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Casa BRUTUS連載、待望の単行本化!
48歳にして再び独身になった主人公、匡(ただし)は、吉祥寺にある古い一軒家を老婦人に借り受け、自分好みに改装を始める。気楽な一人暮らしは、順調に滑りだすが、かつての恋人、佳奈とばったり再会。佳奈は、父親とふたりで同じ町に住んでいた……。
「気ままな一人暮らし。うらやましいかぎりだなあ。これを優雅と言わずして、なんと言う」。まわりにそう言われることに違和感を覚えつつ、佳奈との関係を取り戻したいと願う匡だが、彼女の父親は認知症となり、いつしかその介護に巻き込まれていく。自分の家と行ったり来たりの生活は、さらに思わぬ展開となり、どう暮らしたいのか、誰と生きたいのかの選択を否応なく迫ってくる---。
かつて妻や息子と暮らした代々木のマンション、一人になって借り受けた、井の頭公園に接した古い一軒家。吹き抜け、窓、灯り、テラス、暖炉、キッチン……随所にあふれる細かい家の描写が、物語に柔らかな深みを与えている。
流れるような美しい文体で描かれる、松家仁之の、新しい小説世界!
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Posted by ブクログ
『ぼくは年寄りの話を聞くのが好きだ。仕事でインタビューした老人は数知れない。小説家、哲学者、ピアノ調律師、料理研究家、彫刻家、杜氏、助産師、聖書の研究家、外科医、質屋、などなど。一部の例外を除けば、経験してきたことの総量と話のおもしろさは比例する。定年間際の地味な男性アナウンサーを聞き手に、しんしんと降りつもる雪のような老人の話に耳を傾けるラジオ番組があれば、ぼくなら間違いなく聴く。すぐに眠ってしまうかもしれないけれど、それはそれでいい』
「考える人」という雑誌を創刊号からしばらく定期購読していたことがある。いつの間にか定期購読は止めたのだけれど、それが著者が雑誌から離れた時期と重なっているのはただの偶然か、何か雑誌の雰囲気の変化に感じるものがあったからなのかは、自分のことながら解らない。ただ、著者の名前は作家になる前の編集者として見知っていた。その雑誌が主催した養老先生の講演会に運良く参加できた時に、一度だけお顔を拝見したこともある。その印象が強く残っているせいか、壮年期の主人公の男性が著者の姿と重なって見えて仕方がない。
作家となった松家仁之の文章は、どちらかと言えば何かが引っかかってしまうようなざらついたところの無い端正な文章という印象。勝手な分類では堀江敏幸の文章を読んでいる時と同じような心持ちで読める作家、という位置付け。けれど、作家転身後の三冊目である本書は、そんな印象とは少しだけ異なる、やや情報過多のおしゃべりな口調。あちらこちらで編集者として見聞きしてきた言葉や事柄についての説明めいた文章が挿入される。ああ、これはきっと建築家・中村好文の影響だな、とか、それは哲人・養老孟司の飼い猫マルの哲学の影響だろうな、などと小説の流れとは関係の無い想いがついつい浮かんでしまう。因みに、お二人とも考える人の初期から連載を持っていた。更に余計なことを言うならば、堀江敏幸も創刊号から度々短篇を寄せていた筈。
余計なことばかり考えながら読んでしまうものの、物語はさらさらと流れて行く。どこかへ向かう意思をはっきりと示さない主人公と同じように、流れに身を任せて行くだけの物語と言えば、そう言えてしまう。それは好ましいことなのかどうかも不問のまま、最後の最後まで主人公は流れに身を委ねて終わる。これは偏見なのかも知れないけれど、この小説を好ましいと受け取るか否かには性差があるようにも思う。主人公の息子の恋愛事情を入れたことで、男女間の不均衡に対して平衡を保つ重しとしているのかも知れないけれど。
小説としての面白さについては置いておくとして、やっぱりこの人の文章を読むのは心地よい。それは物事を無暗に決着させない視点が根底にあるからなのかも知れないと今回改めて気付いた。
Posted by ブクログ
ミア・ファローが、じっとこちらを見つめている。その右頬あたりに白抜き、横書き三段組でタイトル。同じフォントの漢字の上に小さくローマ字を添えた作者名。映画かファッション関係の雑誌のような装丁だが、著名な編集者でもある著者三冊目の小説である。なぜ表紙がミア・ファローなのかは読めばわかる。処女作が軽井沢、二作目が北海道、そして今度は吉祥寺。舞台となる町や村にある種の選択眼が働いているようだ。
岡田匡は四十代後半の雑誌編集者で、金融関係の研究所に勤める妻と離婚したばかり。息子はアメリカ留学中で卒業後も海外で暮らす。マンションは妻に明け渡し、自分は井の頭公園を見下ろす古い家を改装して住むつもりだ。優雅な独り暮らしのはずだったが、偶然、かつて愛した佳奈が近くに住んでいることを知る。着々と進む改装工事と、どうなるか予測もつかない佳奈との関係。四十代の独身男がかつてふられた女性に再会し、あれこれと妄想をふくらませるという、他の作家が書けばあられもない話が、この人の手にかかると、こういう具合になるかという小説の手本みたいな一編。
主人公は離婚で落ち込む様子もなく、古くはあるが暖炉やカンチ・レバーのあるテラスつきの一軒家という恵まれた物件を破格で手に入れ、知り合いの建築家に改装を依頼し、その計画を実に愉しそうに語る。炊事、掃除も苦にならない凝り性の男が妻の干渉から逃れての独り暮らし、おまけに愛想のいい猫まで居ついている。こんな羨ましい話はない。やれ、家具は北欧がいいだの、ワックスは蜜蝋入りだの、お得意の薀蓄が顔を出す。
この人の小説には必ずといっていいほど料理の話が出てくるのだが、今回も青唐辛子を網で焼いたり、餃子を手作りしたりと、相変わらずこまめに働いている。その合間合間に、アオバズクやらシジュウカラやら、武蔵野の森をねぐらにする鳥に、カマドウマまで顔を出し、自然のなかに季節の移ろいを感じさせる仕掛け。会社や仕事の話はほとんどなく、わずかに谷崎潤一郎とオランダの画家の話が出てくるくらい。あとは、武蔵野の名残りを残した界隈に酔狂にも古い家を借り、好みの家に改装をする歓びを淡々とつづる。このままでは国木田独歩ではないか、と思った頃に蕎麦屋での出会いが用意されている。
離婚した主人公は、佳奈への思いを隠しきれない。佳奈も過去の別れ話を忘れたように食事をともにする。このままうまくいくのかと思ったところに佳奈の父が倒れ、介護が必要になる。匡の方も、せっかく改装が進んでいる最中なのに、もとの持ち主がアメリカから帰国するので、家を出なくてはならなくなる。なだらかに流れていた曲が終盤に至るや急激な転調が次々と襲い掛かってくるといった曲調で、敏腕編集者らしく、さすがにつぼを押さえた展開である。
熟年離婚(というには少し若いが)、親の介護、子どもの結婚問題と、今の世相をたくみにとりいれたリアルな設定に、この著者ならではの都会的なセンスに溢れたインテリアや絵画、暖炉や薪ストーブといった自然志向のアイテムを配した、サービス満点の小説である。個人的には、人間なら八十歳になる、ふみという名の雌猫がいちばんのお気に入り、パンを捏ねるような前あしの仕種を、メイク・ブレッドというのだとはじめて知ったのは収穫だった。ひとり寝のベッドにそっと入ってくるところや、匂いつけをするところ、そして姿を消す場面。去年逝った我が家の猫を何度も思い出し、鼻の奥がつんとなった。罪な小説である。
自分なりの決まりごとがあり、それを通すことが心地よい男が、別のシステムに従って動く他者である女と、どう生きてゆくか。愛し合ってさえいれば、自我は抑えられるものなのか、それはずっと長きにわたって可能なのか、一度結婚に失敗した男と、愛してはいたが、妻のある男との展望のない生活を続けることのできなかった女が、再び出会うことで、新しく何かがはじまるのか。互いの思いやりや気遣いが透けて見えるおだやかな日常をおびやかす身辺の瑣事。どんなに起伏のない日常を送る読者にも感情移入をゆるす、いかにも静かな身辺小説は、松家仁之の独壇場である。四十代後半にしてはその行動や心理がいかにも若く思えるのは、こちらが歳をとっているせいなのだろう。この作家が好きなファンには前作よりも受け容れられるのではないだろうか。
Posted by ブクログ
50手前の編集者の男が妻とアメリカ留学した息子を持ちながらも離婚をする。周囲からは子育ても終わっての一人暮らしでゆうがだなと羨望を持ったか言葉もかけられる。離婚前にしゃないでの不倫相手と別れていたが、離婚後再会し、付き合い始める。井の頭公園の近くの古い一軒家をかり、大規模改修して住み始める。大家の七十過ぎの女性はアメリカにゆき息子と生活をしている。不倫相手だった三十半ばの女の父が脳梗塞で倒れ認知症に侵され始め、彼女と一緒に生活をし介護をもうしでるが、彼女からは良い返事がない。
50手前の男の心模様を描いた小説である。肩を凝らずに松家仁之の「火山のふもとで」とは異質のシチュエーションの本である。
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小説・文芸
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