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「マルクスを読むように漱石を読んできた」と自ら語るように,漱石はつねに柄谷行人の思考の原点であり続けてきた.群像新人文学賞を受賞した代表作「意識と自然」(1969年)から90年代に至るまでの著者の漱石に関する評論,講演録,エッセイ等を集め,その思考の軌跡をたどる.多面的な切り口からせまる,漱石論の決定版.
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Posted by ブクログ
漱石の写生文についての論考に刺激を受けた。 柄谷は、漱石の写生文がやがて小説に発展すべきものとみる見方を退ける。そうではなく、漱石は近代小説の終わりから出発したのだと。ローレンス・スターンを日本に紹介したのは漱石だが、漱石にとって近代小説はスターンで終わっていた。そのスターンはイロニーが発生する時点...続きを読むに、それと対立する精神態度としてヒューモアを描いた人である。 漱石がロンドンから書き送った「文」に、まさにこのヒューモアが描かれており、柄谷は次のように評する。 「これは西洋人のなかに混じって劣等感に打ちのめされているときに、そのように『おびえて尻込みしている自我』に『優しい慰めの言葉をかける』ものだといってよい。それは、知らぬ間に優劣および優劣にこだわる自意識を無化してしまっている。」(p.343) 漱石における写生文において、「優しい慰めの言葉をかける」ようなヒューモアは、ナレーターとして現れる。写生文におけるヒューモアは、「おびえて尻込みしている」ような諸々の自我のレベルを往還しうる能力なのだ。 「ヒューモアとは、すでに終わっているにもかかわらず、あるいはもはや終わり(目的)がないにもかかわらず、書きつづけ闘争しつづけることではないのか」(p.353) 病的なものを誇示したがる文学者とは違って、漱石が読者をたえず解放させる力を持っていた理由がここにある、と柄谷は言う。
めちゃくちゃおもしろい。 柄谷行人の仕事ってNAMとかやってるのしか知らなかったけど、もともと文芸批評で世に出たわけで、本来はこっちがメインなんだよな。 しかし、柄谷行人をしても、『三四郎』での美禰子の恋愛の対象は三四郎という解釈になるのが不思議。どう読んだってそうじゃないだろうと思うのだけど、そ...続きを読むれが多数説だというのからよくわからない。
柄谷行人 「漱石論集成 」 漱石作品の批評集。 漱石小説において、他者との葛藤が提示され、他者との関係では解決できない自己の問題に転換され、自殺か宗教か狂気かで終わる〜漱石は表象、言語化できないものを言語化しようとした 従前の漱石論とは異なる視点 *漱石作品を「明暗」を頂点とする発展過程として...続きを読む読むべきでない *初期と後期を区分しない〜漱石の文学観は変わらない *則天去私の境地は単なる神話にすぎない *漱石が三角関係を経験したか否かは関係ない〜漱石は あらゆる愛は三角関係にあると考えているだけ *漱石は 近代小説に適応しなかった〜漱石は 小説より文(写生文)を書き続けた 漱石は何を見て、何を考えていたか *心理や意識を超えた現実 *私はどこから来て、どこへ行くのか〜自己を他者としてでなく、自己の内側からみようとする *自己存在の無根拠性
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