白石正明の作品一覧
「白石正明」の「ケアと編集」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「白石正明」の「ケアと編集」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
Posted by ブクログ
どうしてわたし、白石正明さん及び「ケアをひらく」シリーズを知ってるんだったっけと思い起こしてみると、横道誠さんの『みんな水の中』を読んだからだった。その本もこのシリーズの一冊で、巻末にシリーズの紹介があり、それが記憶に残っていた。
だから本書についても、だいたいの方向性の見当はついているつもりで読み始めたが、期待以上に好きだった。「ケアをひらく」シリーズ、積極的に読んでいきたい。
ケアって何?と聞かれて、まだぴしっと説明できないけれど、この本を読むとなんとなくわかってくる。白石さんは長年の経験から「編集はケアだな」と気づいたわけだが、もし別の仕事を、ある程度の適性をもってされていたら、それについても「○○はケアだな」と思ったんじゃないだろうか。どんな仕事に対してもケア的姿勢で取り組む人、取り組みがちな人、あるいはそうならざるを得ない人、や状況、っていうのがある気がする。向いてる向いてないはあるにしても。わたしももしかしたら、「これもケア、あれもケア」って気づくことができるかも。
以下、備忘メモ。
・反ではなく非
・ありのままでいいよを通り越して、どうなってもいいやというなげやりなかんじ。理想や可能性と現在とのギャップを見ている感じがしない。
→結婚式のとき恩師が言ってくれた言葉おもいだす
・「障害を肯定する」はちょっとちがう。否定しないことと肯定することはちがう。肯定という評価をしなくてももう存在しているのだから、存在が評価より勝る。
・物自体には手を加えず、置く場所を変えるだけで価値を生み出すという商人的なセンスが、ケアに関わる人には必要。
・与えられた問題設定の中で生きられない人。ケアする人は医療が前提とする問題設定ではどうにもならないことに気づいている。
・自立とは、依存先をたくさん持てていること。
・浪費はもの自体を目的とするが消費はそれを手段とする。会話を、手段ではなく目的として楽しむ。現在を、未来のための手段としない。
→復職準備への不信感!!!(このメモどうつながるのか思い出せないけどめっちゃエクスクラメーションつけてるから残しておく⋯)
・グランディン『動物感覚』。言語によって世界は簡略化される。自閉症でない人は自閉症の人の一万倍鈍感。
Posted by ブクログ
のっけからいいことばかり書いてある。
ケアと医療の大きな差異、ケアと編集の大きな共通点に気づかされる。
P4 「未来の目標のために現在を手段にする」という姿勢そのものから、ケアはかけ離れているからだ。むしろケアは「現在志向」だと思う。今を少しでも楽にする。痛いことはしない。この場にある不快をとにかく除去する。そこにいられる「現在」を作る。【中略】ケアに対して「刹那的」という表現を中てるのは正確だと思う。
P8 生きているということはそんな過酷さと恍惚の間をさまようことにほかならない
P12 福祉の世界では医療が捨て去ったノイズこそが正面から取り上げるべき対象になる【中略】医療は本人の願望を押しのけて必要な処置をする客観性ベースの世界であるのに対して、福祉の世界は関係性ベースである。
P32 しかし向谷地さんは(「悪いところばかりでいいところもみましょう」ではなく)当の問題になっていることそのものが「いい」という論法をとる。
P75 そうした感動に向けて物事の組み換えを行い、モノサシ、つまり分母を変えることを目指すのが、編集という行為ではないのか?!
P91 困難は一つだと苦しいが2つ以上あると何とかなる(春日武彦さん)【中略】編集の仕事も小さな困難の集合体だ【中略】ヘルパーさんの仕事と編集者の仕事は似ていると思う。特に「あちらを立てればこちらが立たず」的な人間関係のあり方が。
P110 ケアとは未来の安寧を考えるより現在の不快を減らし、現在の怪を享受するシステムである。ケアとは、現在を未来の手段にしない、つまり社交や対話と同じようにケアは、現在を「目的」とする思想であり行為なのである
P118 「病気は回復の一過程である」(ナイチンゲール) 生体というものは基本的に良き方向に進むように作られているというこのナイチンゲールの言葉を真に受ける道もあるのではないか。
P123 生きているとは、インプットとアウトプットが絶えずなされて止まらない、それ試合極めて動的なプロセスだ【中略】「治さなきゃ治らない」といったことを言いたがる人たちは、実は人を改変したいという欲望に負けているだけではないか。
P164 言葉にするときは一つの時間軸に各要素を並べなければならないので、逆に私たち自身があたかも一直線に行動しているように思ってしまうけれど、それは一列に並べなければ成立しない言語という不器用な表現道具に引きずられた誤認に過ぎないのではないだろうか。
P180 相手が何かの意思を持って、意図的にこちらに向けて発したメッセージを受け止めるところにコミュニケーションが始まるのではない。身体的なサインをこちらで勝手に解釈し、好きなように意味づける人がいる限り、コミュニケーションは終わらない。
P190 私たちが何かをなす前に既にして世界は豊穣で完全であり、ただそれを部分的に受け取ることによって人は快を得ている。【中略】成長という言葉も教育という言葉も”善きもの”とされているが「現在のままでは不足である」「今のままではよくない」という前提が共有されている。【中略】ALSを生きるということは徹底的に受動的な体験だが、それは忙しかったりするのかもしれない。
P200 援助職の人がおそらくいつもの仕事のように、額に傾聴&共感マークを貼り付けて首がちぎれんばかりにうなずく「援助者しぐさ」
P240 今ケアとは何かと聞かれたらこう答えるだろう。「それ以外には改変を加えず、その人の持って生まれた<傾き>のままで生きられるように背景(言葉、人間関係、環境)を変えること」と。編集もおそらく似たような行為なのだろう。文章に改変を加えるより先に、その人や文章の<傾き>が輝きに代わるような背景(文脈、構成)を作っていく作業が編集の本態ではないか。