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栄華を誇った大唐帝国が滅びて40年、天下はまだ再統一の兆しすらない。脆弱な王朝のひとつ、後漢の将軍・趙弘殷の嫡子、趙匡胤(ちょうきょういん)は無実の罪で繋がれた牢獄から脱出し、義兄弟のちぎりを結んだ鄭恩と共に、都の開封をあとにした。宋を建国した趙匡胤のダイナミックな生涯を瑞々しく描いた中国歴史長編小説。
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北宋は日本と特異な関係の王朝
この著作は北宋の開祖で初代皇帝となった趙匡胤の物語だ。 ただ日本ではこの人物があまり人気がないばかりか有名でもない。そもそも北宋自体が歴代のシナの王朝の中で、領土的にも小さく、また軍事力も弱いため歴代北方民族に侵攻されては敗北をつづけていたという、いわばパッとしない王朝故是非に及ばずかもしれな...続きを読むい。 しかるに日本との関係を考えると、この北宋という国は決して無視できない存在となっている。 確かに北宋は軍事では弱かったが経済大国であり、そのため遠くアラビアやペルシャからも商人たちが渡来し海外貿易が盛んであり、記録上ではユダヤ人移住者が初めてこの時代シナの歴史文献に記載されているほどだ。 こうした貿易大国ゆえ近隣諸国であった日本とも民間による私貿易が活発であり 特に平清盛時代は大量の宋銭が輸入され、これが日本の貨幣経済の実質上の始まりとなっている(確かに奈良時代には和同開珎という国産貨幣が鋳造されたがこれらは今でいう記念コイン程度の役割しか果たさず、国民の多くは清盛時代まで物々交換をしていた)。 二番目は元寇とのかかわりあいだ。南宋時代、元帝国はこれを包囲するため、貿易相手国の日本を配下に入れようとし、それが拒否されると文永の役を起こし失敗する。その直後ようやく南宋を征服すると、今度は日本への復讐戦となり、支配にいれたばかりの南宋人をモンゴル・朝鮮人以上に動員して日本を攻撃するという弘安の役を起こす。確かにこの時の南宋人はモンゴル配下で動員されたものであるが、シナとの歴史上、10万近くのシナ人が日本本土を攻撃してきたとい戦役は実はこれが最初で最後なのである。 こうした意味で宋という国家は日本との関わりの中でも特異な関係がるあ王朝ゆえ、私はその始祖である趙匡胤に興味を持った次第である。
Posted by ブクログ 2011年01月12日
唐が滅び,五代十国時代,後周の初代皇帝となった郭威の養子である紫栄(後周の2代皇帝)に認められ,一時期は紫栄と敵同士であった趙匡胤であるが,その人柄に惚れ,臣従することになる。紫栄が崩御した後,紫栄の息子が第3代皇帝となるが,才覚がなく,これでは紫栄の夢であり実現間近の中国統一も本当に夢に終わると思...続きを読むい,趙匡胤は禅譲を迫り,宋を建国する。趙匡胤は武勇や人徳には秀でたものがあったが,戦略と言う観点からは,やはり,後周時代に紫栄から与えられた臣下の趙普や趙匡胤の弟で宋の2代皇帝となる趙匡義(匡が皇帝と同じであるため改め,趙光義)の補佐があったことが大きい。特に趙普については多くは語られていないが,皇帝ともなりうる才覚があったように感じたが,そこは,人徳では及ばないと感じたのか,皇帝より宰相の方が自分にはあっていると感じたのか,皇帝の地位は望まなかったようである。本書は,趙匡胤が皇帝になるまでを主に記述し,その後は簡単に書かれて終わっている。
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宋の太祖 趙匡胤
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小前亮
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