ほんと、この『最後のレストラン【ダンテ】』、面白い。
当然と言えば当然だけど、前シリーズとは違った面白さっつーか、読み手に異なる衝撃を与えてくる。
これから読み始めても、十分に楽しめるだろうけど、やはり、先のシリーズを読んでからの方が、より深さを感じ取れる、一ファンとしては思うので、お勧めしたい。
先のシリーズよりもブラックユーモアさが際立っているけど、その塩梅が絶妙で、読み手に不快感は一切、与えず、むしろ、人生で得られる幸せとは何か、どのくらいのものか、などを色々と考えせてくれる。
差異はあるにしろ、この(2)に登場、いや、来店しているお客様もまた、歴史に名を残しているが、やはり、クセが強い。
傍目から見れば、地位や富を得て、幸福を掴んだように見えても、当人からすれば、その幸せは心から望んだモノじゃなく、満足できる死も迎えられなかった。
けれど、極端な言いかたをすれば、そんな最期を迎える羽目になったのは、当人の選択の結果でしかない。
自分が、本当に望んでいた幸福に気付けず、目の前にぶら下がった「幸せ」に飛びついてしまったから、その時から徐々にズレていき、心が満たされる事のない人生になってしまった、と気付かされる。
印象はそれぞれだろうが、少なくとも、自分は間違えた、と最後に思い知る人生は、幸福なんかありはしないんじゃないか?
一方で、現在を生きているねがいは、明日太郎たちが人じゃない、と薄々は気付きつつも、豪胆な性格なのか、アルバイトを続けながら、様々な経験の中で、自分の心と向き合い、確実に成長している様子。
この台詞の数々を引用に選んだのは、猛毒ながらも、だからこそ、異様な説得力が宿っている、と感じたものなので。
大悪魔の眼から見た、人間ってのは、こんなものなんだろうな、と思える。
また、明日太郎は、自覚があるのかないのか、定かではないけど、やはり、姿を模した相手、彼に思考が似通ってきているな。
けど、やはり、大悪魔としての矜持は失っていないので、奈落に向かう者を、わざわざ、呼び止めて助けたりはしないんだろう。
「ン~、フフフ、同じように見えても、形や焼き加減、ひとつひとつ違いマス。微妙な違いを持つものを排除していった時、皿にたこ焼きは、いくつ、残りマスかねぇ?フフフ」
「本当にそうでショウか?本当にあなたはご満足されてマスか?人間の欲望に際限というものはありまセン。食べても食べても空腹になるように、寝ても寝ても眠くなるように、ひとつ満たされても、また別の飢えが訪れマス。それは普通の、ごく自然なことなのデス。あなたは巨万の富を手に入れ、15万点という膨大な作品を残し、何人もの若い女性と浮名を流されました。だからこそ、わかるハズですよ。自分が何をしても満たされないことに。満たされない渇望が、あなたを創作に向かわせ、創作したものが、また、あなたを飢えさせるのデス」
「ピカソ様は、ミダス王の逸話はご存知デスか?」
「ミダス王?」
「ディオニュソスにより、触れるもの全てを黄金に変える力を授かった人物デス。彼は最初、喜びマシたが・・・口に入れようとした食べ物や飲み物まで、黄金に変わってしまうのデス。彼は、その時、気づきマシた、この力は祝福ではなく、呪いなのだ、というコトに」
(紙に唾を吐いても芸術になる。ミダス王が、触れるもの全てを黄金に変えるように。違う、自分は変えてしまったのだ。金“かね”に。絵画も彫刻も版画も陶芸も、皆、金に変えてしまったのだ。自分が創作物にしてしまった、人間の苦悩、悲しみ、喜び、愛、その中に、かけがえのないものがあったのではないか。90年間、創作を続けてきて、初めて味わう、全身を満たす感覚、絶望)