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ビルマの戦線で英軍の捕虜になった日本軍の兵隊たちにもやがて帰る日がきた。が、ただひとり帰らぬ兵士があった。なぜか彼は、ただ無言のうちに思い出の竪琴をとりあげ、戦友たちが合唱している“はにゅうの宿”の伴奏をはげしくかき鳴らすのであった。戦場を流れる兵隊たちの歌声に、国境を越えた人類愛への願いを込めた本書は、戦後の荒廃した人々の心の糧となった。
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Posted by ブクログ
戦後に発表したとなると、当時は否定的な意見も多かったでしょう。 戦争の残虐性だけでなく、かといって感涙を誘うだけの話ではない。 人間として大切な事は何か、実はものすごく単純で当たり前の事を考えさせてくれるお話。 童話の形式で書かれているので、子供がもう少し大きくなったら、ぜひ読んでほしい一冊です。
児童文学。くもんの推薦図書ではハリーポッターと同レベルのFに並べられています。 文体は優しく、音楽を主軸として、異国での苦境の前線を描いており、短い話で、中学生なら読み通せる子がいてもおかしくないかなぁと思わせます。 作中には青いインコが登場しますが、その描写がいかにもリアルで感心しました。 うち...続きを読むにもインコがおり、今もマラソンを観戦している家族に混じって、テレビと家族に向かってピィピィと楽しげに鳴いています。 南国にいるインコがありありと想像され、また健気さに泣きながら読み終えました。 今起こっている戦争とは、状況や価値観が違うものと思いますが、だからこそ1番根っこの大事なものについて思いを確かにすることができる書籍です。
この物語が空想で書かれたということに驚いた。しかし著者が生きていた時代、教え子たちが実際に南方で死に、彼らを常に悼み、弔っていたのは、まさに水島上等兵さながらであり、その実感がこの物語のリアリティを高めている。
これは、児童向けの童話として書かれたものですが、現代においては、むしろ大人が読むべき一冊となっているように思われます。 それは、相当な年配者が、懐かしく読むのではなく、壮年期の闊達に日々を生きているはずの年代が読むべきだろうと思います。 はたして、「自分たちはどこに生きているのか」「誰と生きているの...続きを読むか」、そもそも「何をしているのか」気付くために。 . 現代日本人は、何かにとり憑かれたように、考えることも、確認することもなく、まっしぐらに走っている。 それは、走ることを半ば強要されているからでも有り、そのことに或いは気付きながらも、批判することなく従っている結果のように思えます。 何に向かって走っているのか、その先に何が有るのか、そしてどうなるのか。 立ち止まって、自らの足下を見て、確かめる時ではないでしょうか。 何が正しいとか、如何すべきとか、それは自分が見て・聞いて・考えて決めることであって、周りを見渡して答えらしきものを求めることではないでしょう。 今、起こっていることの果たしてどれくらいが見えているのだろう。 これから起こるであろう事がどれくらい予測できているのだろう。 そして、自分はいったい何を選ぶのだろう。 戦争の時代を生きた人々の姿をここに見た時に、はたして私ならどのように生きたであろうかと問うてみる。 そこに、自分の姿が見えるでしょうか? この物語の主人公は、自らと仲間達、そして国家が行った過ちを目の当たりにし、多くに気付いたのでしょう。 気付いたから彼はそのための行動を行った。 果たして、私たちは、今現在について、起こっていることを目の当たりに見ているだろうか、気付いているだろうか。 そして、何かに気付いた時、私たちはどうするのだろう? . 本書の著者”竹山道雄”氏の名前を、意外なところで見た。 NHKの製作したドラマ「東京裁判」だった。 戦後の日本が戦勝国によって裁かれた裁判だが、このドラマでは、その裁判の内容と共に、そこに集まった各国を代表する判事たちの姿が描かれていた。 そして、その判事の一人、オランダのレーリック判事と竹山の交流が描かれていた。(ちなみに竹山道雄役は映画監督の塚本晋也さんだった。) この時は、あまり大きな意味を感じなかった、というより「何故?」っと言う感想だった。(本書を読んでいなかったし、映画も見てなかったから) この二人の交流の逸話は事実らしい。 そして、竹山はまさしくここに登場するにふさわしい日本人の一人だったといえる。 . 竹山が本書『ビルマの竪琴』を書いた理由については、本書の巻末に「ビルマの竪琴ができるまで」「あとがき」に記されている。 自らは、戦地へ行ったことはないものの、多くの教え子を戦地へ送る側としてこの戦争にかかわってきていた。そして送り出した教え子達が戦地に散っていったと言う経験をしている。 戦地の経験もなく、戦後、その戦場の情報も少ない中で、それでも書こうとしたのがこの物語だった。 それにしても、その発表の場所が児童向けの雑誌というのがピンと来ない。 それについて、戦後の雰囲気がそうさせた状況が書かれていた。戦争に負けた日本人は、もう戦争について聴きたくなかったのだろう。そういうことには反発が有った。たとえ、それが戦没者への鎮魂の物語だったとしても、受け入れられなかった。そういう風潮に対して、忘れてはいけない出来事を記すようにこの小説が書かれ、それは曇りのない心で手に取って読まれる児童書と言うことになったのだろう。 今、この小説について、「大人向けの小説として書かれていれば」と残念に思うものも多く有るだろうけど、そこは著者も含め、その時代の成せるわざという事になる。これは、児童書で完結して良かったのだと思う。 一方で、後に市川崑監督によって映画化されたそれは、大人をも感動させる大作となっているのだから、物語の面白さは奥が深い。 . 東京裁判の判事と竹山の交流の意味は、竹山の社会に対する姿勢に有ったのだと思う。 本書の巻末の解説に、戦前の竹山の発言について有る。 昭和十五年四月の雑誌『思想』に「独逸、新しき中世?」と題した文章を書いていて、これはナチズムと全体主義をはっきりと批難したものであったという。 戦前の日本において、公然とナチスを批難するというのも、欧州への留学経験や、そこで得た見聞・知見、それらを元にした世の中の見方が成せることだろう。 一方で、戦後、負けてしまった日本について、既にそれらを認めることはもちろん、その戦没者達を思う気持ちすら失ってしまった頃、本作を発表することで死んでいった者たちを弔うという、極々まっとうな姿勢を示したのも著者の冷静で揺るぎの無い視点なればこそと思う。 そんな著者であればこそ、東京裁判において、「人は戦争を裁けるのか」という大命題と向き合っていた判事と交流できたのだろう。 広い視点に立ち、今、自分が目の前にしているものとどう向き合うのかを考え続けた竹山道雄という人の大きさを感じる逸話だったと思う。 . 印象的な一節 ビルマ人と日本人の違いを話しあっている場面でした。 ビルマでは、一生に一度僧侶になって修業をします。 一方の日本人(ここに居るのは出征してきた軍人達)は、軍服を着て教練を受けています。 その違いを見て、どうなのだろうという議論です。 ーーー 「一生に1度かならず軍服をつけるのと、袈裟をきるのと、どちらの方がいいのか?どちらがすすんでいるのか?国民として、人間として、どちらが上なのか? ・・・ まず、この両者のちがいは次のようなことだと思われました。 若いころに軍服をきてくらすような国では、その国民はよく働いて能率が上る人間になるでしょう。はたらくためにはこちらでなくてはだめです。 袈裟はしずかにお祈りをしてくらしているためのもので、これでは戦争はもとより、すべて勢いよく仕事をすることはできません。若いころに袈裟をきてくらせば、その人は自然はとも人間ともとけあって生きるようなおだやかな心となり、いかなる生涯をも自分の力できりひらいて戦っていこうという気はなくなるのでしょう。 ・・・ 人間の生きていき方がちがうのだ、ということになりました。 一方は、人間がどこまでも自力をたのんで、すべてを支配していこうとするのです。一方は、人間が我をすてて、人間以上のひろいふかい天地の中にとけこうもうとするのです。」 ーーー 児童書の中の一場面で、こんな会話がサラッと登場してくる。 これを読みきることが出来る子供たちって… とにかく、こんなにも深い物語を子供だけに読ませておくのはもったいない(笑)。 読みごたえの有る良い本でした。
戦争に命を奪われ、生きた証を残すことの叶わなかった人たちがいる。 骨となり異国に戻ることのできない人たちがいる。 レクイエムは、生きていくものたちのための救いでもある。 発表当時は「児童向け」として書かれた作品ですが、小学校高学年でもこのままは読みづらいかもしれません。中学生におすすめ。
南方から帰ってきた傷痍軍人で溢れ、焼け野原が残るーそんな時代にこの本は書かれた。 当時の日本は、復興という明るい使命感に燃えるものの、戦中から一転、戦争を絶対悪と見なし、戦争に対して、また戦争に関わったものたちに対して、冷静な分析をするものがいなかった。亡き者たちを英霊などと言って語っては、戦争賛美...続きを読むになってしまう。多くの人が死にすぎたからこそ、戦争の惨状を過去の遺物として、なきものとして、葬ることを選んだーーー しかしそんな中、竹山氏は「鎮魂」というテーマで、あえて児童書という形を取って書き上げた。おそらく、この本に救われた元軍人や残された家族は多かったのではないだろうか。遺骨も見ることなく、遠い異国で家族や友人は死んだと言われた人々の悲痛な叫びは、水島一等兵が語ってくれている。 この本の舞台、ビルマ(現ミャンマー)側からの戦争の追憶も読まねばならないとも思う。戦争に巻き込まれ、多くの犠牲を出した国は日本だけではない。インパール作戦で巻き込まれた人々の数は知れない... 戦争の追憶を忘れずに、霊に敬意を払う。それは新たな戦争のためではなく、今後こんな悲惨なことがないように祈るため。文学人であり、批評家でもあり、また戦後各方面の人間(東京裁判のレーリング判事なども!)との交流のあった竹山氏の書を読んで、改めてそう思わされた。
子ども向けに書かれた小説、とのことで、やさしい言葉で書かれているが内容はとても深く難しい。若いときに一度は軍に入隊しなくてはならない当時の日本と、僧として修行しなくてはならないビルマ(ミャンマー)。どちらがすぐれているか。どちらが良いのか。どちらが豊かか。幸せとは、豊かさとは何か、深く深く 考えさせ...続きを読むられる。
初めて読んだのは、中学の頃。以来、何度か読み返して、手元にあるのは2冊目。 何度読んでも、涙が出そうになる。水島は、どうして日本へ帰らなかったのか。
現地に行った。赤土を踏んだ。慰霊法要をした。視界がぼやけた。 昨年11月のインド・ミャンマー行きから帰ったら必ず『ビルマの竪琴』を読むと決めていて今回映画('56年版)も鑑賞した。 文章やワンシーンの端々に見られるビルマの景色や人々。ついこないだ行ってたもんやからイメージしやすい。...続きを読む39;56年版は半分くらいしか現地での撮影が出来なかったらしいけど私達が行った時とさほど変わっていなかったのが驚きだった。 作中の竪琴と現地で聴いた箏の音色が何度も重なる。両楽器で演奏された「埴生の宿」が頭から離れない。その時の静寂もまるで同じ。 慰霊法要の時みたく、また何かが押し寄せて視界がぼやけた。
小学校のときにおばあちゃんの家で夢中になって読んだ記憶があって、大人になって読み返した。 おもしろかった。けど内容子供向けじゃないんじゃない?と思った。けど、これは童話らしい。びっくり。これを読んで善く生きるとはこういうことなのか、と幼いながらに感銘を受けていたような気がする。
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ビルマの竪琴
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竹山道雄
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