あらすじ
昭和29年、活動の場をプロレスに移した木村と、人気絶頂の力道山が激突し「昭和の巌流島」と呼ばれた一戦。視聴率100%。全国民注視の中、木村は一方的に潰され、双葉山と並ぶ国民的大スターの座から転落、表舞台から姿を消した。なぜ木村は簡単に敗れたのか? 日本スポーツ史上最大の謎とともに、その数奇な人生に迫る! ※単行本に掲載の写真・図版については当電子版には収録しておりません。
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プロレスの、罪
高橋本など足元にも及ばぬ一冊。
勝者がいれば敗者がいる。
プロレスファンはプロレスの勝利に諸手を挙げ続けていた。
本書はその裏の、プロレスの罪を我々プロレスファンに突きつけるものだった。
Posted by ブクログ
読書録「木村政彦はなぜ
力道山を殺さなかったのか」5
著者 増田俊也
出版 新潮社
p87より引用
“ それが牛島辰熊だった。牛島は窪田に「柔
道には圧倒的なパワーが必要なんだ。だから
バーベルを使ったトレーニングが必要なんだ。
そのパワーで大根を引っこ抜くようにグーンと
投げてしまうのがいい柔道なんだ」と言った。
豪快な人だなと窪田は思った。"
目次より抜粋引用
“巌流島の朝
熊本の怪童
鬼の牛島辰熊
木村政彦と高専柔道
師弟悲願の天覧試合制覇"
柔道経験者の作家である著者による、史上最
強の柔道家・木村政彦の人生と戦いを描いたノ
ンフィクション。雑誌連載三年半分をまとめた
大作。
木村政彦の人生に影を落とした力道山との一
戦から、生まれ育ち柔道に邁進するようになる
過程、そして弟子を育て上げ亡くなるまでを、
日本柔道・武道会のみならず、世界の格闘界の
人々との関わりなども含め、十年以上の取材と
資料検索を元に書き上げられています。
上記の引用は、木村政彦の師匠・牛島辰熊の
発言を記した一節。
「柔よく剛を制す」と聞くことはありますが、
何度も日本一になっている人がこう言っている
のならば、まずは何よりも体を鍛えて、力を付
けるのが大切なのでしょう。
出てくる柔道家の鍛錬内容を読んでいるだけ
で、疲れてしまいそうな猛練習が描かれていま
す。努力が出来るかどうかも、やっぱり才能な
んだろうなと思わざるを得ません。鍛え上がる
前に、怪我をして体を壊してしまうんじゃない
でしょうか。
本を手に持った時のボリュームが、辞書のそ
れ。外ではとても読むことが出来ないサイズの
で、移動中に読みたい人は、電子版を探したほ
うがいいでしょう。
文章量、内容ともに「渾身」の二文字がしっ
くりと来る作品。人一人、それも歴史に名が残
る人物の一生を描くのならば、このくらいには
なって当然なのでしょう。
どれ程強くて凄い人でも、少しの油断でどう
なるか分からないという事と、いつかは衰えて
しまうものなのだなということを、思い直させ
てくれる一冊。そして、いつか誰かのお世話に
なることになるのだから、人には丁寧に接して
おいたほうがいいなと思わせられる一冊。
ーーーーー
Posted by ブクログ
増田俊也
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
世紀の柔道王木村政彦の生涯伝記。
柔道詳しくないので、こんな凄い人が居たのが驚きじゃった。
あのグレイシー一族の祖とも言われるエリオ・グレイシーの腕を骨折させた技が「キムラ・ロック」と技の名前になる程に最強の強さを誇ってた。
時代はプロレス人気になり、力道山との対決の末待ち受けていたものは…。
柔道の歴史、プロレスの歴史等、格闘技好きの人にオススメですw
2014年読破
Posted by ブクログ
まずオープニングでぐっと引き込まれる。柔道家の木村政彦の名前は聞いたことがあったが、ほとんど何も知らなかった。この作品で彼のことをたくさんの人に知ってほしい。
Posted by ブクログ
ノンフィクションを読む喜びを最大級に味わった本。厚さが全く気にならない。経歴、時代状況からみて、木村のような選手はもう現れ得ないだろうことを納得させられる。力道山戦などなければ、、、といろいろ考えてしまう。
Posted by ブクログ
自分は、プロレス中継がゴールデンタイムに放映されていた時代に小学生時代を過ごした世代です。
小学校の高学年の頃、クラスの男子の半分以上は熱狂的なプロレスファン。
学級文庫に「プロレススーパースター列伝」が置かれて回し読みし、プロレス雑誌やムックなどを通じて、プロレス界に伝わる歴史や伝説について学びあったものでした。
そんな小学生なんて、21世紀の今になっては想像もつかないでしょうが。
そんな自分にとって「木村政彦」の名前には、正直「プロレスの王者である力道山に挑んで、あっさり敗れた哀れな柔道王者」くらいのイメージしかありませんでした。
ただの柔道王者ではなく戦争を挟んで15年間無敗の無敵の王者であったこと。
「柔道家」の実直そうなイメージとはかけ離れたバンカラ、やんちゃで人間味あふれる人物だったこと。
力道山に先駆けて既に海外でプロレスデビューし、ブラジルでは若き日のエリオ・グレイシーにバーリトゥードで圧勝していたこと。
グレイシーの件はなんとなく耳にしていましたが、この本を読んで初めて知ったことがたくさんあり過ぎて混乱しそうなくらい。
そして問題の力道山との世紀の一戦。
今回、初めてYou Tubeにアップされている動画をみましたが、あまりの凄惨さにショックを受けました。
明らかに「プロレス」ではない。
力道山という「怪物」の底知れない恐ろしさを思い知らされる。
この試合の時点においては、力道山はまだプロレス界の王者であったわけではない。
木村を叩きのめすことで、その地位を確固たるものに固めていった。
一方で、「負け犬」として生き恥を全国民に晒された木村の後半生は、世間から忘れ去られていく。
ところが、この700頁に及ぶ壮大なノンフィクションを通じて描かれる木村政彦の一生は、けっして悲劇の主人公のそれではない。
そう思わされることこそが本書の素晴らしいところだと感じます。
著者の木村政彦に対する思いの強さは一方ならぬものがある。
強さも弱さもひっくるめて、木村政彦という傑出した人物の複雑さも単純さも全てが伝わってくる。
また、本書を通じて、現在の立ち技中心のスポーツとしての柔道が、木村が極めようとした「実戦的な柔道」とかけ離れたものであることを識ることができます。
「力道山のプロレス」にしても「講道館の柔道」にしても、最初っから絶対的な地位にあったわけではなく、戦後という時代の政治の流れの中でその地位に収まったものである。
21世紀の今、そんな冷静な見方で戦後社会を概観できるという点でも良著だと感じます。
Posted by ブクログ
読書期間:2月7日~11日
最近読んだノンフィクションものでは文句なし、No.1である。2段組の700ページという大部であり、3連休をフルに使って読み切ったのだが、読み終わって、何をレビューすべきか迷っているうちに10日以上経ってしまった。
これまで木村政彦といえば、プロレス勃興期に力道山とともに盛り上げた柔道家であり、力道山と互いに戦って一方的にやられて負けた、というイメージしかなかったのだが、そのイメージが完全に覆された。著者が丹念に1次資料を収集し、関係者へのインタビューを行った結果、見えてきたのは、ひたすら強さを求めて、体を鍛え、技を磨き続け、相手を倒し続けて究極のファイターとなった男の姿である。立ち技では高段者でも受け身を取れないほどの強烈な大外刈が決め技で、講道館での出稽古では失神者が続出。また、寝技ではどの体制からでも腕がらみを決めることができ、出稽古で脱臼者が続出したため、大外刈と腕がらみは双方とも禁じ手とされていたという。全盛期であれば、オリンピック王者のヘーシンク、ルスカ、山下泰裕も全く歯が立たなかっただろうというのが意見が大勢を占めており、さらに総合格闘技で最強をうたわれるブラジリアン柔術の世界でも、マサヒコ・キムラの名前は特別に敬意をもって取り扱われている。プロ柔道を引っ提げてブラジルに渡り、ブラジリアン柔術の王者であるエリオ・グレイシーを手玉にとって破っているからだ。ちなみに、その時の決め技の腕がらみのことを、ブラジリアン柔術ではキムラとかキムラロックと呼んでいるそうだ。
木村政彦と関係した人物についても、丹念な取材により明らかにされていく。木村政彦を育て上げた師匠の牛島辰熊、彼は全日本の選士権で実質的に5連覇を果たした最強の柔道家だったが、ついに天覧試合では優勝できなかった、その無念さを晴らすため、木村政彦を最強の選手に育て上げたという。この鬼気迫る師弟関係も見ものである。また、木村政彦を兄と慕った極真会館の大山倍達、そして、プロレスラーの力道山。ブラジリアン柔術の王者、エリオ・グレイシー。作者により掘り起こされた、これら一癖も二癖もある男たちの姿は実に魅力的だ。彼らの人生が木村政彦という強烈な磁場に引き寄せられ、互いにぶつかり合い、交錯し合っていく様子に惹き込まれ、時間を忘れてページをめくっていた…。
実のところ、読み終わった今でも「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という問いに対しては、答えが得られた気がしていない。しかし、暴力団相手の喧嘩で刺されてあっけなく死んでしまった力道山に対して、師の牛島辰熊が自分を育てたのと同様に、拓大の柔道部を自分が経験した内容に匹敵する地獄の特訓で鍛え上げて岩釣兼生という世界チャンピオンを育てあげた木村政彦、このあまりにも対照的な二人の生涯を見るにつけ、木村政彦は力道山を殺すまでもなく、勝負がついてしまっていたように思えてならない。ただ、自分との再戦から逃げ続けて勝手に自滅してしまった力道山に対して、木村政彦の殺意は最後まで枯れることがなかったようだ。最晩年の木村政彦が、作者の増田俊也氏に'あいつ(力道山)は卑怯な男だから、(自分の額に「殺」という文字をイメージして)殺した'と語ったというエピソードに表れている。
作者の増田氏の木村政彦に対する思い入れは相当なものがあり、誇張した表現も多用されているが、読んでいるうちにほとんど気にならなくなった。作者に洗脳されてしまったようだ。少なくとも'格闘技史上最強は木村政彦!'と自分の中では揺るぎのない確信を得るに至った。
Posted by ブクログ
木村の前に木村なく、木村の後に木村なし。三倍努力、負けは死を意味するとまで考えて勝負に臨んできた、鬼の木村である。
そんな最強木村が、なぜ力道山に負けたのか・・・。
18年の歳月をかけて辿り着いた結論に著者の筆も激しく揺れる。途中まではこんなに木村に思い入れてしまって大丈夫だろうかと思っていたが、最終的には著者自身が腹をくくって真実を追求していた。アツすぎて一気にかぶれてしまった。
Posted by ブクログ
私の場合、特に格闘技が好きというわけではありません。この本を手に取ったのは、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したベストセラーであったこと、ジャカルタ日本人会の古本市で50円で売られていたという理由だけです。ところが、読み始めたらやめられず、正月休みで完読してしまい、充実した読後感を味合うことができました。
「木村政彦」という名前はあまり浸透していないと思います。木村政彦は主に戦前に活躍した柔道家で全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、現在においても史上最強の柔道家と称されています。
しかし、戦後、食えない時代にプロ柔道に参戦したこと、さらにプロレスラーに転向して力道山と不可解な試合を行い、無様な敗北をしたため、戦後の柔道界は木村の存在そのものを柔道史から抹殺しまいました。
本書は木村政彦の評伝。「昭和の巌流島」と言われた昭和29年の力道山との試合を中心に据え、木村政彦の少年時代から臨終までを、柔道、プロレス、当時の世相を絡めながら描くノンフィクションの大作です。
著者の増田俊也さんは北大柔道部に在籍していたノンフィクション作家、小説家。増田さんは木村政彦と力道山を「怪物」と断言します。
「柔道家として全盛時代の木村は、まさに戦うためだけに造られたサイボーグであった。(中略)ただただ勝ち続けることを課され、それに応えて完璧なサイボーグ戦士となった怪物であった。大日本帝国が産み落とした怪物であった」
「一方の力道山は、はじめは植民地の朝鮮半島から夢を見て内地日本にやってきた素直で優しい少年だった。だが(中略)差別からくる怒り、自らではどうしようもない国家という化け物に振り回され続ける怒り、その中でもがき続けた」
上の文章に国家をも絡めた、木村政彦と力道山の2人の性格の違いが簡潔に記されていると思います。そして、なぜ2人の怪物が不可解な試合を行い、木村政彦が醜態をさらし、木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのかを、膨大な資料とインタビューから明らかにしてゆきます。まさにノンフィクションのお手本のような本です。
文句なしの★5つ。最後の数ページは目頭が熱くなりました。
Posted by ブクログ
★柔道からの熱すぎる思い★柔道の、木村政彦のすごさを伝えようとする「私」主語のノンフィクション。熱い思いを伝えるには、著者が出てきた方がいいのだろう。幅広いインタビューと資料収集は門外漢が読んでも納得する手厚さだ。力道山が体現するショーとしてのプロレスに、言説の分野で柔道(やアマスポーツ)が負けてきたことへの対抗心にあふれている。そして講道館からもプロ柔道を立ち上げた木村が排斥されてきたことに、二重の反発があるのだろう。
最後に岩釣がアンダーグラウンドで優勝したことを記したのは、岩釣の、ひいては木村の強さを表したかったのだろうが、蛇足ではなかったろうか。相手が誰だったのかいらぬ詮索を読んでしまい、言い訳じみて見えてしまう。
Posted by ブクログ
青春時代の多くの時間を武道に費やしたものとして驚愕の思いで読破しました。
この歳になって武道とは・・・・、強くなるには・・・・。少しわかったような気がします。
自分がやってきたことがいかに未熟であったかを思い知らされた。
木村雅彦の武道に対する真摯な姿勢と豪放な私生活。
時代が彼の人生を翻弄したのか、それとも自ら選んだ道なのか。
読むまではちょっと誤解していた木村雅彦という人が好きになったと同時に、なぜか哀しく思います。
Posted by ブクログ
これは面白いノンフィクション。柔道史上最強と言われる木村政彦。しかしながら彼の名は柔道界では一種のタブーとされている。それは講道館と決別し、プロ柔道団体を旗揚げしたからである。その後彼は力道山とプロセスで相見える。世紀の一戦と言われたその戦いで彼はあまりに大きなものを失う・・・。この人の人生を通して戦前の柔道界・戦後復興を遂げる日本において娯楽であったプロレス・そして今にある総合格闘技の変遷がつながる。個人的に興味を引いたのが、その中で絡んでくる合気道の存在。合気道の稽古に励んでいた大学2年くらいの時に読みたかった。
Posted by ブクログ
決して凶暴な顔ではないが、迫ってくる迫力と冷たさを感じる木村の表紙写真。
勝負でなくショーを演じるプロレスの世界での木村は、この雰囲気ではなかったのだろう。穏やかな表情のそのころの写真は別人だ。
師匠の牛島との息をのむ特訓や破天荒な行動は劇画の世界だ。
合気道を学んだ阿部謙四郎に敗北し、タイミング無用の大外刈りを完成させる。
そして柔道の真の武器である寝技。
しかし最強の男は、ハングリーで武士道とはかけ離れた精神構造を持ち、ビジネスの急所を逃さない力道山に葬られる。
まあ力道山は負けなかっただろう。木村に隙が無ければシナリオ通りに引き分ければいい。油断であったし、グレイシーの言う「後悔すべきは、真剣勝負でない舞台にあがったということ」に言い尽くされる。そもそもが結核の妻の薬代を得んがために、プロレスを始めたことを考えれば悲しいことだが。
しかしながらとにもかくにも魅力的な伝説の男だ。
Posted by ブクログ
この一括りが的確か否か判断し兼ねるほどいわゆる「格闘技」に精通している訳ではないですが、この本は評判以上の出色の出来。必読と言って差し支えなし。
確かに柔術とかそもそもの内容が分からない部分もあるかもしれないが、それを超えた人間の息遣いが聞こえてくる。とにかくこの熱さには誰もが触れておくべきかと思われ。
また、五輪の度にマスコミで白熱する柔道の体たらく論も極めて浅薄な見方であることを痛烈に理解させてくれるところなど純粋なスポーツ論としてもほんと白眉の出来であります。当方如きが言うと嘘臭いかもしれませんが。
Posted by ブクログ
「愛する者が病気で死にかかっている。自分の嫌なことを我慢すれば治せるとわかっていたら、君ならどうする?」
柔道で最強と言われた木村政彦について書かれた本。この本を読むまでは木村政彦を知らなかった。この本を読もうと思ったきっかけも、面白いという評判を聞いたからだ。大変厚みのある本でなかなか手をつけられなかった。序盤は正直あまり面白いとは感じなかった。しかし、それらを超えて読み進め、力道山が出てくる終盤では木村政彦の壮絶な人生が思い出され、心が動かされる。もちろん、木村びいきになる。
なぜ真剣勝負にこだわっていた木村が見せ物であるプロレスに出たのか。途中で疑問に思った。その答えが、最初に記したものだ。自分の信念ではなく、愛を選んだ。大変に豪快で、練習には人一倍取り組んだまさに鬼のような男の一生が描かれている。
Posted by ブクログ
木村政彦と力道山2人の因縁物語だと思いきや、そんな内容ではとどまらない。鬼の木村と言われた柔道界最強の男がなぜプロレスラーに負けたのか。柔道経験者の筆者自身が納得するために丹念に一次資料を洗い、それぞれの出自から解きほぐすというまさに執念を感じる一冊。それぞれの出自だけでなく、柔道やプロレスの黎明期の話についても詳細に掘り下げられており、非常に読み応えがある。これほど筆者の想いが強く伝わるノンフィクションというものも珍しいのではないか。
Posted by ブクログ
天皇御前試合を含むあらゆる試合で15年無敗、伝説の、不遇の柔道家について、調べられる文献と可能な限りのインタビューを元に著された、まさしく入魂の一冊。
木村政彦の子供時代から、戦前の全盛期、戦後のプロレス時代、力道山に敗れてからの放浪時代、拓殖大学師範時代、そして晩年と、話は進んでいく。
柔道やプロレス、空手や総合格闘技の格闘技の歴史書でもあるし、師匠の牛島辰熊、因縁の力道山、弟子の岩釣兼生、さらに最終章では岩釣と関係のあった石井慧まで登場し、世紀を超えた人間ドラマのようにも思える。
本当に強く、人間的魅力にあふれた木村政彦の人生に感動すると共に、本当にすごい本を生み出すことができるもんだ、と著者の力量・努力にも関心した。
Posted by ブクログ
木村政彦という柔道家のことは知らなかった。この本を読んで、柔道のことも何も知らなかった、ということがわかった。現在の柔道の正史は講道館が書いたもの。でもそれは、かつてたくさんあった流派の一つでしかなかった講道館が柔道を支配し、後付けで書いた「正史」。現在のスポーツ化してしまった柔道とは別の、実戦的な総合格闘技としての柔道の歴史。講道館が消し去ってしまった真実を、木村政彦とその師匠牛島辰熊、二人の"鬼"と呼ばれた柔道家の生き様を通じて白日の下に明らかにする。
木村政彦の生き様は凄まじい。こんなふうに生きた人間がいた、ということがすごい。その人生はすごいとしか形容できない。柔道の裏面史とともに、木村の生き様にぐいぐい引き込まれて行く。久々に凄まじい、ノンフィクションであった。
Posted by ブクログ
ラストが「俺たちの戦いはこれからだ」という感じでしみじみした。自然発生的なものと思っていた力道山ブームが、実は周到に作られたブームということに驚いた。木村政彦の霊に黙祷し、もって瞑すべし。
Posted by ブクログ
問答無用の満点。
悪名だかい「空手バカ一代」でも有名なエピソード、「木村VS力道山」で敗れた天才柔道家木村政彦の一生を膨大な資料と関係者の取材で構成した一冊。
男としての生き方、人間離れした練習量、勝利へのこだわり……エピソードの一つ一つが面白く、木村政彦の半生を追う、すなわち昭和の日本を追体験するような構成になっていることも面白い。
ラストの100ページでは木村の余生が描かれるが涙なしで読み切ることはできない。安易に「昔は良かった」なんて言う大人は嫌いだが、破天荒な男たちが暴れまわっていた昭和は今と違う魅力に溢れていたのだなと痛感。
帯に百田尚樹の推薦文があるだけでスルーしちゃもったいない弩傑作。
Posted by ブクログ
もちろん5星、いやそれ以上だ。この本で今まで誤解され誤ったイメージで評価されていた.人も救われる人も多いと思う。その価値は大きい。 マスコミの話や作られたイメージには注意しよう。
それにも増してこの本には根底に愛がある。そのための気の遠くなる期間を要した取材と執念には脱帽である。表層の下には
人間一人ひとりの気持ちと人生があることを肝に銘じよう。
Posted by ブクログ
一般には、力道山にプロレスで敗けた男と記憶される木村政彦。マニアには最強の柔道家として知られる鬼の木村。その木村政彦の生涯を軸としながら、明治以降の柔道の歴史、講道館だけではない柔道の歴史や戦後のプロレス格闘界の歴史を、丹念な取材や資料の分析から追った大作。
武道、格闘技、特に柔道に関わっている人間にはなんとも面白く、またとても勉強になる。とかく虚実入り乱れる格闘技の歴史を裏社会などとの繋がりも含めて丁寧に調べ明らかにしているが、柔道経験者である著者の「木村政彦は最強だ」「真剣勝負なら力道山には負けていない」という思いを証明するために書かれているようなところもあるので、木村政彦関連の話になると思い入れが強くて若干(相当?)偏っている気もする。著者が北大柔道部出身ということで、寝技中心の戦前の高専柔道に関する記述が多く、同じ穴のムジナとしては個人的にとても面白かったが、その高い評価に著者の思いがかなり入っている様な気もする。いずにれせよ、偏って入るけど裏柔道歴史資料として非常に便利な一冊になっている。
タイトルを読んで、「そんなの殺すわけ無いだろ」と誰でも普通に思うが、本書を読みすすめれば最後には「なぜ殺さかなったのだろう?」と思うようになること必定・・・とまでは、正直思えなかったかな。木村政彦は自分に対しては厳しく最強の柔道家・武道家となったけど、人に対しては非常に優しい人間だったような印象を受けた。
Posted by ブクログ
「ゴング格闘技」誌に4年間にわたって連載された大作。史上最強の柔道家、木村政彦の生涯を描く。
木村はまだ学生だった頃に柔道全日本選士権を3連覇、さらに天覧試合を制覇する。戦後はプロ柔道に参入し、ブラジルでエリオ・グレイシーを破る。そしてプロレスラーに転向し力道山と対決するが、卑怯なやり方で倒されてしまう。
高邁な思想家でもあった牛島辰熊と、その弟子でありながらただ勝ち続けることにしか興味のなかった木村。どちらが人間として立派だったかと問われればなんとも答えようがない。どちらが好きかと問われれば、より人間的な木村であるような気もするが、やたら暴力的で欠点も多い木村を手放しで賛美する気になどなれはしない。柔道は超一流であってもそれ以外は不器用な木村が、戦後の混乱の中で道を踏み間違え、利用され、柔道家としての名声を失っていったことは、残念ではある。
そして老いと死は、どんな人間にも訪れる。強さに取り憑かれてしまった木村は、生きている限り敗者の汚名に苦しまざるを得なかった。死は木村にとって救いであったかもしれない。「これでよかったよね」 ── 晩年に木村が涙を流しながら妻にいったこの言葉は悲しいけれど慰めでもある。木村の人生を眺め渡せば感じるだろう、何が幸福で何が不幸か、何が正しくて何が間違いだったかなんて、簡単に決められないのではないかと。
いわゆる格闘技の「アングル」で書かれた本かと思って読んだら、そうではなかった。著者自身、高専柔道の流れを汲む七帝柔道の経験者であり、確かに木村贔屓になりがちだけれど、関係者へのインタビューや当時の新聞記事などの一次資料に基づいて事実をありのままに記そうとしていることが分かる。戦前・戦後の柔道の歴史についての解説も興味深かった。
Posted by ブクログ
タイトルに対する答えは十分ではない。しかし、とにかく力作であり、読み応えは十分あった。柔道とは武道とは。日本一になるためにはどれだけの努力が必要なのか。鬼といわれる人間たちの凄絶さを目の当たりにして驚嘆した。かつて、グレイシー一族の父であるエリオを倒した日本人がいたことに驚きと誇りを覚えた。力道山とのくだりは、お互いの思惑が色々あるのだろう。どちらが油断したか、ということではないだろうか。
Posted by ブクログ
日本が生んだ最強の柔道家「鬼の木村」の人生を中心に、日本の柔道界、空手、プロレスといった格闘技界の歴史と裏事情を書いた、ある意味で暴露本。
ヒクソングレーシーの父で、世界最強の男エリオ・グレーシーに生涯一度の黒星をつけた木村雅彦というとてつもない怪物がいたことを知り、日本人として溜飲が下がった。しかもその映像がYoutubeとかで観れるんだけど、かなり圧倒的だなぁ。大外狩りで既に殺しそうな勢いなんですが...
元来、日本の中で洗練されてきた寝技や打撃(当身)を重視した総合格闘技としての実践的柔道が、講道館が生き残るための政治として「立ち技重視のきれいな一本勝ちこそ日本柔道」という一スポーツに方向付けられ、結果、世界の柔道から実力で離されているという歴史的な背景を知り、なんともいえず残念です。復活してくれ、日本柔道!
しかし、二段組で700ページ...長かったよー。
Posted by ブクログ
現在の日本人の精神性は、完全に戦後のものなんだということがよくわかった。
前半の木村政彦の全盛期と後半のその後の人生に対して語り口が変わるところなど、読んでいて作者の気持ちと一体化してしまう。
自分は世界も時代も知らないなと思う。
Posted by ブクログ
分厚い本である。枕にしてちょうど良い高さになる。読み応えがある本だ。木村に関しては、子供時代に熱中したレスリングで力道山に負けた柔道家ぐらいにしか記憶がなかった。しかし、この本を読んでいかにマスコミにより誤った記憶を刷り込まされてきていたのかよく解った。柔道と柔術の違いも理解できた。
Posted by ブクログ
柔道経験者な為か、総合格闘技を見ていても柔道の寝技が最強というか、必須だと思う。木村対エリオの動画を見たが、当時で、このレベルとは木村最強は過言ではない。
力道山との試合については、力道山の卑怯な遣り口があったとはいえ、木村に勝ってほしかった。おそらくこの試合当時は、木村は世界最強ではなくなっていたのだろう。力道山より上かどうかは別にしても・・・
Posted by ブクログ
前半は怪物・木村の半生、後半はプロレス勃興期に力道山vs木村に至った過程、真相、その後について。
「前半は木村の半生だからプロレス者にとっては退屈かも」と聞かされてたけど中々どうして、全てが面白かったです。
柔道やMMAの基礎知識があった方がより楽しめるかとは思いますが。
ただ、『昭和の巌流島』と呼ばれる力道山vs木村の一戦ですが、正直自分がYouTubeで見た限りでは今一つピンとこなかったです。
途中までは普通のプロレスですし、木村もタイツを直すくらいの余裕がある。
「力道山が木村の急所蹴りで切れた」ということですが、急所に入ったかの真偽は不明としても、その後の顔面パンチや寝ている状態での顔面蹴り、あの程度はプロレスなら普通にあります。
何より、今のMMAを見慣れた人には、それほど陰惨な光景には映らないかと。
筆者は木村を神格化するあまり、プロレスの本質を見失っているように感じました。
細かい用語の間違いなどもありますし。
ただ、柔道の歴史、プロレスの歴史、戦中戦後の時代背景描写、何よりこの時代を生き抜いた怪物たちの伝記としては、本当に面白かったです。
次は力道山側からこの一戦を記したものも読んでみたいです。
Posted by ブクログ
木村の魅力は伝わったしエリオとの対戦は面白かった。ただ著者は木村への先入観があり過ぎだと思う。巌流島の戦いについては力道山側の視点でも読んでみたい。
Posted by ブクログ
著者の木村政彦に対する思い入れが強すぎて、結局は新たな木村政彦幻想が生まれているに過ぎないと思う。
結局のところ、木村政彦は下手クソな三流のプロレスラーだったに過ぎないのだ。ヘーシンクもルスカも敵わなかっただろうというのは、実際に手を合わせたわけではないから、憶測にすぎないし、関係者の証言も、古いプロ野球関係者が沢村栄治に対して語るのと同じ臭いがするのだ。
弟子の岩釣兼生に対する記述も、全日本柔道王者でありながら、不遇の人生を送った岩釣兼生を持ち上げたいという著者の思い入れが露骨に表れている。最後の地下格闘技の王者だったというのは噴飯ものだ。グラップラー刃牙じゃないのだから。岩釣とアマレスの経験があるとはいえ、当時まだグリーンーボーイの域を出なかった淵正信がスパーリングをして互角だったという証言もある。もしそれが事実であれば、モンスター岩釣というのは成り立たない。プロレス側のアングルだと言い張るのかもしれないが、全く事実ではない創作のアングルもあれば、事実に若干の脚色を加えたアングルもあるのだ。柔道家木村政彦は描けていても、プロレスラー木村政彦は描けていない、これがこの本の最大の欠点であろう。ファンタジーも織り交ぜるプロレスマスコミ的手法をとった柔道側から描かれた木村政彦を主人公としたノンフィクションノベルと言っても間違いはないと思う。