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人と違うのは「動かない」ということだけ
「植物に知性はあるのか?」この問いをめぐって、はるか昔から論争がくり広げられてきた。トマトは虫に襲われると、化学物質を放出して周囲の仲間に危険を知らせる。マメ科の植物は細菌と共生し、それぞれにとって必要な栄養分を交換しあう。動けないからこそ、植物は植物独自の“社会”を築き、ここまで地球上に繁栄してきた。その知略に富んだ生き方を、植物学の世界的第一人者が長年にわたり科学的に分析し、はじめて明らかにした刺激的な一冊。本書を一読すれば、畑の野菜も観葉植物も、もう今までと同じ目では見られなくなるだろう。 『雑食動物のジレンマ』の著者マイケル・ポーランの序文付き。
[いとうせいこう氏推薦!!]
自分の好きなものにしか蔓を巻かない蔓性植物はもはや動物である、とベランダ園芸家たる私はかねてから主張してきた。だが、それどころではないと本書は明かす。ハエトリグサがトマトがマメがマツが、人間とは別種の知性で生きているのだ。彼らに私はユーモアさえ感じる。すなわち尊厳を。
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Posted by ブクログ
元々,人間中心主義,人間こそが世界(地球)で「最も優れた生物」であるという,傲慢極まりない考え方が大嫌いだった自分にとっては,スカッと胸がすく思いがする1冊だった。
何より最も重要なのは,この本が歴とした科学者(植物生理学者)の手によって書かれている,自然科学分野に属する著作であるという,紛れもない事実であろう。
しかも,私のように理系分野が苦手な人が読んでも,非常に読みやすくて,理解しやすい文章で説明されていることが,何にも増して素晴らしい。
自然科学分野が苦手というか,わりと嫌悪しているせいで,あまりその分野の本を読みたがらない自分としては,珍しいくらいに,最後までスルスルと読めて,著者が抱いている思想・想いに共感しながら,ワクワクと知的好奇心を満たすことができたという,稀有な本だったと思う。
もちろんそれは,私が,(文系人間であるがゆえに,観察や証拠に基づいているからというよりは,直観的,あるいはそう信じるに値するだけの魅力を,植物から感覚的に受け取ってきたがゆえにではあるが)植物を愛してやまない人間だからこそ,著者の一般的な感覚からすると突拍子で受け入れ難く思えるような説に対して,受け入れやすい素地を持っていたからというのは大きいとは思うが,たとえそうではなくとも,本書に示されている丁寧な説明と緻密に積み上げられていく証拠を前にすれば,どのような人であっても,「ある程度は著者の考えを受け入れても良いのではないか…」と,心を揺るがしてしまうような,そんな魅力に満ちた本だったと,そう断言したい。
本書には一般的な感覚からはかけ離れていることが,大量に書かれている。
なのでどうしても固定観念に縛られてしまうと読みにくくて,拒絶反応が出やすいところはあると思う。
植物というか,お花さんが好きな自分でさえも,自然科学への苦手意識ゆえに,不勉強が極まっており,石炭や石油が,もとは植物が大昔に太陽から得たエネルギーを蓄積しておいたものであることを知らずに,今までの人生を過ごしてきていたりもした。
(※尤も,これは自然科学云々というよりは,名称,つまり言葉が持つ印象による誤解のせいではある)
そういった誤解の訂正や,新たな知見を深めることによって,これまでも分かっていたつもりではあったけれども,自分が想定していた以上に,人間は植物に依存して生きるしかないのだという,確信を得ることができた。
酸素も食物もエネルギーも,植物無しには成り立たない。
より端的に言い換えれば,人間は植物がなくなった世界で生き続けていくことはできないが,植物の方は人間がいなくなれば,ほんの僅かの間に地球を覆い尽くして,支配してしまうというのは,紛れもない事実なのだ。
ところで,本書が真に素晴らしいのは,「植物が人間の役に立っているかどうか」という,狭い価値観の中だけにとどまっているわけではないという点にあるだろう。
そもそも植物は,自らの生命を存続させ,子孫を残し繁栄するためにこそ,進化してきて,ありとあらゆる手段を用いているのだから,当然のことではあるのだが,そのさまざまな手段の中にこそ,本当の意味で驚くべき〈知性〉が発揮されている。
その〈知性〉について,ほんの一例ではあるが紹介すると,花粉を運んでもらうために,花粉を運ぶ昆虫のメスの姿そっくりに擬態をして,オスの個体を誘き寄せるという,漫画や映画の世界に登場する女スパイさながらのハニートラップを駆使する,巧妙にして狡猾な植物まで存在するというのだから,もはや驚きを通り越して,感心して絶句することしかできないほどだ。
本書には他にもさまざまな「戦略」とでも呼ぶべき手段を駆使する植物たちが列挙されている。
その実例を見るだけでも,植物に〈知性〉があることを読者へ確信させるには充分だろう。
上述通りに,植物は人間とは異なる形ではあるが,〈知性〉と呼ぶべき能力を持っている。
しかし人間とは異なる進化の形であるがゆえに,人間はなかなかその事実を受け容れることができない。
しかしながら,人間が進化し,科学を発展させてきた結果として生まれた,最新鋭の技術を見ると,驚くほど植物と似たような構造を示しているという。
たとえばインターネットや生成AIという,今の時代においては必須だと,誰もが認めるところであろう,最新技術の構造は,ほぼ植物と同一といっても過言ではないくらいだ。
我々はこの事実をどのように考えればよいのだろうか?
それは,これから先の未来,人間とAIとが協力して,よりよい社会を築き上げていくためには,植物がもつ〈知性〉,植物が生き延びるために採用している,手段や戦略のことをより深く研究し,理解していくことが,絶対的に必要になってきているということなのではないかと思う。
これまで,我々人類は,植物のことを生物の進化における最底辺へと勝手に位置付けし,意識的にも無意識的にも見下して,馬鹿にし,驕った態度を取り続けてきた。
しかし,今後生きていく世界においては,その傲慢さを捨て去り,真摯に反省をして,植物を愛し,植物に感謝し,植物を敬い,そして植物から多くの知恵を学ばせていただくことによって,より豊かで素晴らしい社会や人生を築いていくことが,できるようになるのではないだろうか。
本書を読むことで,私はそのような思いを抱いたのであった。
Posted by ブクログ
本書を読みながら、植物の持つ潜在的な力に改めて驚いた。植物は「口がきけず動きもしない、人間たちの世界の調度品」にすぎないと思われていた。
しかし、植物は、動かないが故に長い時間をかけて進化してきた。そして、現在も植物は重要な役割を果たしている。
植物がなければ、地球上に酸素は生まれず、動物や人間が出現しなかった。そして、植物が光合成をして、動物や人間の栄養になってきた。現在のエネルギーのもとである石油、石炭、天然ガスは過去の植物の遺体が作った。それがなければ、産業革命も起こらなかった。
植物は、半分以上動物に食われても、再生する。植物の細胞には全能性がある。そうやって、私は組織培養の仕事をしてきた。アンパンマンは顔を食われても、ジャムおじさんが作ったあんパンに「いのちの星」が落ちて誕生した存在。そのため、新しい顔を焼いて交換することで、その力が再び満たされ、復活できる。しかし、人間は顔をクマに食べられたら、復活しません。最近は山中伸弥教授によるIPs細胞によって、必要な部分を再生できるようになった。
本書では、植物の能力を詳しく論じて、植物には知性があるのだと主張だが、確かに植物には、知性があるように感じる。著者は、人間の脳や神経系に基づく知性とは異なる、より広範な概念として知性を提起する。
植物には脳はないが、知性は存在する。植物には動物のような神経細胞の集合体である脳や神経系は存在しない。しかし、近年の研究により、植物は光、温度、水分、重力、化学物質などのさまざまな環境刺激を感知し、それに適応する「知性」を有していることが明らかになったと著者は指摘する。
アリストテレスは、生物の生命を説明するために、魂(プシュケー)の三つの階層を提唱した。
第一に、栄養魂で、成長、栄養摂取、生殖などの生命活動の最も基本的な機能を担っている。第二に、感覚魂(Sensitive Soul)で、感覚、運動、欲望といった動物が持つ能力を指す。第三に、理性魂(Rational Soul)で、思考や推論など、人間のみが持つ能力である。
アリストテレスの考えによれば、植物は「栄養魂」のみを持つ存在であった。彼は植物を、栄養摂取と生殖という最も単純な生命機能しか持たないものと位置づけ、動物や人間とは異なり、感覚や運動、そして理性を持たないと考えた。
彼の植物に関する研究は、弟子であるテオプラストスに引き継がれ、「植物学の祖」としてその成果をまとめた。
プラトンは、植物には成長や栄養摂取を司る最も低次の「欲望魂」しかなく、理性や感覚を持たないと考えた。植物は根を地に深く張り、そこから栄養を吸収して生きている。そのため、プラトンは「植物は逆立ちした人間である」という比喩的な表現を言ったという。この説は、いろいろありデモクリトスがいったと本書はいう。
ダーウィンは、晩年の著作『植物の運動力』(1880年)において、植物の運動に関する詳細な考えを述べた。この本は、植物の成長や光・重力への反応、つる植物の巻きつきなど、多様な運動についての実験と観察の集大成である。
特に、以下の点に注目した。 根の先端(幼根)の役割である。 ダーウィンは、根の先端部が刺激を感知し、その情報を体内に伝えることで、成長の方向を決めていると指摘する。この部分を「下等動物の脳、あるいは分散した脳」と表現した。 また、刺激感知と情報伝達の仕組みも重要である。 たとえば、光を感知した根の先端から情報が伝わり、茎全体が光の方向に曲がる屈光性現象を実験で示した。 これは、後の植物ホルモン(オーキシン)の発見に通じる重要な洞察だった。ダーウィンは、「植物に分散した脳」があると指摘した初めての人間だった。
さて、植物の能力について
視覚。植物には目がないが、光の感受性があり、光に向かって成長する。
根は反対に、光から逃げようとする。光の屈光性がある。植物には、フィトクロム、クリプトクロム、そしてフォトトロピンという光受容体がある。落葉性のある木は、休眠、冬眠する。葉にある光受容体も一緒に落ちて、目を閉じる。
臭覚。トマトは、害虫に食べられると、 VOCs(揮発性有機化合物)を出す。
VOCsの成分は、ヘキサナール、ヘキセナール、ヘキサノールなど、テルペン類のゲラニオール、リナロール、β-イオノンなど、メチルサリチル酸、メチルジャスモン酸など。それが、害虫の天敵を呼び込み、植物間のコミュニケーションとなる。
味覚。根は土壌の中の必要な栄養分を探し当て、それを食べる。必要なカリウム、リンや微量成分を探し当てる。その時、美味しいと感じている。
本書では、食虫植物について考察する。食虫植物は、全世界で約600種類以上が確認されており、園芸上の品種や人工交配種を含めると2,000種類以上にのぼる。1. 落とし穴式 (ピッチャー式)ウツボカズラ属、サラセニア属。2. 粘着式。モウセンゴケ属: 世界中に約200種以上が分布し、日本にも自生。ムシトリスミレ属。3. 挟み込み式。ハエトリグサ属。ムジナモ属。4. 吸い込み式。タヌキモ属など。
虫や小さな動物を食べてしまう植物をどう考えたのかの歴史を語る。
1740年アメリカのノースカロライナでハエトリソウを見つけた農場主が、イギリス王立協会会員に手紙と実物を送り、それを受けた会員が植物学者に送り、さらにカールフォンリンネに送った。リンネは、触覚刺激の反応で、自発的ではないと考えた。
1875年にダーウィンは、昆虫を食べる植物の『食虫植物』の著作を発表。ダーウィンは、「ほんとうに私はモウセンゴケは姿を変えた動物ではないかと思った」と述べている。確かに、捕まえた虫などをタンパク質分解酵素で消化して、栄養をとっていたのだ。ダーウィンの観察眼は卓越している。モウセンゴケに硝酸アンモニウムは吸収するが硫酸アンモニウムは吸わないなどの実験をしている。
触覚。植物には、表皮細胞に物理刺激チャンネルがある。それは、オジギソウで明らかで、生物学のラマルクが、オジギソウを馬車に乗せて走り回ったら、最初は閉じていたが、慣れると閉じるのをやめた。余分なエネルギーを使わないのだ。つる植物は巻きつく相手をきちんと触って巻きつき、光を浴びる。根の根端は、石にぶつかったら迂回する。これは明らかに触覚機能である。
聴覚。ブドウに音楽を聴かせると、成熟が早いうえに、味、色、ポリフェノールの含有量の点で優れたブドウを実らせた。ブドウの木全体で聴き、土に伝わる音も根で聴く。とりわけ、低周波が、発芽、成長、根の伸長にいい。2012年にイタリアで根が音を出していることが確認された。
以上の人間の感覚以外に、土の湿り気や近くにある水流なども感知できる。
それは、湿度感覚という。さらに、重力感覚、電磁場感覚、化学物質感覚、気圧感覚、物理的刺激感覚、振動感覚、電気信号感覚、光の波長感覚、毒性物質感覚、アレロパシー検知感覚などがある。
これらの感覚は、人間のように独立した器官で感知されるわけではなく、細胞レベルでの高度な反応によって成り立っている。著者は、植物を単なる受動的な存在ではなく、積極的に環境と相互作用し、適応する「知性」を持った生命システムとして捉えている。
植物は内部コミュニケーションをしている。気孔は、CO2を取るために開いていないといけないが、水分を蒸散させないために閉じる。その気孔の開閉をバランスよく判断する。また、森の樹冠が重ならないようにコミュニケーションをとっている。根圏も同じような仕組みがあり、根と菌根菌は話し合っている。相利共生の関係にある。
また、受粉するために、虫に蜜を与えて、花粉を身体につけさせる。地球上で一番大きな花を咲かせるショクダイオオコンニャクは、クロバエの好きな腐敗臭を出す。
植物は動かない。脳がない。感覚がないというが、以上を考えれば、十分な知性を持っている。問題は、この植物の知性に基づいてどうコミュニケーションをするかだ。 VOCsを測定することで、害虫情報をあつめることができそうだ。やはり、植物が発する微弱な電圧変化(活動電位)をリアルタイムで測定して、翻訳するのが先かなぁ。
Posted by ブクログ
植物の世界も「不思議な世界」満載。
いかに人間が「思い込み」や「偏見」で、
人間以外のものを見ているか、ということをこの本でも思った。
植物と日々暮らしている僕は、「不思議さ」も感じさせてもらっている。
しばらくは「植物」関係の本を読んでいきたい。
〈本から〉
植物は固着性(移動できないということ)をもつ生物であり、動物とは違う方法で進化し、モジュール構造(たくさんの構成要素が機能的にまとまった構造で、各部分は交換可能)でできた体をもつようになった。
植物は、いわゆる「群知能」〔集団の個々の構成員の総合作用によって全体の協調性が生み出され、高度な集団的振る舞いを可能にする知性〕も持っているという。
光をめざして動くこのような性質は、「屈光性」と呼ばれている。
「日陰からの逃走(被陰反応)」
光を求めるこの性質は「正の屈光性」、正反対の振る舞いは「負の屈光性」
ゴットリープ・ハーベルラント(オーストリアの偉大な植物学者 1854〜1945)によれば、私たちが角膜と水晶体を使って外界のイメージを再構築しているように、植物も表皮細胞を使って同じことを行っているのである。
植物は「におい」によって、もっと正確に言えばBVOC(Biogenic Volatile Organic Compounds=生物由来揮発性有機物)の微粒子によって、周囲の環境から情報を得たり、植物どうしや昆虫とのコミュニケーションをはかったりしているのだ。これはたえず行われている。植物は自分でもにおいを作り出す。例えばローズマリー、バジル、レモン、カンゾウなどのにおいは、明確な意味を持つメッセージだ。においは植物の「言葉」なのだ!
植物の成長に影響を及ぼしているのは音楽のジャンルではく、音楽を構成する音の周波数なのだ。ある一定の周波数、特に底周波(100〜500ヘルツの音)が、種子の発芽、植物の成長、根の伸長にいい影響を与える。逆に高周波は成長を抑える効果がある。
植物はうまい解決法を見つけた。短い距離の場合、電気信号は細胞壁に開いた微小な穴を通って、一つの細胞から別の細胞へと伝えられる。この現象を「原形質連絡」という。長い距離なら(たとえば根から葉への伝達)、主に「繊維管束系」〔植物の茎の中を縦に走る柱状の組織の集まり〕が使用される。
昆虫に「訪花の一定性」を求めて、それを守らせているのは植物の方だとわかるだろう。ただ、どうやってそれを行っていうのか、まだ何も分かってない。
動物の並外れた擬態能力でさえ、ランの一種であるオフリス・アピフェラには、到底かなわない。(略)この植物は三重の擬態を行っていると言える。雌の体の色と形(視覚をだます)、毛で覆われた体表面(触覚を騙す)、独特のにおい(嗅覚を騙す)である。(略)そして、雄バチが雌バチだと思い込んでいるものと夢中で後尾しているとき、突然、花の仕掛けが作動して、雄バチは頭から花粉をかぶせられる。(略)雄バチは自分の体ごと花粉を次の花に運ぶことになる(そして受粉させる)。この関係を見れば、植物と昆虫とではどちらが立場が上なのか、全く明らかだろう。
サクラは受粉の時、とてもきれいな白い花を咲かせる。(略)ミツバチは白い色がよく見えるので、楽々と花にたどり着くことができる。でも、赤色は見えない。サクラの果実(サクランボ)が赤い色をしているのはミツバチのためではなく、別の動物を呼び寄せるため、つまり鳥のためだ。赤色は、葉の間でもよく目立ち、遠くからでもよく見える。そのため、飛んでいる鳥でも簡単に見つけることができる。(略)とは言え、サクランボが赤いのは、種子が熟しているときだけである。熟すまでは緑色なので、葉の色に紛れて、鳥には中々見つからない。
地球上のバイオマス(生物の総重量)のうち、多細胞生物の99.7%(実際は99.5〜99.9の間で変動し、その平均値が99.7%ということ)は、人間ではなく、植物が占めている。人類と全ての動物を合わせてもわずか0.3%に過ぎない。この事実からすれば、間違いなく地球は「緑の星」だと定義できる。
私たちは「脳の偏見」(脳がなければ知的ではありえないという偏見)によって、植物もこれらの生物も、知能を全く持っていないと思い込んでしまっている。そうした私たちの態度に科学的根拠はない。
二十世紀初頭に、現代インドの優れた科学者で、インド現代史に偉大な足跡を残した人物でもあるジャガディッシュ・チャンドラ・ボース(1858〜1937)は、植物と動物は根本的に同じであると主張した。彼は次のように記している。「これらの樹木は、われわれと同じ生命を持っており、食事をし貧困に喘ぎ、苦しみ、傷つく。盗みを働くこともあれば、助け合うこともできる。友情を育むこともできれば、自分の命を子どもたちのために犠牲にすることもできる」
Posted by ブクログ
"地球で存在する生物の99.7%を占める植物。この地球を観察しているETは、この星の知的生命体をとらえる時どのような結論を見出すのだろうか?人類は知性を持ち、あたかもこの星の住人の如く過ごしているが、少数派であることを忘れている。
本書は、植物に目を向けその驚くべき生態を紹介している。
植物は動物のように専門の器官はないが、体内の液体を循環することができるし、においでコミュニケーションをとれるし、外部からの接触にも対応できる。人間が想像できる範囲で植物の謎に迫った本。本書には記載がないが、樹木など100年単位で生きているものもあるので、我々の時間軸とは別の次元で活動しているのだろうなぁと思える。
哺乳類が普通に行う睡眠も、植物もとっているらしいが、1日という単位で観察して睡眠ととらえていいのか?春夏秋冬という単位でとらえるべきではないか?こうした私の素朴の疑問には答えてくれていないが、興味深い一冊となった。"
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