Posted by ブクログ
2014年05月17日
自由なはずの研究は、権威に拘束された探究よりもはるかに浅薄な命題しか導き出せない。何者かに不法侵入されたことによって思考は深まり、歩みを続けるのだ。そして、いい問いとは、こうした事情から思考せざる負えなくなったテーマ(問い)である。切実なテーマは、一見何の関係性も無さそうな様々な事象と結びつく。”答...続きを読むえはある”と信じ、理論や概念を利用しながら、自分自身が対峙する問題との折合いをつけていくことが、思考する楽しさなのかもしれない。
一人は間違える。聞いて欲しい、理解して欲しいというテーマについて、他者との対話、”説得力”が思考を深める上で必要だ。それは実際の対話でなく、文章にする際も同じ。但し、”説得力”のある文章を書くには、思考の順番と逆になることを意識した方が良い。野球でいえば、打者が「まいった」というような配球が、”説得力のある文章”なのだろう。そのためには、決め球から逆算して、限られた持ち球を如何に効果的に配球するか。この順番が肝ということだ。球が速いだけでは、プロでは勝てないのと似ているのかもしれない。自分の決め球で打者を打ち取るための配球が”オリジナリティー”であり、その瞬間での”答え”に繋がるものなのだろう。