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チェリストの黛由佳が放火事件に巻き込まれて死んだ。由佳の自由奔放な演奏に魅了され、彼女への思いを秘めていたチェリストの坂下英紀は、火神の異名をもつ孤高のチェリスト鵜崎顕に傾倒し、「鵜崎四重奏団」で活動していた彼女の突然の死にショックを受ける。由佳の死に不審を感じた英紀は鵜崎に近づき、死の真相を知ろうとする。音楽に携わる人間たちの夢と才能と挫折、演奏家たちの〈解釈〉と〈物語〉に迫る、長編ミステリー。
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Posted by ブクログ
時折、感情が突き動かされる本がある。僕にとって、本書がそうだった。本や映画との出会いは、同じものと触れても、その時々の自分の環境だったり体調だったりタイミングによって受け止め方が変わってしまうものだと思うが、今日この本を読めたことはこの上ない幸運だった。特にこの内容に共鳴する何かが身の回りにあったわ...続きを読むけでもないけれど、後悔や自己嫌悪や挫折や憧憬や希望が混ざり合うこの物語に、なぜかしらひどく惹き付けられた。 まったく素養のないクラシック音楽の世界が舞台にも関わらず、それがかえって新鮮だったのか、とても面白く読むことができた。自省的な主人公 坂下英紀が、翻弄されながらも神秘のベールの向こう側にある黛由佳、鵜崎顕の物語に到達していく過程がとてもスリリングだった。芸術に限らず、人が見て感じているものは自分勝手な「情報」の「解釈」でしかないのでは?それは「錯覚」ではないのか?そこに絶対的な「価値」や「真実」が存在するのか?この命題が僕の心にずっしりと刺さりました。 自分なりの解答に辿り着いた英紀がそこで見つけたものは、一見未来への希望のように見えるけれど、でも僕の「解釈」では、彼が到達したのは「自己満足の達成感」と「偶像化していた由佳への失恋」だったのではないか。 というのは穿ち過ぎでしょうか。
ミステリー(特に死が絡むもの)は暗くてえぐいものが好きなので、その点でいくと物足りなさはあった。でもそれを凌駕するほどの『解釈』に圧倒されてしまった。音楽とは何か、演奏家の演奏はなんなのか、聴く側は一体何を鑑賞しているのか、という問いかけがとても冷たくて、かつてクラシック音楽に携わっていた身からする...続きを読むと、当時自分の演奏にああでもないこうでもないと言ったり言われたりしていたことに果たしてなんの意味があったのだろうか、という気持ちにさせられた。 そしてこれは音楽に限った話ではないと思う。この世の全ての事象、表現する側とそれを受け取る側がいる限り付き纏う。私たちは世界の何を見ているのだろう。全くの私情や先入観なしに世界を見ることはできないのではないだろうか。 読みながらそういったことを考えていると、小説ではなくもはやデカルトについての哲学書を読んでいるような感覚に陥った。 こんな風に重厚な読後感を残せるのは、楽器が他でもないチェロだったから、というのもあると思う。
〈火神〉の異名を持つ孤高の音楽家・鵜崎顕。彼の主催する鵜崎四重奏団で、団員の黛由佳が亡くなったため欠員補充のオーディションが開かれる。学生時代に彼女と親しかった坂下英紀は彼女の死に疑念を抱き、オーディションを受けることでその真相に迫ろうとするが……。 ミステリーだと思って読むと肩透かしを食らう。本作...続きを読むで描かれているのはクラシック音楽や演奏を含めた“芸術”の本質だ。 登場人物の1人が言う。「人間は、何も判らない」。この言葉が繰り返され、すべては〈錯覚〉だとされる。 深い。そしておもしろい。年間ベスト入り確定の1冊。
本の雑誌3月号の新刊めったくたガイド(SF)を読み終えて、何の気なしに次頁をめくったら、推理小説のページに「音楽とは何か」を問う、逸木裕『四重奏』を推す!という見出しに釘付けとなった。いつきひろし?あの演歌の?ではない。「いつきゆう」とルビが振ってあった。そりゃそうだ、予備知識が無ければそう読むでし...続きを読むょう。約三段の解説を読み終えたら、この本を直ぐに手に入れたいという衝動にかられた。これは本当に推理小説なのか?内容が甘利にも次元の高い音楽の話をしている。今まで関わってきた私と音楽との関係を見直すきっかけになりそうなテーマに手が震えた。よほどクラッシック界の実情を御存じなのか?それとも緻密な取材に寄るものなのか?この逸木裕のバックグラウンドが判らないので、もうどうしてよいか判らない。書評だけでこれだけ興奮すると、本を読み終わったら気絶しているかもしれない。因みに『四重奏』とは弦楽四重奏ではなく、チェロ四重奏。 読む前に紙面を使い過ぎた。さて、感想だが、考えが纏まらない。いろいろなことをいろいろ考えさせられる内容だった。本作品の根幹を成すテーマは「音楽とは何か?」、「模倣」か「オリジナリティー」か? まずは「模倣」から考えよう。実は模倣は非常に高度な技術を要する。上手い人、下手な人、音量の小さい人、汚い音を出す人、テンポが一定しない人等々、それらの人の多様な音を再現するには、自分の音と相手の音の差をなくすこと。お笑いものまねタレントが本人と全く同じ動き、全く同じ声を出し、体形・表情・衣装を限りなく同じにするには涙ぐましい努力が必要だ。しかも一人だけではない、100人以上のものまねができる人もいる。世の中には特徴を掴む能力に長けたがいる。鵜崎が求めるのはそれに近いレベルだ。私も学生時代から楽器を演奏しているが、まずは有名奏者のまねをする所から入る。ベルリンフィルの首席と同じ音が出せるよう何日も徹夜で技術を磨いた。頭の中で一流奏者の響きが常に流れていればゴールは近い。 そして、次の段階が「オリジナリティー」だ。実際は、本書で書かれているように「模倣」と「オリジナリティー」は対立するのもではない。「模倣」の次に「オリジナリティー」の追及が来るのだ。様々な演奏の模倣ができるようになると、模倣した複数の演奏から取捨選択、良いとこ取りをする欲が出てくる。どの演奏にこの演奏をこの程度加えると言った香水調合の様な検討を行い自分自身特有のスタイルを確立する。これがオリジナリティーの追求だ。 そして最終段階が「アンサンブル」だ。勿論一人ではアンサンブルは成り立たない。二人以上人が集まって演奏すれば、ここからアンサンブル力が必要となり、時間と人をかけてアンサンブル力を磨く必要が出てくる。鵜崎の四重奏団は模倣とアンサンブルに特化し、オリジナリティーは徹底的に排除するといった歪な合奏に位置づけられる。プロアマ問わずこの3つができていれば音楽を楽しむ権利を得られる訳だ。鵜崎、可哀そうな奴。 本筋とは離れるが、ブルックナーの交響曲第9番を指揮する巨匠神山多喜司は、明らかに朝比奈隆のパロディだ。この皮肉は良く分かる。鵜崎・坂下は巨匠の化けの皮を心の中で剝いだだけではなく、神山(朝比奈)の狂信者に対して冷たい戦闘行為を繰り広げているのだ。テンポが遅ければ遅い程良いのであれば、チェリビダッケの演奏を死ぬまで聴けばよい。 要は、この作品に出てくる中途半端な登場人物達には「模倣」、「オリジナリティー」、「アンサンブル力」の3つのうち、いずれかが欠けている。例え、3つ全部を手にしたとしても、その時に人生の破滅、音楽の破滅・熱的死が待ち受けているという皮肉。 もっと掘り下げて考えたいが、文字にするとマイナス思考に陥ってしまうので、この辺で終わりにしたい。本作品はジャンルが推理小説ということだが、最後のどんでん返しがショボすぎて盛り上がらないまま終わってしまった。中山七里レベルまでは求めないが、華麗なネタばらしを次回は期待したい。最後に私としては、本作品は音楽小説としては最高峰に位置づけている。
音楽ミステリーだけではなかった。 挫折や目標、やりたい音楽と向き合う人たちの事や、関わっている人間の心理描写が色々と考えさせられる。 四重奏の世界にのめり込みました。 面白かった。 作中に出てくるクラシックを聴きながら読むと この事か。と理解が深まる気がしました。
部活や習い事でクラシック音楽の世界に片足突っ込んでいた私にとっては、内省的でとても響くテーマでした。火事で亡くなった知人の謎に関して言えば、結構あっさりめなので、ミステリー分野として手に取ると、退屈に感じるところがあるかもしれません。 YouTubeを開けば、再生回数による良し悪しも測れるし、他人...続きを読むのコメントも、いいねの数も、指標になる。「私の感覚間違ってないよね?」と知らないうちに示し合わせていたかもしれないなと考えさせられた。名演奏に模倣も錯覚もきっとあると思う。それでも、いくつもの時代を超えて伝わってきた曲・作曲者が込めた思い・有名演奏者によるドラマ・聴いている自分、もしくは弾いている自分が繋がった奇跡をまた丸ごと楽しみたいとも思った( ・`ω・´) 『どこまでも美しい音楽の向こうに、グロテスクで巨大な徒花が一輪咲いている。極限まで澄み切ったモーツァルトは、頭がひとつで肉体が三つの怪物のみが奏でられる音楽だった。』 2025.5
逸木裕なのでミステリとして面白いのはもちろんなんだけれど、音楽ってなんなのかなあ、とかちょっと考えちゃったり。そこに悩むのが芸術とエンタメの狭間にいるクリエーターの宿命なのかもね。
音楽だけじゃなくて、解釈して錯覚してる事なんて沢山ある訳で、なんだか共感してしまった。 読んでるこちらも取り込まれてる気分。
音楽家の苦しみ喜び、その人生の一部分を書いているところがとても面白かった。 オーケストラで弾く一チェリストが、オーケストラの他の楽団員をどんなふうに見て捉え、後ろから聴こえてくる音がどんなふうに聴こえているのか、なども興味深く読んだ。 ある天才的技巧を持つ鵜崎というチェリストは、「人間は音楽なんて...続きを読む理解していない。すべて錯覚だ」と言う。人々が魅了される演奏とは、よい演奏の模倣と、演技力や先入観による「錯覚」を上手く使えば出来上がるとする考えかた。 主人公の英紀も、鵜崎のこの考え方にはまっていきそうになる。そして、それを読んでいる私もはまっていく。この考えに同調すると、全てが無意味に思え、人間不信が加速してしまう。 物語の最後には、そこに希望を持たせて、例え各々が一部分ずつしか解釈できないとしても、そして、その解釈が本当かどうかはわからないにしても、解釈しようとし続ける、対峙し続けることが大事と向かわせる。 しかし、鵜崎の言葉を知る前の自分にはもう戻れない気がする。おそらく、鵜崎の言っていることの方が真実に近いと思っているからだ。ただ、それが真実だから仕方がないと完全に閉じて生きて演奏していくだけの強さは私にはない。 音楽って何だろう?と改めて考える。楽しい、励まされるなど言っている人をよく見かける。私は楽器を演奏するが、正直、楽しいとか、力をもらえるとか、慰められるとか、よくわからない。多くの曲は、すぐ飽きてしまいその良さをわかりきれない。流行りの音楽はうるさいと感じる。同じ演者が演奏していたら、あっという間に飽きてしまう。(ただ、数人の奏者だけは一音一音聴き惚れてしまう。そういう演奏家を巨匠というのか、と思っている)自分がとても時間をかけて練習し向き合った曲は辛うじて聴いていて興味が続くが…。 ただ、かなり稀に、他では得難い言いようのない高揚が訪れることもある。 音楽をやっていると、正直苦しいことの方が多い。正解のないものに永遠と向かい、その曲を一応区切りとして練習し終える時は、辿り着けないところを諦めるしかない。 こんな苦悩を、ややミステリーを混じえ描いていた。終わりは好きではなかったが、それ以外はかなり面白かった。
分からないじゃなくて、理解しようと試み続けるのがきっと大事なんだと・・・ 甘いものに目を奪われ、誘蛾灯に飛び込まないように気をつけないとダメですね。
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