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内憂外患の激動期。松陰はついにアメリカ密航を決意した。1854年3月28日早暁、めざすは下田沖に停泊中のペリー艦隊。松陰は盟友金子重之助と共に勇んで小舟を乗りだした……。日本を憂い、自ら維新の起爆剤となって行動し、30歳で散った変革期のリーダー吉田松陰の生涯を描く。完結篇。
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Posted by ブクログ
吉田松陰の後半の半生記。 吉田松陰の尊皇攘夷は生半可なものではない。その後の日本を大きく突き動かす原動力になるこの考え方は現代でも学ぶ価値が大いにあるように感じます。 ただ単に外国人を倒し、天皇にお仕えするだけでは本当の意味での尊皇攘夷ではありません。 “日本の日本たる所以は、一君万民の理想顕...続きを読む現の中にしかない。この理想がなければ、日本人はただの東海の一列島の土民に過ぎないのではないか。” ※本著より引用 日本人が日本人たる為に、その時代には尊皇攘夷が必要でした。グローバル化した現代、日本人が日本人たる所以はどこにあるのか、日本という国の存在意義はなんなのだろうか。そんなことを考えさせられる吉田松陰の生き様でした。
帰らじと思いさだめし旅なれば ひとしお濡るる涙松かな 日本の国のため、命懸けで純粋に生きた、吉田松陰。 その最後も、ぶれることなく、ただただ純粋に、国のことを訴えて、死罪となりました。 無駄死にと思えるかもしれませんが、この松陰の死が、弟子たちに火を点け、幕末の長州の活躍を招いていったので...続きを読むす。 バカ正直とも思える程の純粋な、大和魂。 読みながら、涙しました。 弟子の品川弥二郎に贈った言葉。 「弥二か、勉強せよ。お前をこの世に遣わしたのは神仏じゃ。そう思って、決してわが身を粗末にするな。・・・どんな困難な立場に立とうと、各自の役目を忘れずにつとめてくれよ」 自分に言われているような気がしました。
●天地の営みに挫折はないのだ。挫折のない天地の心を、わが心として生きること。人は天地の心にそむかざれば栄うべし。 ●天地を造ったものは神。神から天地、天地から祖先、祖先から両親、両親からわが身と伝わった体内には、神の霊気、天地の霊気がそのまま宿っている。言い換えれば、わが身は神の分身、末裔。それに至...続きを読む誠の限りを尽くしていけば、必ず神も感応しないはずはない。「天佑神助」「至誠通神」 ●人間は一度死ななければ話にならぬ。 死線を越えることによって死の恐怖から解放されたものをさす。死の恐怖から解放されたものは、つねに正しいと信ずることを堂々と主張し実行できる。 類語:世の中に金も名誉も、生命も要らぬ奴ほど始末に困るものはない。しかし、それでなければ本当の大事は語るに足りない。
思想家であり、激しく短い人生を送り、明治維新に多大なる影響を与えた吉田松陰の生き様に触れられます。 この本で感じる事は、「真面目とは行動する事である」という。一直線に生きた松陰の生き方には感銘を受けます。
吉田松陰の後半生。 前半生で得た思想・知識をどこまで熟成させて、松下村塾を運営したのか、あたりをハッキリさせにいきたかったが、結論は、学者バカで、明治維新の精神的指導者などとはほど遠い。明治政府内の長州出身者が持ち上げただけの、二流教育者であるということが分かります。 なぜなら、吉田松陰は、 理...続きを読む屈では動かぬ現実に腹を立てているし、 日本を想うといって、暴力革命(討幕)に教え子を導いたのだとすると、 それが「大和魂」「日本の国体」を深く探索した思想などとどうして言えましょうか。 最後に、幕府に収攬されるとき、「孟子の教えを試してみたい」というようなことを言っていますが、これがつまり、学者バカ、というものです。
吉田松陰が今の日本の政治を担えば間違いなく日本は大きく変わるな。いや松蔭に着いていける日本人が今はおらんだろうな。
吉田松陰の生涯を描いた山岡荘八著書の2巻目(最終巻)。黒船に乗ろうとして失敗するところから、安政の大獄で斬首されるまで。 松下村塾や野山獄の「教育者」としての描写は若干あっさりしていて、少し残念。 『あらゆる面で「真理」の証明に応えるような人生を志して止まなかった、凄まじい彼の良心は、まさに「神」そ...続きを読むのものといってよいほど「高貴な清純」さと底抜けの「善意」に支えられている』 以下引用~ ・佐久間象山と先代(真田)幸貫の関係は、薩摩の西郷隆盛と島津斉彬、水戸の藤田東湖と徳川斉昭、越前の橋本左内と松平慶永などの間に劣らぬ、切っても切れない君臣一体の関係だったが、松代藩ではそれに快からぬ老臣たちが多かったのだ。 ・彼はできるだけ塾生の寝食は、師と共にすべきものとして、今日の全寮主義を理想とした。 ・松陰の教育に階級的なこだわりなどは、みじんもないのがわかるであろう。 ・教育とは、おのれの魂を教え子の中に伝え移して活かすことだ。「肉体は私、心は公」 ・「至誠にして動かざるものいまだこれあらざるなり」
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