白石隆の作品一覧
「白石隆」の「海の帝国 アジアをどう考えるか」「コロナ直撃 世界激変」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
「白石隆」の「海の帝国 アジアをどう考えるか」「コロナ直撃 世界激変」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
東南アジアの国家の成り立ちから20世紀末のアジア通貨危機を経た現在(執筆時)までの流れを考察した本。とても面白かった。もとは中央公論連載ということで、読みやすかった。しかし、著者自身の研究と他の研究もベースにして、時代の流れに沿って整然とまとめられている。
自分にとってこの本の魅力は、ぼんやり知っていた歴史の流れに、納得のいく原因の説明と、(西洋本位の歴史観により隠されていた)意味が明らかにされたことにある。なんとなくモヤモヤしていたところが明確になったと目が覚める気がした。
各時代ごとにインドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシアなどの違いと原因をきちんと説明している点がさらに良い点であった。東南アジア十把一絡げみたいな説明ではない。
従来は著者の言う通り、東南アジアの専門家など存在せず、一国の専門家が東南アジア専門家と名乗っているだけだったので、一国ずつの歴史しか読めなかった。本書のように概観することは学術書では難しく、入門書ではツッコミが足りないことが多いので、この本に出会って本当に良かった。
本書の出版より四半世紀たっているので、東南アジアの事情も研究の状況も大きく変わっているだろう。
新しい良書に出会いたい。
以下、我流解釈によるメモ。(本書に書かれたままではない)
・イギリス流民族分断によるコントロール手法:さまざまな人が中国、インド、アラブ、ボルネオ、セレベスその他から来ている。オランダ語を話せない混血オランダ子女も。まったく〇〇人という自覚のない人々は、上からの国家形成によって〇〇人の枠に分けられた。例えばシンガポールで民族ごとに住む区画を決められ、移動させられた。これにより民族ごとの統計を取ることが可能になり、格差が目に見えるようになった。もともとなかったマレー人というカテゴリが規定され、これがマレー人優遇政策の始まりとなっていく。
・中国人は苦力も多いが長く土着して繁栄する者、ヤクザのようなネットワークを持ち本国と太く繋がっている者もいる。英国がこの地で儲かるシステムは主に中国人のアヘン取引に依っていた。中国系の人々がいなければ成り立たなかったようである。マレー人はアヘンを売られることで搾取されていた。
・英国とオランダによる東南アジア支配は日本の占領により解体された。
・各国が独立したあとの政治は「開発独裁」であった。実際に覇権を握っていたのは米国である。日本は二番手として援助資金を注入し、開発独裁を支えた。国民の国民としての意識は低く、民主主義は正常に機能しない。統治する側の身内びいきや腐敗により国民の期待を集めることもない。
・米国は留学生を招きテクノクラートに育てて政府に入れた。留学は自分たちと思考方法・価値観を同じくする人間を作るのに大変有効である。
・アメリカ主義。アメリカナイズは文化だけでなく政治も握る。
名著だと思います。
イギリス帝国がアジアにどのような秩序をもたらそうとし、それはどのような帰結を生んだのか。分かりやすく記されています。戦後はアメリカが東アジア〜東南アジア地域に強い影響力を持ち日本を軸に「海のアジア」と呼べる地域を繋げる意図を持っていましたが、基本的な発想はイギリス帝国と大きく変わらないようにも思います。
濱下武志先生の『香港』などと併せて読むと東アジアと東南アジアが別々の地域などではなく広東省や福建省、香港や台湾を軸に今も密に繋がってることが理解できるのではないかと思います。
Posted by ブクログ
東南アジアをシステムとして動態的視点から描き出した良書である。筆者によれば東南アジアとはアンダーソンのいう「想像の共同体」にすぎず、具体的に指し示すことができないものである。なぜなら、タイ史、ベトナム経済史など、東南アジアを構成する数々の国にまつわる諸説をひとまとめにしたとしても、「東南アジア学」として昇華されないからである。従って、この東南アジアをモデル化しなんらかの学説を唱えたいのであれば、それをシステムないしプロセスとして捉え、誕生から消失までを動態的に描き出す必要があるというのが筆者の主張である。
東南アジア諸国を歴史的な時間軸に当てはめて考えた場合、最終的に抽象化される概念は「多層性」と「開放性」であろう。かつて19世紀初頭の東南アジア諸国において、現在使われている●●人といった呼称は用いられていなかった。当時の東南アジア諸国は王の力を中心とした不明確な範囲によって区切られており、現在の国境線が示すように具体的な範囲を持つものではなかった。つまり、王国を統治する王の力が弱くなればこの範囲は相対的に矮小化し、逆もしかりだったのである。この世界において国家と民族的なカテゴリーは存在しない。当時の東南アジアでは●●人という呼称は単に文化的なものを示す言葉であり、現在のように運命的・先天的なものではなかったのである。しかし、このシステムはヨーロッパ諸国の植民地化によって激変することになる。まず植民地化によって王国は廃止された。このため、東南アジアという地域に具体的な国境線を持った国々が誕生していく。そして、そのように具体的な国境線によって区切られた内部に対しても、ヨーロッパ諸国は制度変革を行っていく。それはすなわち、民族的カテゴリーの形成であった。ヨーロッパ諸国は植民地統治をより容易にするために、植民地が内包していた多様性を、民族的カテゴリーを複数形成することによって管理したのである。これが東南アジアにおける複合社会の始まりであった。
このような統治のあり方はスコットが主張した概念を用いるとsimplificationされたものだということができる。彼の主張に乗っ取れば、国家は統治を容易にするために国民が持つ多様性を無視し、画一的に扱うのである。このようにsimplificationが進展していくと国家と画一化された国民との間に乖離が肥大化していき、最終的には統治政策の失敗を引き起こすというのがスコットの主張であった。
東南アジアではこのように、植民地化によって上から「人為的に多層化」され、また他の様々な植民地から影響を受け、近代国家として形成していったのである。このような近代国家の形成過程における特徴は、東アジアにおける近代国家の形成過程と比較するとより顕著になろう。すなわち、日本では欧米を目標として上から近代国民国家形成がなされ、それは閉鎖的なものであった。この特徴は中国においても指摘できる。このように見ると、東南アジアの近代国民国家形成は「多層性」と「開放性」が特徴であったということができるだろう。
スコットはsimplificationによる国家と国民の間のギャップの問題を指摘したが、東南アジア諸国においてはどうだったのか。それは、これらが独立を勝ち取り、近代国民国家を形成していく中での「ナショナリズム」の問題として指摘されよう。独立後の東南アジア諸国においての最大の目標は強力な国民国家の建設であった。しかし、そこにあるのは旧宗主国によって人為的に形成された民族的カテゴリーであった。従って、独立当初の東南アジア諸国は国民国家形成に必要である「ナショナリズム」を生み出す原動力を欠いていたと言えよう。このような組織をまとめるために、強力な中央集権体制、いわゆる開発独裁が独立後の東南アジアの多くの国で誕生したことは必然と言えよう。
このように、以上のような歴史的経緯を持つ東南アジア諸国が持つ「多層性」と「開放性」という特徴は、本書のタイトルが示すとおり、「海の帝国」という様相に関連付けて考えることができるだろう。