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妻セツの語りに魅了され、日本の古い伝承物語を叙情溢れる筆致で語り直したハーンの再話文学。最も代表的な『怪談』完訳に、『骨董』『霊の日本』等から集めた主な怪奇譚60篇超を詩情豊かな訳で贈る。
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Posted by ブクログ
『ばけばけ』関連2冊目。 ラフカディオ・ハーンの『怪談』はいろんな版が出ていますが、最近出版された(2025年8月)こちらにしてみました。 『怪談』をはじめ、『骨董』、『霊の日本』などからハーンによる再話文学、彼のアニミズム的自然観、仏教的生命観が書かれたエッセイを収録。 小泉八雲といえば『耳なし...続きを読む芳一』。アニメ放送自体を見ていないにも関わらず、保育園にあった『日本昔ばなし』カルタの『耳なし芳一』の絵札がめちゃくちゃ怖かったことを覚えています。大人になって読むと、怖いというより、哀しく美しい物語です。 表紙に使われている「ろくろ首」と「雪おんな」はハーンの直筆イラストだそうですが、『怪談』に収録されている『ろくろ首』は首が伸びるタイプではなく、首が外れて飛ぶタイプ。 物語の舞台は「甲斐の国」で「ろくろ首の墓」が今でもあると書かれていますが、残念ながら現在の山梨には残っていないようです。 『雪女』のほかにも異類婚姻譚や生まれ変わりの話も多いです。 「再婚しないで欲しい」と言って亡くなった妻が、後妻を殺しにやってくる『破られた約束』とか『因果話』とか、女の怨念話は幽霊というより人間怖い。 『ばけばけ』的には『牡丹灯籠』も収録。これ、落語として聞くのは怖そうだなあ。 ハーンは両親の離婚により幼くして捨てられ、厳格な叔母に育てられたという不幸な生い立ちゆえに、幽霊や暗闇を怖がると同時に囚われているような子供時代をおくっているんですね。カトリック的な宗教観よりも仏教やアニミズムのほうが彼にとっては共感できたのでしょう。 日本に関する最初の著書である『見知らぬ日本の面影』が1894年出版であるのに対し、『怪談』は晩年である1904年出版。それもあってか、死生観や「万物は一なり」といった思想も描かれています。 (262ページ) 今までにない不思議な思いで、私はそもそもこの世に始まりなどなかったし、終わりもないはずだ、と確信したのである。 『歴史探偵』でトミー・バストウさんが話していた『蚊』も収録。ハーンの墓は雑司ヶ谷霊園にあるそうなので蚊に刺される覚悟で訪れてみたい。 (168ページ) この梵鐘の音が聞こえるところに、私はいたいのだ。そして、私は食血餓鬼道に落とされることにでもなれば、竹筒の花入れか水溜めの中に生まれ変わり、そこからそっと飛び立って、私のか細い、刺すような辛辣な歌声を響かせながら、自分の知っている人たちを刺して回るであろう。 以下、引用。 50 女は暗然としました。愚かにも、わが身の大切な一部を人にくれてやったような気がしたからです。 女は「鏡は女の魂」という古い諺を思い出しました。 52 おもしろいことに、昔から日本人は心に念じながら何かをすると不思議な力が発揮されると信じているようです。決して十分とは言えませんが、その力は「なぞらえる」という言葉で表すことができましょう。この言葉はまじないをする場合にも、信心の深さを示す場合にも使われます。英語には、これにぴったり当てはまる言葉はありません。辞書を引いてみると、「なぞらえる」という言葉の普通の意味は「真似をする」「たとえる」「似せる」とあります。けれども、もっと深い意味は「心のなかで、ある物やある行いを別のもので代用し、不思議な効果を生みだすこと」と言えましょう。 たとえば、あなたには寺を建立するだけの財力がないとします。それでも、仏像の前に小石をおくことはできましょう。十分にお金があって、寺を建てようと発心するときと同じくらいの敬虔な気持ちをもってすれば、小石を差し出すことは寺を建てるのと、ほとんど同じだけの功徳を積んだことになるのです……。 75 美しい晩でした。空には一点の雲もなく、風もなく、月の光で草むらがくっきりと濃い影を落とし、庭の夜露がきらきらと光っていました。こおろぎと鈴虫がにぎやかに音楽を奏で、近くの小滝の音は、夜の静けさの中でいっそう深く響いていました。 168 ゴーンという境内にある大きな鐘の響きは、十九世紀を生きる今の自分ではない、遠い昔の私を呼び覚ます不思議な太古の音調である。呼び覚まされたものに、手探りをしながらかすかにうごめいている感覚に、私はむしろここちよい畏怖を覚える。 あの梵鐘の響きを聞くときまって、私の魂の深いところで、激しくざわざわと動くものがある。そのうごめきとは、何百万もの生と死の彼方にある、彼岸の光明に到達しようとして、しきりともがいているような記憶の感覚である。 この梵鐘の音が聞こえるところに、私はいたいのだ。そして、私は食血餓鬼道に落とされることにでもなれば、竹筒の花入れか水溜めの中に生まれ変わり、そこからそっと飛び立って、私のか細い、刺すような辛辣な歌声を響かせながら、自分の知っている人たちを刺して回るであろう。 181 この「選ばれし母蟻」族は、仕事はしなくてもいいが、その代わり、夫を迎え入れるのが至上命令なのだ。他の女働き蟻は、男蟻と一緒になることなど夢想だにしない。 185 一夜だけ女王と結ばれるために生まれ、初夜の後は生きる権利はなく、女王と契りを結んだものはひとり残らず死ぬ運命にある、と知らされている若者の気持ちを想像してみるがいい。その上、このように死んだからといって、若き未亡人がその死を嘆き悲しんでくれるなどとは想像もつかないことだ。彼女らは、その後、何代にもわたって生き続けるというのにである! 199 ハーンはまた、魂というものは、ある時は人間にもなり、またある時は樹木や植物にもなって、何千年も何万年も脈々と受け継がれてゆくものだと考えていました。そして、自己という存在も、何世代にもわたる霊の集合体であると述べていました。 222 仏様は、いつでも周りにおられるが、無知で未熟である限り、わしらにはそのお姿を見ることができないと教わってきました。 262 海岸の波打ちぎわにある松林で、私は休んでいた。すると、なにか命が暖まるような明るくのどかな時間の中で、風と光とが恍惚としてうち震え、奇妙にも古くからの私の信仰が蘇ってきたのである。それは「万物は一なり」という信仰である。 私は風のざわめきと波のうねり、ゆらめく影ときらめく太陽、さらには緑なす大地の深い静寂と一体であると感じた。今までにない不思議な思いで、私はそもそもこの世に始まりなどなかったし、終わりもないはずだ、と確信したのである。 今までになかったことだが、私の魂といわれる神秘的なものが、過去に存在したさまざまな形をした生きものの中に存在しており、何百万年後、無数の生物に姿を変えながら、太陽を眺め続けるに違いない、とおぼろげながら悟ったような気がしたのである。 265 古い日本の──もっと正しくいえば、中国の──仏典では、大部分の場合、梵語の餓鬼名がひんばんに使われている。ところが、ある種の餓鬼には、中国名しかつけられていないものもある。インドの仏教は、中国、朝鮮を経由して日本に入ってきたので、その途中である種の潤色がほどこされたようである。しかし全般的に見て、日本の餓鬼に関する分類は、インドのプレタの分類によく対応している。 266 インド仏教での餓鬼の地位は、あらゆる存在の最下層を占める地獄道からほんの一階級上のところに置かれている。地獄道の上は餓鬼道で、餓鬼道の上は畜生道である。その上にはさらに、絶えざる闘争と殺戮の領域、すなわち修羅道がある。これらの上にあるのが人間道である。 さて、地獄に堕ちた人間は、カルマが尽きて地獄から解放されても、いっきに人間世界に生まれ変わるのは難しい。上を目指して懸命に努力し、すべての中間に存在する世界を通り抜けなければならない。餓鬼の多くは、一度地獄を見てきた存在なのだ。 しかし、地獄を見てこなかった餓鬼もいる。ある種の罪、あるいはある程度の罪であれば、この世で死んだ後は、直ちに餓鬼として生まれ変わることがある。最悪の罪を犯したときだけ、人間はすぐに地獄に堕とされる。二番目程度の罪なら、餓鬼道に堕ちる。三番目程度の罪なら、畜生道に堕ちて、動物に生まれ変わる。 276 一般に、榎は鬼の棲む木とされている。 288 ところが、日暮れ時になると、きまってこの虫の小さな魂が目を覚ます。すると、部屋中が何とも言えぬ、甘く繊細な音楽で満たされる。銀の鈴を鳴らしたように、それは細やかにチリチリとさざめくのだ。宵闇が濃くなっていくにつれ、鳴き声はいよいよ甘さを帯びてゆく。あるときは大きく高まって、家中を妖精の奏でるような響きで震わせ、あるときは糸のようにか細い声で微かに鳴いている。しかし、高くとも低くとも、その鳴き声は、この世のものと思われない音色を帯びている。 さて、このささやかな虫の奏でる歌は、恋の歌である。まだ出会ったこともない、誰とも知れぬ相手を恋い慕う、あてのない恋の歌なのである。 418 日本の花嫁さんは、この世かぎりの愛だけでは満足しないのだそうです。 521 暗中模索を重ねているうちに、私は一つの真理、つまり、精神的にも、倫理道徳的にも、あるいは肉体的な意味においても、最高の美というものは、多数者によって憎まれ、少数者によってのみ愛好されるのだという真理に達した。 そのとき、私には中世の信仰は、醜悪さと憎悪の宗教に見えた。私の気弱で病気がちだった幼年期に教え込まれたのも、このような宗教であった。知識の普及が著しい今日でも、「異教徒」とか「異端」という言葉は──無知ゆえに軽蔑の意味で用いられていたとしても──私の心の内に光と美、自由と喜びの感覚を呼び覚ましてくれる。 528 当時、その教会は、私にとって悪夢のように思えた。ゴシック建築の持つ形が特別の恐怖を呼び起こすのだということを、その教会で初めて知ったのだった。恐怖(ホラー)という言葉を、ここでは昔風な意味で使うことにする。つまり、化けものに対して感じる恐怖というような意味あいである。 私が恐怖心を抱いたのは、古びて尖った教会の窓を見た瞬間だった。その輪郭が、眠りの中で、私を苦しめるお化けの形に見えたのだ。と同時に、悪鬼(ゴブリン)とゴシック教会は恐ろしいほど似ているものだと思った。 594 フォークロア的な手法を用いて、彼は民間伝承における、集団無意識的な夢のもつ〈真実〉を描こうとしたのです。夢の中に現れる死者たちが棲む共同体が、いってみれば、ハーンの再話文学の故郷であったと思われます。 物語やその理屈づけを信じないとしても、なお今日、われわれ自身が一個の幽霊にほかならず、およそ不可思議な存在であることを認めないわけにはいかない。 「文学における超自然的なものの価値」
ただただ怖いだけではなく、人の性のようなものや、教訓を感じさせられる話もあり、そういった様々な感情を呼び起こすからこそ長く語り継がれてきたのだなと感じさせられた。
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ラフカディオ・ハーン
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