佐々木紀子の作品一覧
「佐々木紀子」の「米国の医学博士が伝授する 人生を変えるコーヒーの飲み方」「神は俺たちの隣に」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
現実的では無いけどスリラー作品としては面白かった。
海外の作品としてはかなり読みやすい。
序盤からアデルのヤバさがひしひし伝わってくるけど最後の最後でこうなるとは。
デヴィッドが不憫すぎる。
ちょっとした振る舞いがイケメンでちょっとメロかった。
後半で読者はアデルに問題があるって気づいてるのにルイーズがデヴィッドの方に問題があると思っていてちょっともたつくところがもどかしかった。
読む手止まらず。
夜驚症という問題から幽体離脱と何かあるのかなと思ったら。
アデルがルイーズの体へが最悪すぎると思ったらまさかのアデルの体にはロブがいたというどんでん返し。
確かに妊娠中絶の理由が気になっていたけどロブにしたらまぁ納得がいく。
現実的に考えるとそうした問題を抱えた人が集まっている場所でアデルとロブが出会うのは納得がいくけどルイーズまでもとなると難しいかな。
ルイーズは普通にデヴィッドのせいではある。でもバーで出会わなかったとしても秘書としての仕事の中で仲良くなっていく可能性はあるので時間の問題?
ラストについてもロブがアダムを殺す気満々だし、イアンもワンチャンありそう。
デヴィッドはデヴィッドでアデルがロブに入れ替わったことに気づいてないのでこのままの可能性があるからワンチャン幸せ?
続編欲しいけど悲しい未来しか見えない。
猫の殺し方が酷すぎて辛い。
登場人物メモ
⚪ルイーズ
精神科医秘書。デヴィッドとキスをしてしまった翌日に自分の上司として現れる。イアンという元夫との間にアダムという息子がいる。デヴィッドの妻アデルと偶然出会い仲良くなる。
⚪デヴィッド
精神科医。仕事場と家で雰囲気が異なる。緑に対しての反応。
⚪アデル(アデル・ラザフォード=キャンベル)
猫を殺して埋めた?両親を火事で亡くした際にデヴィッドが助けたが、寝てた際に両親をなくしたことで眠らなくなり、弁護士とデヴィッドからセラピーセンターに入れられ男の子と出会う。ロブ?色々事情がありそう。ルイーズに偶然を装って近づく。何かを始めようとしている。
⚪ロブ(ロバート・ドミニク・ホイル)
かつてのアデルの友人。
Posted by ブクログ
「これは原因と結果の、地球上のすべてのもの、すべての人の相互のつながりについての物語だ。共感と理解、相手に耳を傾けること、正しい問いかけをすることについての。」
帯や裏表紙のあらすじには「サスペンス」、帯裏のコメントには「犯罪小説」という言葉が使われていて、それも目当てで手に取った扶桑社文庫の一冊。
サスペンスで不安や緊張感に脅かされ取り戻そうとするのは平穏だと思っていた生活で、犯罪小説で解決しようとするのは事件や問題と同時に、というかそれ以上に自らの人生なのだけれど、もし、その物語の語り手が「神?」なのだとしたら、あるいはそう書こうとしたなら、そこで取り戻そう(やりなおそう)と、解決しようとするのは、人々それぞれの生活、人生を含むこの「世界」そのものなのかもしれない。矢継ぎ早に、詰問されているように放たれる、この世界、そこにある、あったはずの今では「制観不能になったヒューマニティ」についての問いを読んでいるうちにそんなことを考えてしまう。
「人生で、引いて見るということをしたことがあるか?自分が話すより、人の話を聞こうと? この十年でそれが難しくなってきたか? オンラインで気に入った写真やステータスを見つけて、ダブルタップする前にちょっと手を止めて、この行為が何意味するかと考えてみたことは?」
現在失われつつあるように思われる、善意や良心、思いやり、理解に共感。それらを覆い隠すように拡がっていく悪意や無関心。世界にかかる“闇”。そのなかで行き着いてしまう暴力と恐怖、テロリズムについての問いかけ。オリジナルは2022年リリースの作品に書かれているものは現在でもリアリティを持って感じ、考えざるえない。思い当たることも、勿論ある。これはたしかにわたしにも問われる「正しい問いかけ」だった。付箋も乱立する。
それでも「神?」が語る人々の人生には闇と同時にその中に垣間見える光、善意や良心の行動があった。その光は後半にいくにつれフィクション度が高まっていく気はする。それはもう今や善意や思いやりはフィクションじみてきてしまった、ということかもしれないけれど、それでもそれを書くことは重要なんだと思う。それが書かれることも含めて、まだ、先のまったく見えない暗闇ではないのだ。多分ギリギリで。
「光と闇は別々の存在ではない。二つが交わりそして互いのほうにしみ出している点があることが多い。同じことが終わりと始まりにもいえる。」
そういうことだ。闇は完全に晴れることはないけれど、光も消えることはない、と思いたい。グレーは白にはならないけれど、それでもわたしも善意や良心、共感に理解を忘れないように意識したい。「ヒューマニティのアイデアをもう一度試そう」、とそんなことは意識せずに手に取った小説、意外なところから思わされたのだった。また大袈裟なことを書き始めてしまった、とも思うけれどわたしは“正しい”人間ではないし、本からゲットしたものたちもすぐ忘れてしまいそうになるから、やっぱり書き残しておきたい。
途中からは新潮クレスト・ブックスとか白水のエクス・リブリスからリリースされている“海外文学“を読んでいるような気がしてきた。そんな読み心地。ドライブする口調、スピットする質問をしっかり再現しているぽい翻訳もかなり良かった。
「もし神が諦めたのなら、「彼」の創造物である人間が諦めていけないことはなかろう。」
それにこれは決定論と自由意志の話でもあった。幾つかのシーンでも思い浮かんだのだけれど、そう気がつくとテッド・チャンの幾つかの短編を鮮明に思い出したのだった。エピグラフのサルトルの「地獄とは他人のことだ」とテッド・チャンの短編のタイトル「地獄とは神の不在なり」(favoriteの一編)は、ちょっと繋がるものがある気もする。しないですか?
サスペンスとか犯罪小説、それにSFとも言えそうだけれどこれはジャンル小説というより、「文学」と言いたいし、かなり凄い小説にような気がしてきた。そうか、トンプソンやケッチャム、コーマック・マッカーシーの「血と暴力の国」をリリースした扶桑社文庫は侮ってはいけないのだった。