第2次安部政権の下、執念のごとく押し進められる憲法改正議論は,連合与党の公明党にさえも決断を強いる、あまりに性急な議論としか思えない。
本書は早稲田大学法学部水島研究室において学ぶ学生達と水島教授のゼミナールを元に、解説・論考を加え、憲法の意味を今一度問い直すもの。取り扱うのは固い内容だが、学生達
...続きを読むの対話から一緒に考えることができ大変面白い。
改めて憲法は何のためにあるのか、これを守るべきはだれか、守られているのは誰かと問い直されると、我々が日常として理解してきたことの曖昧さ、ジャーナリストでさえ時に議論の視座を見失っていることが明らかになる(政権の担当者でさえ、大いなる勘違いなのか、恣意的な解釈なのか)。
憲法の存在を「立憲主義」の視点から考えるとき、これを遵守すべきは政府、政治の暴走により、過去多くの国が過ちを犯し、自国、他国の人々を苦しめてきた。これを制限する知恵の集積が憲法。
憲法を変化に応じ変えるべく議論をしていくのは必要であろう。しかしながらそれは為政者のためにあるのではなく、国民のためにあるべきだ。かつ、数の論理でも犯されてはいけない、個人の生きていく権利を守るためだ。
「国民の過半数が憲法改正を望んでいる」というジャーナリズムの意図的統計数値にも注意すべきだ。「多くが正論を語るとき、自分の頭で考えよ」とは、他界された筑紫哲也氏の次世代へ残されたことば。