王者の妻 下 豊臣秀吉の正室おねねの生涯
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王者の妻 下 豊臣秀吉の正室おねねの生涯

小説・文芸
990円 (税込)

4pt

4.7

天下人となり、以前とは別人のようになった秀吉の姿に、妻おねねは深い孤独を感じる。秀吉の死後、豊臣と徳川の対立に心を痛め奔走するが、ついに豊臣家は滅んでしまう。戦国の乱世をたくましく生き抜いたおねねの生涯を描いた傑作長編。

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王者の妻 下 豊臣秀吉の正室おねねの生涯 のユーザーレビュー

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感情タグBEST3

    Posted by ブクログ

    子供の頃は豊臣方vs徳川方だと言われながら、でもどっちにも豊臣の旧臣いるじゃんと思ってましたが、
    おねねvsお茶々の観点で関ヶ原の戦いを捉え直すとかなり腑に落ちる。でもかなり昼ドラっぽいから諸説あるんだろうなとは思う。
    著者の別の作品「歴史を騒がせた女たち」でもこの部分は言及されており、当時も面白いと思って読んでいたが、改めておねね目線で観るとより人間の情緒も相まって背景への納得感が強い。
    小早川秀秋のキャラクターとか動きとか、なるほどへえ〜って感じ。

    秀吉の狂いっぷりを冷静に客観視できていた人、当時はおねねしかいないのでは?
    秀吉の側で政争のどろどろを垣間見たり、側室どうしの女の闘いに巻き込まれたり、いろんな苦労をしたからこそ肝が据わっていろんなことを達観できるようになったのかな。
    遺されてから孤独になっても、そばを離れようとしない人たちや、いざという時に助けに来てくれる人たちに囲まれていて、人柄だなあ。

    0
    2026年02月15日

    Posted by ブクログ

    大昔の女の武器は「美貌」と「妊娠能力」だったという。整形や不妊治療もない戦国時代には、こういうことが運頼みだった。努力ではどうにもならないものだからこそ、女の僻みは強烈だったとも言える。永井さんならではの面白い視点だなと思った。

    関ヶ原の合戦は「おねね(東軍)」対「お茶々(西軍)」の代理戦争という見方も言われてみれば納得できる。庶民の出らしく時勢を読んで順応していった「おねね」。一方、家柄を誇りに完全に時勢に乗り遅れた「お茶々」。20年も経てば時の為政者も代わる。戦国時代とはそういうものだから。秀吉の2人の妻の生き方は分かり易いくらい対照的だった。

    0
    2024年05月11日

    Posted by ブクログ

    秀吉の正妻・おねねの生涯。後半。

    秀吉は、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家に勝利し、安土城を上回る巨大な大坂城を築き、天皇に近づいて、ついには関白に。
    おねねも、北政所と呼ばれる立場となり、宮中とのやり取りを一手に引き受けることとなった。
    この数年の間に、実は、おねねの人生を揺るがす事態が着々と進んでいた…

    京極家の龍子が本能寺の変の後に側室となり、他にも事後承諾でじりじりと側室が増えていく。
    浅井三姉妹は、秀吉の庇護下にあったが、おねねは直接関わってはいなかった。
    末のおごうにちょうど良い縁談があると聞かされ、後に次女のお初は京極高次に見初められた。京極家は名門だが没落していて、高次は三姉妹の従兄で龍子の弟でもある。
    長女の茶々が秀吉に輿入れし、さらに男児を生んだ。実子のいない秀吉は狂喜する。
    跡継ぎが出来たと、家臣らも競って祝いに訪れた。
    おねねは、騒ぎ立てたり、事を構えたりはしない。が、一人、孤独を噛み締めた…

    従一位という官位も得ている正室の立場を秀吉は尊重し、嫡男としておねねが育てるように、一度は定まった。
    だが、淀どの(茶々)が引き取りたいと言い出したら秀吉は負ける。その後、はかなくなってしまうのだが…
    後に秀頼が誕生し、今度は育って行った。
    おねねの采配する仕事は多く、面倒を見た子供達も育っていく。その信頼関係に救われる日々。
    だが、秀吉の言動が常軌を逸して行くことに、早くから気づかざるを得なかった。

    関ヶ原は、淀どのとおねねの代理戦争という見方さえ、成り立つ。
    実際には、おねねは積極的に動いた形跡はないそうです。
    家康とは敵対してはいないが、親しいほどでもなかったと。
    秀吉に与えられた領地を安堵され高台院も豊かだったが、大坂に入らないように見張られていたらしい。
    大坂の陣の前には、大坂城に行こうとしたのを、家康に阻まれた記録はある。
    何らかの説得を試みようとしたのではないか。

    血筋、出産、寵愛など、当時の女性は、戦乱の中でも競わなければならなかった。
    特に男児を生むこと、育て上げることは、自分の努力だけではどうにも出来ない。
    それでも、おねねは危機を乗り越え、穏やかな晩年を過ごし、長寿を全うした。
    そこに、救いを感じます。
    人柄の良さが開いた道筋ではなかったかと。

    0
    2026年08月03日

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