相対論、素粒子論、量子力学、統計力学、これは物理学…なのか?と、高校の物理化学の時間を居眠りで過ごしてしまった私にはまったくピンとこない理論と数式が各所に登場し、完全に理解できたとは言えないものの、これまで考えたことのない視点の一部を垣間見ることができた。
何より印象的だったのは、理詰めで導かれた正確なものだと思い込んでいた物理分野の理論が、あくまでも今現在人類が証明できうる現象を仮定的に説明したに過ぎないということ。光よりも速い物質があるかもしれない、時は対称的に反転しうるかもしれない、そんな想像力から生まれる仮説が今も世界中の研究者たちによって明らかにされようと実験を重ねられているのだという。
人は過去から未来へと一直線に流れる"時間"と、原因から結果が導き出される"因果"を当然のものとして日常を送っている。しかし超光速粒子タキオンが存在するとなると、時間と因果の関わりに矛盾が生まれるという。
ここで生じる、我々の知覚する時間や、我々が当然あるべきとする時間に紐付く因果関係が、単なる想像の産物に過ぎないかもしれない、という発想は、なんと恐ろしく、同時に魅力的だろうか。
退屈で仕方なかった物理の授業とは裏腹に、物理学は我々の世界観や価値観を根底から覆す可能性をはらんでいるということをひしひしと感じた。
筆者はマクロレベルでのタイムマシンの可能性について否定しているが、時間旅行で得るよりももっと大きな価値転換が、我々の未来に起こりうるかもしれないのである。
Times goes, you say? Ah no!
Alas, time stays we go.
オースチン・ドブソン