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昭和29年、活動の場をプロレスに移した木村と、人気絶頂の力道山が激突し「昭和の巌流島」と呼ばれた一戦。視聴率100%。全国民注視の中、木村は一方的に潰され、双葉山と並ぶ国民的大スターの座から転落、表舞台から姿を消した。なぜ木村は簡単に敗れたのか? 日本スポーツ史上最大の謎とともに、その数奇な人生に迫る! ※単行本に掲載の写真・図版については当電子版には収録しておりません。
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プロレスの、罪
高橋本など足元にも及ばぬ一冊。 勝者がいれば敗者がいる。 プロレスファンはプロレスの勝利に諸手を挙げ続けていた。 本書はその裏の、プロレスの罪を我々プロレスファンに突きつけるものだった。
Posted by ブクログ
読書録「木村政彦はなぜ 力道山を殺さなかったのか」5 著者 増田俊也 出版 新潮社 p87より引用 “ それが牛島辰熊だった。牛島は窪田に「柔 道には圧倒的なパワーが必要なんだ。だから バーベルを使ったトレーニングが必要なんだ。 そのパワーで大根を引っこ抜くようにグーンと 投げてしまうのがいい柔...続きを読む道なんだ」と言った。 豪快な人だなと窪田は思った。" 目次より抜粋引用 “巌流島の朝 熊本の怪童 鬼の牛島辰熊 木村政彦と高専柔道 師弟悲願の天覧試合制覇" 柔道経験者の作家である著者による、史上最 強の柔道家・木村政彦の人生と戦いを描いたノ ンフィクション。雑誌連載三年半分をまとめた 大作。 木村政彦の人生に影を落とした力道山との一 戦から、生まれ育ち柔道に邁進するようになる 過程、そして弟子を育て上げ亡くなるまでを、 日本柔道・武道会のみならず、世界の格闘界の 人々との関わりなども含め、十年以上の取材と 資料検索を元に書き上げられています。 上記の引用は、木村政彦の師匠・牛島辰熊の 発言を記した一節。 「柔よく剛を制す」と聞くことはありますが、 何度も日本一になっている人がこう言っている のならば、まずは何よりも体を鍛えて、力を付 けるのが大切なのでしょう。 出てくる柔道家の鍛錬内容を読んでいるだけ で、疲れてしまいそうな猛練習が描かれていま す。努力が出来るかどうかも、やっぱり才能な んだろうなと思わざるを得ません。鍛え上がる 前に、怪我をして体を壊してしまうんじゃない でしょうか。 本を手に持った時のボリュームが、辞書のそ れ。外ではとても読むことが出来ないサイズの で、移動中に読みたい人は、電子版を探したほ うがいいでしょう。 文章量、内容ともに「渾身」の二文字がしっ くりと来る作品。人一人、それも歴史に名が残 る人物の一生を描くのならば、このくらいには なって当然なのでしょう。 どれ程強くて凄い人でも、少しの油断でどう なるか分からないという事と、いつかは衰えて しまうものなのだなということを、思い直させ てくれる一冊。そして、いつか誰かのお世話に なることになるのだから、人には丁寧に接して おいたほうがいいなと思わせられる一冊。 ーーーーー
増田俊也 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 世紀の柔道王木村政彦の生涯伝記。 柔道詳しくないので、こんな凄い人が居たのが驚きじゃった。 あのグレイシー一族の祖とも言われるエリオ・グレイシーの腕を骨折させた技が「キムラ・ロック」と技の名前になる程に最強の強さを誇ってた。 時代はプロレス...続きを読む人気になり、力道山との対決の末待ち受けていたものは…。 柔道の歴史、プロレスの歴史等、格闘技好きの人にオススメですw 2014年読破
まずオープニングでぐっと引き込まれる。柔道家の木村政彦の名前は聞いたことがあったが、ほとんど何も知らなかった。この作品で彼のことをたくさんの人に知ってほしい。
ノンフィクションを読む喜びを最大級に味わった本。厚さが全く気にならない。経歴、時代状況からみて、木村のような選手はもう現れ得ないだろうことを納得させられる。力道山戦などなければ、、、といろいろ考えてしまう。
自分は、プロレス中継がゴールデンタイムに放映されていた時代に小学生時代を過ごした世代です。 小学校の高学年の頃、クラスの男子の半分以上は熱狂的なプロレスファン。 学級文庫に「プロレススーパースター列伝」が置かれて回し読みし、プロレス雑誌やムックなどを通じて、プロレス界に伝わる歴史や伝説について学びあ...続きを読むったものでした。 そんな小学生なんて、21世紀の今になっては想像もつかないでしょうが。 そんな自分にとって「木村政彦」の名前には、正直「プロレスの王者である力道山に挑んで、あっさり敗れた哀れな柔道王者」くらいのイメージしかありませんでした。 ただの柔道王者ではなく戦争を挟んで15年間無敗の無敵の王者であったこと。 「柔道家」の実直そうなイメージとはかけ離れたバンカラ、やんちゃで人間味あふれる人物だったこと。 力道山に先駆けて既に海外でプロレスデビューし、ブラジルでは若き日のエリオ・グレイシーにバーリトゥードで圧勝していたこと。 グレイシーの件はなんとなく耳にしていましたが、この本を読んで初めて知ったことがたくさんあり過ぎて混乱しそうなくらい。 そして問題の力道山との世紀の一戦。 今回、初めてYou Tubeにアップされている動画をみましたが、あまりの凄惨さにショックを受けました。 明らかに「プロレス」ではない。 力道山という「怪物」の底知れない恐ろしさを思い知らされる。 この試合の時点においては、力道山はまだプロレス界の王者であったわけではない。 木村を叩きのめすことで、その地位を確固たるものに固めていった。 一方で、「負け犬」として生き恥を全国民に晒された木村の後半生は、世間から忘れ去られていく。 ところが、この700頁に及ぶ壮大なノンフィクションを通じて描かれる木村政彦の一生は、けっして悲劇の主人公のそれではない。 そう思わされることこそが本書の素晴らしいところだと感じます。 著者の木村政彦に対する思いの強さは一方ならぬものがある。 強さも弱さもひっくるめて、木村政彦という傑出した人物の複雑さも単純さも全てが伝わってくる。 また、本書を通じて、現在の立ち技中心のスポーツとしての柔道が、木村が極めようとした「実戦的な柔道」とかけ離れたものであることを識ることができます。 「力道山のプロレス」にしても「講道館の柔道」にしても、最初っから絶対的な地位にあったわけではなく、戦後という時代の政治の流れの中でその地位に収まったものである。 21世紀の今、そんな冷静な見方で戦後社会を概観できるという点でも良著だと感じます。
読書期間:2月7日~11日 最近読んだノンフィクションものでは文句なし、No.1である。2段組の700ページという大部であり、3連休をフルに使って読み切ったのだが、読み終わって、何をレビューすべきか迷っているうちに10日以上経ってしまった。 これまで木村政彦といえば、プロレス勃興期に力道山とともに...続きを読む盛り上げた柔道家であり、力道山と互いに戦って一方的にやられて負けた、というイメージしかなかったのだが、そのイメージが完全に覆された。著者が丹念に1次資料を収集し、関係者へのインタビューを行った結果、見えてきたのは、ひたすら強さを求めて、体を鍛え、技を磨き続け、相手を倒し続けて究極のファイターとなった男の姿である。立ち技では高段者でも受け身を取れないほどの強烈な大外刈が決め技で、講道館での出稽古では失神者が続出。また、寝技ではどの体制からでも腕がらみを決めることができ、出稽古で脱臼者が続出したため、大外刈と腕がらみは双方とも禁じ手とされていたという。全盛期であれば、オリンピック王者のヘーシンク、ルスカ、山下泰裕も全く歯が立たなかっただろうというのが意見が大勢を占めており、さらに総合格闘技で最強をうたわれるブラジリアン柔術の世界でも、マサヒコ・キムラの名前は特別に敬意をもって取り扱われている。プロ柔道を引っ提げてブラジルに渡り、ブラジリアン柔術の王者であるエリオ・グレイシーを手玉にとって破っているからだ。ちなみに、その時の決め技の腕がらみのことを、ブラジリアン柔術ではキムラとかキムラロックと呼んでいるそうだ。 木村政彦と関係した人物についても、丹念な取材により明らかにされていく。木村政彦を育て上げた師匠の牛島辰熊、彼は全日本の選士権で実質的に5連覇を果たした最強の柔道家だったが、ついに天覧試合では優勝できなかった、その無念さを晴らすため、木村政彦を最強の選手に育て上げたという。この鬼気迫る師弟関係も見ものである。また、木村政彦を兄と慕った極真会館の大山倍達、そして、プロレスラーの力道山。ブラジリアン柔術の王者、エリオ・グレイシー。作者により掘り起こされた、これら一癖も二癖もある男たちの姿は実に魅力的だ。彼らの人生が木村政彦という強烈な磁場に引き寄せられ、互いにぶつかり合い、交錯し合っていく様子に惹き込まれ、時間を忘れてページをめくっていた…。 実のところ、読み終わった今でも「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という問いに対しては、答えが得られた気がしていない。しかし、暴力団相手の喧嘩で刺されてあっけなく死んでしまった力道山に対して、師の牛島辰熊が自分を育てたのと同様に、拓大の柔道部を自分が経験した内容に匹敵する地獄の特訓で鍛え上げて岩釣兼生という世界チャンピオンを育てあげた木村政彦、このあまりにも対照的な二人の生涯を見るにつけ、木村政彦は力道山を殺すまでもなく、勝負がついてしまっていたように思えてならない。ただ、自分との再戦から逃げ続けて勝手に自滅してしまった力道山に対して、木村政彦の殺意は最後まで枯れることがなかったようだ。最晩年の木村政彦が、作者の増田俊也氏に'あいつ(力道山)は卑怯な男だから、(自分の額に「殺」という文字をイメージして)殺した'と語ったというエピソードに表れている。 作者の増田氏の木村政彦に対する思い入れは相当なものがあり、誇張した表現も多用されているが、読んでいるうちにほとんど気にならなくなった。作者に洗脳されてしまったようだ。少なくとも'格闘技史上最強は木村政彦!'と自分の中では揺るぎのない確信を得るに至った。
木村の前に木村なく、木村の後に木村なし。三倍努力、負けは死を意味するとまで考えて勝負に臨んできた、鬼の木村である。 そんな最強木村が、なぜ力道山に負けたのか・・・。 18年の歳月をかけて辿り着いた結論に著者の筆も激しく揺れる。途中まではこんなに木村に思い入れてしまって大丈夫だろうかと思っていたが...続きを読む、最終的には著者自身が腹をくくって真実を追求していた。アツすぎて一気にかぶれてしまった。
私の場合、特に格闘技が好きというわけではありません。この本を手に取ったのは、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したベストセラーであったこと、ジャカルタ日本人会の古本市で50円で売られていたという理由だけです。ところが、読み始めたらやめられず、正月休みで完読してしまい、充実した読後感を味合うことができま...続きを読むした。 「木村政彦」という名前はあまり浸透していないと思います。木村政彦は主に戦前に活躍した柔道家で全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、現在においても史上最強の柔道家と称されています。 しかし、戦後、食えない時代にプロ柔道に参戦したこと、さらにプロレスラーに転向して力道山と不可解な試合を行い、無様な敗北をしたため、戦後の柔道界は木村の存在そのものを柔道史から抹殺しまいました。 本書は木村政彦の評伝。「昭和の巌流島」と言われた昭和29年の力道山との試合を中心に据え、木村政彦の少年時代から臨終までを、柔道、プロレス、当時の世相を絡めながら描くノンフィクションの大作です。 著者の増田俊也さんは北大柔道部に在籍していたノンフィクション作家、小説家。増田さんは木村政彦と力道山を「怪物」と断言します。 「柔道家として全盛時代の木村は、まさに戦うためだけに造られたサイボーグであった。(中略)ただただ勝ち続けることを課され、それに応えて完璧なサイボーグ戦士となった怪物であった。大日本帝国が産み落とした怪物であった」 「一方の力道山は、はじめは植民地の朝鮮半島から夢を見て内地日本にやってきた素直で優しい少年だった。だが(中略)差別からくる怒り、自らではどうしようもない国家という化け物に振り回され続ける怒り、その中でもがき続けた」 上の文章に国家をも絡めた、木村政彦と力道山の2人の性格の違いが簡潔に記されていると思います。そして、なぜ2人の怪物が不可解な試合を行い、木村政彦が醜態をさらし、木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのかを、膨大な資料とインタビューから明らかにしてゆきます。まさにノンフィクションのお手本のような本です。 文句なしの★5つ。最後の数ページは目頭が熱くなりました。
★柔道からの熱すぎる思い★柔道の、木村政彦のすごさを伝えようとする「私」主語のノンフィクション。熱い思いを伝えるには、著者が出てきた方がいいのだろう。幅広いインタビューと資料収集は門外漢が読んでも納得する手厚さだ。力道山が体現するショーとしてのプロレスに、言説の分野で柔道(やアマスポーツ)が負けてき...続きを読むたことへの対抗心にあふれている。そして講道館からもプロ柔道を立ち上げた木村が排斥されてきたことに、二重の反発があるのだろう。 最後に岩釣がアンダーグラウンドで優勝したことを記したのは、岩釣の、ひいては木村の強さを表したかったのだろうが、蛇足ではなかったろうか。相手が誰だったのかいらぬ詮索を読んでしまい、言い訳じみて見えてしまう。
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増田俊也
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