある旧大東亜共栄圏の残影がそこかしこにちらついている。 【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集16 『中上健次 大いに語る』
    値引き
    ポスト・モダン社会での“小説作法”について語る講演録「小説を阻害するもの」等、中上の発言、人生相談等を収録。 『現代小説の方法』は、一九八四年に都内千代田区神保町の東京堂書店で行われた連続講座の記録。いま、小説はいかに可能か。紀州熊野サーガ(物語群)の頂点、『地の果て至上の時』を書き終えた作家が、改めてポスト・モダン社会においてあり得べき小説作法について語る。 『中上健次発言集成6』に収められた講演「私は〈日本〉人なのか」は、さらに衝撃的だ。小学生の頃、母親から貰った三十円で買った「安物のクレヨンで描いた絵が、自分のいままで書いてきた文学のような気がするのです」と作家は語る。そして、読み書きのできない「母に連れられて桜の咲く小学校の校庭に入ったその日からいままで、これから私の呼吸が停止するまで、私の愛する、文字に関係のない疎外された母たちの世界と、文字のこの世界の間の亀裂に、身をよこたえ、理由のない怒りに身を震わせ続ける」という自覚を披瀝しているのだ。 『問答無用』は唯一の人生相談。自身の子の世代に語りかけた平易な内容ではあるが、さりげなく子育ての経験から導かれた中上の思想信条、生の哲学が語られていて読み応えがある。「文章は肉体だよ。オレは、それを一貫していい続けている。チンポコのある奴は文章を書けるよ」。
  • 中上健次 電子全集17 『エッセイ集 1980年以降』
    値引き
    昭和から平成へ・・・作家としての覚悟と決意を語った「もうひとつの国」等、中上の“最後の叫び”が凝縮された1巻。 『時代が終り、時代が始まる』は、昭和の時代のカウントダウンが開始された頃のエッセイ。一九八七年、沖縄国体ソフトボール競技会場で起きた「日の丸焼棄事件」に反応した作家は、時代の潮目を読むアンテナを備えた一人のシャーマンでもあった。 長篇エッセイ「もうひとつの国」は、韓国、バリ島と旅を続ける作家の自作とその風土の解読としても刺激的な内容である。中上健次はここで、和歌山県新宮市の土木建設業者の親族が中心的な役割を果たした、現実の「路地」の解体=再開発を目の当たりにして、作家としての覚悟と決意を語っているのだ。虚構空間としての「路地」は、言うまでもなく「現実の路地」(被差別部落)と深く切り結んでいた。あるいは、ここで語られた「熊野」とは、もとより世界遺産指定以前の、「中心」に回収されることのない熊野である。 『バッファロー・ソルジャー』のタイトルは、ジャマイカのレゲエ歌手ボブ・マーリーの歌から取られている。Buffalo soldier brought to America--。 終わりなき旅を続ける中上のフットワークは、衰えを知らない。 【ご注意】※お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集18 『未完の中上ワールド――開かれた終焉へ』
    値引き
    中上文学の終焉。“運命の男女”の愛を描き映画化もされた『軽蔑』、アジアへと増幅する長大な未完作『異族』を収録。 『軽蔑』は完結した中上最後の小説。死の前月(1992年7月)に刊行され、2011年廣木隆一監督、高良健吾、鈴木杏の共演で映画化された。風俗店の踊り子・真知子と地方の資産家の息子で暴走族上がりの放蕩児カズさん。「これから高飛びだぜ」の一言で運命の扉を開く二人だが、カズの背負い込んだギャンブルによる多額の借金で田舎での暮らしは破綻、「男と女、五分と五分」の関係はカズの死であっけなく終幕を迎える。『鳳仙花』以来の二度目の新聞連載小説だった。 『異族』は著者にとって最長の作品、残り百枚足らずのところで完成を見なかった。「路地」に生を受けたタツヤ、在日韓国人二世のシム、アイヌモシリのウタリなど胸に青アザ(旧満州国の地図に擬せられる)を持つ複数の登場人物が、右翼の大物に導かれ、満州国再興のミッションを携えて、東京-沖縄(石垣島)-台湾-フィリピン(ダバオ)と転々とアジアの南に舞台を移しながら物語を増殖させる……。 なお、『青い朝顔』はフランスの出版社の依頼で書いた短篇で、作家の死後間もなくして発見された。 【ご注意】※お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集19 『全対話集 I』
    値引き
    梅原猛、角川春樹、吉本隆明、石川好・・・文学、歴史、思想等について中上健次が熱く語る対談集を完全収録。 『君は縄文人か弥生人か』の対談相手・梅原猛とは、晩年近くに交友があった。死の半年前の1992年5月、故郷・和歌山県新宮市で、中上は梅原、原田芳雄(俳優)らを招いて、御燈祭りセミナーを企画したが、腎臓癌治療のため慶応病院に緊急入院、やむなく参加を見合わせることになった。 『俳句の時代』は、角川春樹との3回の対談。サブタイトル「遠野・熊野・吉野 聖地巡礼」の通り、場所を移して行われた。中上健次の紀州熊野サーガ(物語群)の符牒「(夏)芙蓉」をめぐって角川は、自らの「言語感覚」との共通点を、「キーワードは〈芙蓉〉なんだよ」の一言に集約させている。中上健次は、熊野大学定例の俳句吟行では、専ら講評に徹したが、現代作家には珍しい本格的な俳句鑑賞者だった。 『解体される場所』は吉本隆明、三上治との鼎談で、昭和の終焉後に行われた。ここでの解体される場所とは、旧左翼的な尻尾を引きずった戦後思想、文学の理念のことであり、またサブカルチャー的なものに浸透された文化の総体も指していた。 その他、ノンフィクション作家・石川好との対談『アメリカと合衆国の間』、各種インタビューも収録。 【ご注意】※お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集20 『全対話集 II』
    値引き
    数多くの対談をこなした作家・中上健次。文学者、女優、アーティスト、音楽家……、96の“危険”な対談&座談を完全収録。 1980年までに編年体の「全対話」を2冊刊行した中上健次は、数多くの対談をこなした作家として知られ、徹底的に時代と相渉る作家の試行錯誤の跡そのものであった。 文学者だけではなく、ある時は女優と、ある時はアーティストと、またある時は音楽家と作家は飽くことなく語り続けた。そこには、外交辞令のかけらもない。 中上的な愛嬌とサービス精神に対話者は瞬く間に打ち解け、中上の発するオーラの圏内に引き込まれてしまう。それは、石原慎太郎だろうと、蓮實重彦だろうと同じである。 80年代文学論から風土論、安吾論、セリーヌ論まで、中上の射程はどこまでも延びてゆく。黒田征太郎を相手に、「俺がいちばん危険だ」と語るこの物騒な作家は、だが誰よりもデリケートな感性を、そこかしこで披瀝もしている。高橋三千綱に対して「お前の小説を読んでると、こいつはやっぱり戦争がほしいんだなっていう感じがする」と語るとき、彼は「戦争を知らない子供たち」の一人として、その世代意識の死角を鋭く突いていたのだ。 だから、放たれた矢が自身に返って来ることを作家が意識しなかったはずはなかった。やはりどこまでも中上は、危険な男なのである。 【ご注意】※お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 中上健次 電子全集21 『中上健次と柄谷行人』
    値引き
    最終配信。“生涯の友”=柄谷行人との対話の全てがここにある。 中上健次と柄谷行人、ふたりの出会いは共に群像新人文学賞の最終選考落選者として招かれた、「三田文学」(当時の編集長は遠藤周作)の編集室においてだった。1968年のことである。70年代に入り、柄谷行人がイエール大学に招聘され渡米する時、中上はまだ羽田空港で貨物を扱う肉体労働者だった。それだけにこのふたりの出会いと生涯の交友は、ひとつの奇跡であり、事件でさえあったと言えるだろう。 ここに収録したのは、4回にわたる対談、「柄谷行人への手紙」、さらには「わが友 柄谷行人」(『鳥のように獣のように』所収)という初期エッセイ、雑誌「國文学」の柄谷特集に寄稿された「青い血、青アザ--柄谷行人」である。 柄谷行人は、後にも先にもやったことのない結婚式の仲人と、葬儀委員長を中上健次のために務めている。 「不思議な事だが、何から何まで違うのに関心が一致してしまい、こいつ俺と同じように青い血だな、青アザがあるなと思うしかない人間がいるものである」(「青い血、青いアザ--柄谷行人」) 【ご注意】※お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ※この作品にはカラー写真が含まれます。

この本をチェックした人は、こんな本もチェックしています